表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
30/54

17

「大切よ。年齢は重ねることができるけれど、巻き戻すことはできないの。後悔しても、もう遅い。ただただ、贖罪のために生きて戦っても、それは生きている(・・・・・)とは言えない。そういうのは、大人に任せていればいいの。あなたや躑躅ちゃんはまだ、生きる意味を考えなければいけない時よ。考えることを放棄したモノは、人間とは言えないもの」


 遊糸はただ、母親のように夜凪を諭す。

 もしも、母親というものが夜凪にいたのなら、こういう女性なのだろうか、と。

 思う。


 夜凪の母親は、もう生きてはいない。夜凪を産んで、しばらくのちに死んだ。


 写真も、遺影もない。

 

 だから。

 どんな顔をしていたのかも、どんな声をしていたのかも、どんな性格をしていたのかもわからない。

 両親の4人の祖父母も、もうあまり覚えていない。

 ただ、優しくなかった人間だと。それだけ覚えている。

 もっとも、生きているのかいないのかも分からないが。


「大丈夫。私たち大人があなたたちを守ること。それが普通のことなのだから」

「普通……」

「でもね、そう――ままならないこともある。だから、あなたはあなたの生きる意味を見つけて。そして、彼女の手を放そうとしないでね。あなたたちは、決して不幸になってはいけない子よ」


 死、というモノよりも。

 失望、絶望というモノよりも。

 その手、を。

 この心を。

 離さないでいられることが――ゆるされるのだろうか。


「赦すとか、赦さないとか、そういったものを躑躅ちゃんはあなたに求めていないわ。それ(・・)を知っても知らなくても。だって、――あなただって。分かっているでしょう? あの()は、そういう娘だって」

「……堂元さん、俺は」


(俺は。)

(もう、背負うことに、疲れていたのかもしれない。)

(すでにいない人間の罪を。贖罪を。背負って、何になるというのだろうか。)

(俺は、父親(あれ)の亡霊にとりつかれていたのではないか。)

(俺は、俺として生きていなかったのではないか。)

(その生に、なんの意味があるというのか。)

躑躅(あいつ)とて。戦うことで、おのれの存在を証明しているじゃないか。)

(それなのに、俺は。なんのために――。)


「俺は、たぶん生きたい、と。思っています」

「……そうね。それが一番、いいと思うわ」


 もし辛ければ、苦しければ、日霊をやめたって、いい。


 遊糸はそう言った。

 それは逃げることではない、とも。


 やめたい、とか。やめたくない、とか。

 そういったことを思ったことなどない。

 そういうものだと思っていたからだ。

 日霊の適性があった、から。

 ただ、それだけのこと。


 ノックの音で、我にかえる。


「どうぞ」


 部屋に入ってきたのは、躑躅とウイスタリアだった。


「どう?」

「嫌な視線のようなものは、消えました」

「そう、よかった。ありがとう。ウイスタリア」

「いーえ。あんなの、子供だましみたいなものですよ」


 肩透かしをくらったような表情をしたウイスタリアは、躑躅に向き直った。


「躑躅、本当に、もう何ともない? 大丈夫?」

「大丈夫よ。あなたがそう言ったんでしょ。もう大丈夫って」

「そうだけど……。また、なにか嫌な感じがしたら、電話して。すぐ行くから」

「はいはい。あ、斑鳩くん。ありがとう。つきあってくれて」

「いや、べつに」


 とってつけたような物言いにも、夜凪は気になどしていないようだった。

 躑躅も、先ほどよりはずいぶん落ち着いているようだ。


「躑躅ちゃん、夜凪くん。あなたたちはもう帰ったほうがいいわ。今夜、あなたたちの学校に日霊を送るから。心配しないで」

「分かりました。よろしくお願いします」


 頭をかるく下げた夜凪は、そのまま部屋を出ていこうと躑躅を横切る。

 躑躅も、そのあとを追うように、遊糸へ頭をさげてから、部屋を出た。


 すこし冷えた廊下を歩き、やがてエントランスに出る。


「斑鳩くん」

「なんだ?」

「心当たりはある?」


 ビルの前に、立っているひとりの少女。

 制服からして、躑躅たちが通っている高校の生徒だろう。

 影から、こちらをちらちらと見ている。


「さあ、知らねぇな」

「そう」


 そうだろうと思った、と。

 躑躅は呟き、その生徒の視線から逃げるようにビルを出た。

 そして、夜凪も続いて出ようとしたとき――か細い声が聞こえた。


「斑鳩くん」


 女の子らしい、あまい声。

 躑躅の、あまりよく磨かれていないローファーが、ことりと音を立てた。

 どうして、立ち止まるんだろう。

 どうして。


「私、」


 黒い、長い髪が風に揺れる。

 視線は、感じなかった。

 ただ。

 靴音が、聞こえない。


「私、斑鳩くんのことが」


 振り向く勇気すらなく、ただ躑躅は呆然と立ち尽くしている。

 今まさに告白をしようとしている少女に、心のなかでさえ激励をおくることもできずに。


「好き、です」


 勇気を振り絞ったのだろう。

 その声は風に掻き消えそうなほど、弱弱しかった。

 そう。

 まるで、「女の子」のような。

 それこそが、「女の子」であるような。


 だれもが、そう思うでしょう。

 だれもが、そうであるべきだと思うでしょう。


 だって。

 だって、そう思うひまなんか、なかったんだもの。

 しかたない、じゃない。


「悪いが」


 湖のように凪いだような声で、夜凪は言う。


「そういうつもりは、ない」

「どうして……」

「どうして? 気づかないとでも思ったのか」

「え」

それ(・・)はなんだ」

「きゃ……」

 

 ぞわり、と、背筋に悪寒が走る。

 思わず、振り返った。

 少女の腕をとった夜凪が、落ちた本を見下ろす。

 黒々とした本で、日本語ではない文字が、ぎっしりと詰められていた。

 

「お前、呪っただろう」

「なんのこと!」


 少女の腕からすでに手を放した夜凪は、その本を拾い上げる。

 表紙も黒く、ただ凹凸があった。

 まるでエンボス加工でもされたかのような文字が、うっすらと分かる。

 日本語でも英語でもなかったから、なにが書かれているのかは、分からないが。


「呪詛返しをしたそうだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ