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「私が……菊理の魂を……?」
「ええ。そうとしか考えられないの。菊理が持っていたという赤い目。千里眼。その二つを併せ持っているのなら、間違いがないわ」
遊糸は難しい表情をして、躑躅になおも告げる。
「ほかにも、何かあったのではない?」
「……はい。今日のアラミタマに、赤と白の光のようなものが見えました」
「そう。やはり、それは千里眼ね。間違いないわ。……けれど、これは私と躑躅ちゃん、そして伏くんだけの話にしましょう」
「平坂さん……ですか?」
けれど確かに伏は、躑躅に菊理のことを話していた。
だから、というわけではないが、彼が知らないままというのもおかしい話だから、なのかもしれない。
「彼は調べ物が得意でね。きっとすぐ口にしなくても分かってしまうことよ」
「そうみたいですね」
「あなたが菊理の魂を持っていたとしても、躑躅ちゃんは躑躅ちゃんよ。それを忘れないでね」
「……はい」
執務室から出て、エントランスに入ると、ソファに夜凪が座っていた。
こちらに気づいたのか、立ち上がる。
「待っててくれたの」
「あとで聞く、と言っていただろう」
「それはご丁寧にどうも」
ため息をついて、夜凪を見上げた。お叱りを受けるようなことはしていないのだけれど。
「目の痛みは?」
「もうない。それより斑鳩くん、百代のことを心配したら?」
「俺がどうこうできる範疇を超えている。技術部に任せるしかないだろ」
「う……まぁ、そうだけど。けど、あんなアラミタマがいるなんてね」
あんな、アラミタマを祓う武器を逆に飲み込むなんて。
聞いたことがないし、金輪際会いたくもない。
「っ?」
ふいに、頭にわずかな重みを感じた。
それが夜凪の手だと知ったときに、何とも言えない感覚を覚える。
「……なに?」
「よかった」
「なにが?」
夜凪はどこか安堵したような表情をしていた。
それが、どこか痛い。
なぜか、が分かるから。
夜凪が大切にしているのは躑躅ではない。
それなのに、夜凪は彼女に優しくしてくれている。
くちびるをちいさく噛んで、目を伏せた。
「おまえが無事で」
「怒られるわよ。あなたの大切なひとに」
「……そんなことはない」
なぜわかるんだろう。
きっ、と、夜凪をにらみ上げる。
手はすでに頭から退かれていたが、夜凪の目は躑躅を見下ろしていた。
「あのね。あなた、女の子の気持ちってのが分かってないんじゃないの」
躑躅にもわからないけれど、日霊になる前までは、普通の女の子だった。
ただ、母親から和裁を徹底的に教えられ、そして着付けも教え込まれていたため、年齢の割には手先が器用だったくらいだ。
右手の人差し指を、夜凪につきつける。
「そういうつもりではないが……」
「そういうつもりじゃなくたって、相手はいやなのよ!」
「……おまえは?」
「?」
夜凪はいたって普通に、こう言った。
「おまえは、いやなのか?」
「え? いや、そういうわけじゃなくて……。あなただって、好きな子がほかの男のひとにちょっかいされてたらいやでしょ。そういうことよ」
「……分かった」
無表情にうなずいた夜凪は、ふいと顔をそむける。
本当に分かってくれたのだろうか。
肩に背負った凍華を無意味に背負いなおす。
「じゃあ、私帰るわね。……お昼食べ損ねちゃった」
ぽつりと独り言をつぶやくと、スマートフォンが鳴った。
画面を見ると、兄の錦秋からのようだ。
「もしもし? お兄ちゃん?」
「ああ、躑躅。今どこにいる?」
「本部よ。どうしたの?」
「そうか。急で悪いんだが、これからバンドの連中と隣県に行かないといけなくなったんだ。今日の夕飯は、作れそうもない」
隣県。
急だなと思うも、ライブにでも行くのだろう。
「分かったわ。コンビニのお弁当にしておくから、心配しないで」
「そういうわけだから、よろしくな」
「うん」
スマートフォンをコートのポケットに入れて、久しぶりのコンビニのお弁当は何にしよう、と考える。
「……どうしたの? 帰らないの?」
「いや。昼飯、くいっぱぐれたな」
「そうね。でも仕方ないんじゃない? アラミタマが出たんだから」
窓をみると、もう暗くなってきていた。
昼食と夕食は同じになってしまうだろう。
おなかが空いて、躑躅は思わずお腹をおさえた。
「おなか空いた……早くコンビニいこ……」
「まて、夜天光」
「なに? 私おなか空いてるんだけど」
「食べそこなったが、アンヘルに行くか?」
「アン……ヘル?」
今日コーヒー飲んだところだ、と夜凪に言われて、ようやくあの文字の意味を知る。
日本語で「天使」というらしい。
「……あのね。聞いてた? さっきの話。用もなくて好きな異性がいるのに、私と一緒にご飯を食べるのはどうかと思うわ!」
夜凪から、ふい、と顔をそらし、エントランスから肩を怒らせながら出る。
もう雪は降ってはいなかった。
歩いていて、どうして私はこんなに怒っているのだろう、とふいに空しくなってくる。
「夜天光」
後ろから、夜凪の声が聞こえた。
「わっ」
ヒールの低いブーツが、かつんと音がして――視界が上に上がる。
アスファルトが凍っていたのか、思わずぎゅっと目を閉じた。
けれど衝撃はなく、代わりにあきれたようなため息を聞く。
「え……」
「まったく、おまえは。もう夜なんだから、道路は凍ってるだろう」
「う……っあ、ありがとう……」
肩を抱かれておそるおそる、足をアスファルトにつけた。
「なんだか、よくあなたに助けられるわね」
「おまえがそそっかしすぎるんだ」
ぐうの音もでない。
ほおに流れた長い髪を指で梳いて、身なりを整える。
「錦秋さんは今日、いないのか」
「ええ。ライブで隣県に行ったわ」
「……ライブ?」
「お兄ちゃん、バンド組んでるのよ。全然有名じゃないけど」
躑躅は細めのバングルの腕時計を見下ろして、再度おなかに手をあてた。
「じゃあ、また月曜日に」
夜凪はなにか言いたげにしていたが、躑躅は無視して、自宅に向かった。




