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迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
31/54

18

「ぇ……」

「そのままお前に還る。人を呪わば穴二つ。今後は、よく考えることだ」


 拾い上げた本を、ふたたび少女の足元にほうり投げ、もう興味がないとでもいうように、背を向けた。

 躑躅がなかば呆然と見ていたことを知っていたのか、夜凪は彼女の目の前で足を止める。


「行くぞ」

「ちょ、ちょっと……!」


 今度は躑躅の手首をつかみ、そのまま歩き出す。

 憎しみに満ちた目が背中をつきささるが、いつものことだ、気にすることもないが。


 ビルを出てから、だいぶ歩いた。

 辺りを見ると、もう躑躅の家の近くだ。

 街灯がなければ、足元もあやういほどの暗闇。

 ようやく手を放した夜凪は、じっとこちらを見下ろしている。


「なに、あの子のこと、知ってたの」

「いや」

「じゃあ、どうして」

「あの本に、見覚えがあっただけだ。違ったら、謝るつもりだったが。その必要はなかったようだ」

「……ああ、そう……。カマかけただけなのね」

「ああ」


 ああ、って。

 躑躅が額に手を当てるが、夜凪は悪気があってそうしたわけではないのだろう。


「あの子、あなたのことが好きだって言っていたわ」

「そうみたいだな」

「かわいかったのに。もったいないことをしたんじゃない」

「俺が大事なのは――」

「ああ、そうだったわね。名前も顔も私は知らないけど、女の子の命だった」


 呆れたように、芝居じみたしぐさで手をふる。


「でも、大事なのは命であって、心じゃないのね。命も心も、同じくらい大切だと思うんだけど」


 命だけ守ったって、夜凪にとって何の利益があるのだろう。

 夜凪を見ると、目を軽く見開いていた。


「……なに?」

「いや……、もっともだ、と思った」


 夜凪は口もとに手をあて、なにかに感づいたように、軽くうなずく。

 なにか、思うことでもあるのだろうか。

 まあ――躑躅にとっては、どうでもいいのだろうけれど。


「じゃあ、私の家、この辺りだから。今日はどうもありがとう。また明日」

「――ああ」


 家があるほうへ体を向けると、10メートルほど先に、錦秋が歩いてくる姿を見た。

 彼もこちらに気づいたのか、両手にエコバックを持った手を、軽く振ってみせた。


「夜凪くんじゃないか。躑躅も。こんなところでどうしたんだ」

「送ってくれたのよ。ここまで」


 悪魔だのなんだの、説明するのが面倒なので、そういうことにしておいた。

 夜凪はなにか言いたそうにしていたが、とうとう何も言うことはなく。

 そのかわりに、錦秋が「ああ、そうだ」と、ほほえんだ。


「せっかくだ。夜凪くん、夕飯を食べていかないか?」

「……いえ、俺は」

「ほら、見てくれ。白菜。安かったんだ。二玉も買ってしまったよ。まだ寒いから、鍋にしようと思ったんだ。でも、二人鍋って寂しいだろう。だから、きみも一緒に食べてくれたらうれしいんだけど」

「いいんじゃない、べつに。お兄ちゃんがそういうなら」



 なかば強引に、夜天光の家に招き入れられた夜凪は、玄関の前でそっと目礼した。

 きょうだいの両親が殺された場所。

 そして、夜凪の父親が罪を犯した場所。


「おじゃまします」


 玄関先で立ちっぱなしにしていても、躑躅にあやしまれるので、靴を脱ぎ、居間に入る。

 あたたかい、と思った。

 ストーブもなにもたいてはいないが、ただ、あたたかい、と。

 今にはこたつ、木の棚、電話と大量のぬいぐるみがある。

 それほど広くはない居間だから、さみしい風景とは言えない。


「待ってて。鍋、作るから」

「俺も手伝いますか」

「大丈夫。お客さんは座っててよ」


 片膝をついて立ち上がろうとした夜凪を、スーツにエプロンをつけた錦秋が、台所から顔を出し、それを制した。

 躑躅はいつもどおり、こたつに入って机に片肘をつき、ぼうっとしている。

 客人がいる手前、テレビをつけることははばかれた。


「お兄ちゃんのお鍋、おいしいから。期待してていいわよ」

「ああ」

「ねえ、斑鳩くんって独りぐらしなんでしょ。料理はするの」

「まあ、……それなりに」

「ふうん」

「おまえは?」


 藍色のてぬぐいからのぞく、目。

 鋭さはあるが、剣呑なものではない。


「私? あー、私は家事、からっきしなのよ。ごはんも、洗濯も、掃除も、お兄ちゃんがやってくれてる。あ、でも食器洗いくらいはするけどね」

「そうか」

「せめて洗濯とか掃除くらい、上手にできればいいんだけど。私、日霊の仕事以外あんまり得意じゃないみたい」


 肩をすくめてみせる様子をみると、彼女は日霊が天職だと思っているのだろう。


「もし、日霊をやめてもいい、と言われたら、おまえはどうする」

「そんなの、決まっているじゃない。やめないわよ。辞めろ(・・・)っていうんじゃないんだから」


 だって。

 私には、それしかないから。


 そう、言っていた。


「何度も言っているわ。私には、それしかない」

「そう、だったな」

「……べつにね、それだけってわけじゃないとおもうのよ。私にも好きな食べ物だってあるし」

「なんだ?」

「肉」

「……そうか」

「な、なによ。女の子全員が甘いものが好きだなんて、そんな幻想、抱いてるわけじゃないでしょ」

「そうは思っていない。甘いものが好きな男だっているだろう」


 たしかにそうね、と。

 上機嫌に笑った躑躅は、こたつの上に前のめりになって、あのね、と再びことばを紡ぐ。


「知りたいことがあるの」

「答えられる限りは、答える」

「あなたが大切なのは、心? それとも、命?」


(自分は、自分として――。)


 躑躅は、誰の、とは言わなかった。

 分からなくなっていた。夜凪自身も。

 命があれば、何とかなると、思っていた。

 だが。

 だが、心は?


「分からない」


 素直に、そう答えた。

 どちらもなければ、きっと「ヒト」ではない。


 その答えに躑躅は満足したのか、両肘をこたつについて、わずかに笑った。


「そうね。答えなんて、でないわよね」


 だって私たちは今、心も命も、ここにあるから。


「出てたらきっと……人間は捨ててるわ」


 独り言のように呟いた言葉を、夜凪はただ、聞き流すことしかできなかった。

 人間はそれを捨てて、アラミタマを生み出すこともなかっただろう。

 けれどそれは、生きているといえるだろうか。


「おーい躑躅。ちょっと、手伝ってくれ」

「はぁい」


 こたつから這い出た躑躅は、セーラー服をひるがえして台所へ入ってゆく。

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