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迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
34/54

21

「ん……」


 チャイムが鳴る。

 それが目覚めの合図のように、躑躅の声が聞こえた。


「夜天光」

「ぁ……わ、私……」


 ぼんやりとした色をした赤い目が、夜凪を見上げる。


「私、どうしたの」

「覚えていないのか」

「……夢をみたわ」


 白いかけ布団の上で手を組んだ躑躅は、ぼうっとしたまま、ほの赤いくちびるを開く。


「女のひとが、白衣(しらぎぬ)と緋袴を着ていて、歌っているの。黒くて長い髪をしていて、顔は見えないけど、きっと笑ってるわ。どんな歌か分からないけれど、なんだか懐かしい声と歌だった」

「………」

「私、新しい刀をもらったわ」

「そうか」

「ほっとした?」

「そうだな」

「あんな無茶な戦いは、もうしない」


 夜凪の目が、軽く見開かれる。

 自ら命を投げ出すような戦いしか見てこなかった夜凪にとって、その発言は驚くべきものだった。


「あの女のひとを見たら、このままじゃだめだって、そう思った。おかしいわね、ただの夢なのに」

「……いや」

「斑鳩くん。ごめんね」

「なぜ謝る」

「大変だったでしょ。私のお(もり)


 ひとつ、まばたきをした躑躅は、ゆっくりと起き上がる。

 夜凪の顔をみた彼女は、くすりと笑ってみせた。


「あなたもそんな顔するのね」

「……おまえらしくもないことを言うからだ」

「私らしくない、か。そうかもね」


 吐息のように呟いたことばは、カーテンを引いた音によってかき消された。


「夜天光さん、大丈夫?」

「はい」

「そう。めまいとかは、ない?」

「大丈夫です」

「でも顔色、あまりよくないから、今日は早退しなさい。担任の先生には言っておくから」

「……分かりました」


 躑躅は素直にうなずき、教室に戻るために保健室を出た。

 後ろから、夜凪がついてくる。

 昼休みをつげるチャイムが鳴った。


「夜天光」

「なに?」

「たぶん、クラスの中の誰かだ」

「……そうね。十中八九そうでしょうよ」

「鞄、俺が取ってくるか」


 夜凪の言葉に、躑躅はぴたりと足を止めた。

 黒く長い髪が夜凪の目の前で、さらりと流れる。


「いい。私が行く。私の鞄なんだから」


 彼女の目は、まっすぐ夜凪を見ていた。

 大勢の生徒が昼食をとるため、または購買へ行くために、それぞれ散らばっていく。

 廊下の真ん中に立ったままのふたりを、迷惑そうに避けて歩いていた。


「おまえだけを狙っていること、分かっているのか」

「分かっているわ。あれ(・・)の姿、私には見えた」

「……誰だ」

「………」


 躑躅のくちびるが固く閉じられる。

 その名前を言うのを、ためらっているようだった。


「夜天光」

「放課後。電話、するわ」


 そう言い、躑躅は再び夜凪に背をむける。

 長い髪を揺らして、彼女は自分の教室に入っていった。


「……あ、躑躅……」


 翠が、躑躅の机の前に立っている。

 その目。

 その目は、どこかいらついているような、妬んでいるような、そんな色をしていた。

 躑躅は、知らないふりをする。


「私、まだ具合悪いから、早退するね」

「あ、うん……」


 よそよそしく、翠はうなずいた。

 机の横に引っかけておいた鞄を持ち、ロッカーから真冬より薄手になったコートを着込む。

 

 そのまま廊下を出て、玄関で上履きから靴に履き替えた。

 正門を出る生徒は、躑躅だけだった。

 正門から出て、一度足をとめる。

 ふっと、冷たい風が躑躅のほおを撫でた。


『あなた。』

『わたしの――。』


「……?」

 

 かすかな、女性の声。

 まるで、夜をあらわすような。

 静かで、深く、こころに沁みこむような、声。


「だれ?」

『あなたは、わたしの――。』


 そらから降ってくるような、そのことばの端を見つけるように、上を見上げた。


『ねぇ、はなさないで。あのひとの、手を。もう伸ばして、いるでしょう? あなたは、わたしができなかったことを、して。』


 徐々に、その声が消えてゆく。

 波が海にかえってゆくように。


「……え……?」


 躑躅の手のひらに、いつの間にか、かんざしがあった。

 かなり古いようで、ところどころ錆びている。

 意匠は鶴と松、そして鳳凰と竹だろう。

 呆然と手のなかにある、古いかんざしを見下ろす。


 それから、数秒。

 躑躅は手のなかのかんざしを、ハンカチで包んで鞄に入れ、足を一歩、踏み出した。


 なぜか、大切にしなければいけないと、強く思った。




「斑鳩くん」


 放課後、よく躑躅と話している、という印象の女子生徒が声をかけてきた。

 茶色かかった髪の毛を揺らし、うかがうような目をこちらに向けている。


「なんだ」


 教科書とノートを鞄に入れ、帰ろうとした時だった。

 放課後に躑躅から連絡がくると分かっていたから、ホームルームが終わったらすぐに帰ろうとしたのだが。


「あのさ、日曜日、ひまかな?」

「なぜだ」

「えっと……みんなで、遊びに行こうって話になって」

「悪いが、忙しいんだ」


 鞄を肩にかけ、女子生徒の横を通り過ぎようとしたとき、腕を掴まれた。


「……なんだ」

「じゃあ、次の日曜日は?」

「忙しい。……悪いが、急いでいる」

「躑躅のところに行くの?」


 腕をつかまれたまま、夜凪は眉を寄せる。

 不快感が、かすかにうまれた。


「関係ないだろ」

「躑躅のこと、好きなの?」

「……それこそ、あんたに関係ない」


 腕をふりはらい、教室を出る。掴まれていた腕のあたりが、やはり不快だった。

 スマートフォンをコートのポケットに入れ、早足で歩く。

 ただの女子生徒ひとりに触れられたくらいで、なぜこんなにも不快になるのか分からない。

 戦っていない(・・・・・・)きれいな手(・・・・・)だからだろうか。


 学校の正門を出て、まっすぐアパートに戻る。

 そのあいだ、無意識にスマートフォンを触れていたが、躑躅からの連絡はなかった。


 百代が置いてある自室に入り、古くなった椅子にすわる。

 ぎし、と、木の軋む音がきこえた。

 机の上に、スマートフォンを置く。

 

 暗い液晶画面は、無意味に天井を映している。


 目を伏せた。

 話しかけてきた女子生徒の声が、ふいによみがえる。


 躑躅のことが好きなのか、と。

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