2
謝りたいことがある、と、夜凪はいった。
「おまえに、日霊をやめたほうがいいって言ったことだ」
「……あぁ」
躑躅は苦笑いをして、白いほおを指先で掻く。
「あれね。べつに構わないわよ。だって、日霊をやめるやめないは、私の意志だもの」
「……だが」
「いいの。結局はやめないんだから。いいじゃない」
そんなことを気にしていたの、と、躑躅が笑った。
肘をテーブルについて、はめごろしの窓を見上げる。
粉雪だろうか。ちらちらと雪が降り始めていた。
「そんなこと、気にしていたの?」
「そんなこと、か」
「そうよ。そんなこと。私が気にしていないっていうんだから、いいの」
「お待たせしました」
マスターが、コーヒーを持ってきてくれて、テーブルの上に置く。
きれいなカップとソーサーだった。
カップには、藍色で花が描かれている。まるで、手作りのように見えた。
「このカップ、もしかしてマスターが作ったんですか?」
「あ、分かった?」
マスターは、すこし照れたように笑ってから、うなずいた。
彼の話によると、趣味で陶芸教室に通っているらしい。
最近ようやくましなものを作ることができたので、店に出すようにしたという。
「へえ、いいですね。私、こういうの好きです」
「ありがとう。躑躅ちゃん、っていったかな。今、器の練習をしているんだ。また来た時には、見せたいな」
「器、ですか?」
「そう。うちはパスタも出しているんだ。その器も自分で作れたらなって思ってね」
マスターがカウンターに戻ったあと、夜凪はすこし言いづらそうに、こう呟いた。
「ここのパスタは、うまい」
「そうなんだ。マスターがいたときに言えば、マスター喜んでくれたのに」
「残念ながら、そういう性分じゃない」
「そうだった」
くすり、とわらった躑躅は、角砂糖を一つ入れてからコーヒーをひと口、飲む。
木の鶏で飲んだコーヒーと、味が違う。
豆が違うのだろうけれど、とてもおいしい。
「おいしい」
「ああ」
「そういえば、お昼どうするの? ここで食べる?」
「そのつもりだ」
メニューを見ると、パスタの種類はとても豊富だった。
おすすめ、と書かれているのは、ミートソーススパゲティ。
「……斑鳩くん」
メニューを見ながら、ぽつり、とつぶやく。
「他になにか、言いたいことがあるんじゃないの」
「……そうだな。おまえの戦い方に意見するつもりはないが、もう少し自分の身を守るような戦い方をしたほうがいいと思うが」
カラーコンタクトレンズをしている躑躅の目が、数回、またたきをした。
何を言っているのか分からないわけではない、という表情もしている。
「まぁ……そうね。凍華ももらったし、鞘も十分な出来だったし。……あ」
「なんだ?」
「そうだ。平坂さんから凍華をもらったときに、私の目のことも教えてくれたの」
伏から聞いた菊理のことを、夜凪に話す。
神代の時代から生きているという人間のことを。
そして、彼女こそが日霊の始祖だということも。
「……にわかには信じがたい話だが」
「でも平坂さんは別に嘘をついているようではなかった」
「嘘をついても無意味だ。まあ、本当のことなんだろうな」
夜凪はそっと息をついて、コーヒーを飲む。
再度はめごろしの窓を見上げると、すこし吹雪いているようだ。
「根本的な原因はまったくわからないんだけどね……」
「そう簡単に原因は見つからないだろう。ただ、体に影響がなければいい」
「そうね。心配してくれてありがとう」
「……あぁ」
躑躅は目を軽く見開く。
今日の夜凪はなんだか素直だ、と思う。
けれど彼はまったく気づいていないのだけれど。
「ふふ」
「?」
「なんでも」
カウンターを見ると、いつの間にか男女の客が席についていた。
おそらく、カップルだろう。楽しそうに話をしている。
「そういえば斑鳩くん。どうしてここを知っていたの? マスターと顔見知りみたいだったけど」
「ああ……。マスターは俺の遠い親戚だ」
「へぇ、そうだったんだ」
うなずいた夜凪は、表情を変えずにコーヒーを見下した。
この喫茶店は常連客は多いが、新規客は少ないという。
確かに、入ってきた男女もマスターと親しげにしている。
「いい雰囲気ね。木の鶏とも感じ違うけど、私、ここ好きよ」
ほほえむ躑躅から、目をそらす。なにか、いけないものでも見たような気がしたからだ。
彼女は気づいていないが、夜凪はこぶしを軽く、握りしめる。
ふいに、バッグの中に入っているスマートフォンが振動した。
そして、同時に躑躅のスマートフォンも鳴る。
嫌な予感しかしないが、電話に出ると焦った様子の遊糸の声が聞こえてきた。
「夜凪くん? 学校お休みなのにごめんなさいね。アラミタマが、学校近くに出たの。悪いけれど、向かってくれる? 躑躅ちゃんにも連絡はいっているはず。躑躅ちゃんと合流してから向かってほしいの」
「はい。ただ、今は外に出ているので、百代を取りに行ってからになりますが」
「分かったわ。よろしくね」
「……強いんですか?」
「ええ。今、何人か行っているけれど、すこし手こずっているみたい」
まだ躑躅が電話をしているところを視界で認めてから、了解しました、と電話を切る。
昼前になっているが、大丈夫だろう。
それほど、腹は減っていない。
「――えぇ。分かったわ。ちょっとウイスタリア、もう切りたいんだけど……。あっ」
夜凪は呆れたような息をついて、躑躅のスマートフォンを取り上げた。
「すぐに行く。もう切るぞ」
「えっ誰……あ、斑鳩夜凪!? ちょっと、躑躅と話してたんだけど!」
無理やり切って、そのままスマートフォンを躑躅に返す。
彼女はあきれたような表情で、受け取った。




