16
悪魔。
悪魔と、アラミタマはちがう。
とはいっても、異質なもの同士だ。
そんなことは分かり切っている。
けれど、だからこそ意味が分からなかった。
悪魔というものは、人間をたぶらかし、破滅へと追いやるものだと聞いたことがある。
けれど、本当に存在するのかと問われれば、躑躅は素直に「わからない」と答えるだろう。
「悪魔……?」
「そう。躑躅と……ほかの日霊たちが見えないのは、きっとそのせい。アラミタマじゃないから」
「あなただって日霊じゃない」
ウイスタリアは、うんと頷いて、まるで昔日を思い出すかのように目を細めた。
「躑躅も知っているだろうけど、俺は日本人とイタリア人のハーフ。まあ、髪は見事に金髪だけどね。母がイタリア人で、クリスチャンなんだ。だから、まあ、そういったことにも他の日霊たちよりは詳しい。むかしむかしの日本からしてみれば、唯一神を崇めている存在こそが、異教徒だっただろう。でも日本は、昔から木や水、火や太陽、月や草花にまで、神さまを見出すだろう? そしてそれを大切にしてきた。それこそ神代の時代から、現在まで。アラミタマという存在は、別に人間を陥れて、破滅に追い込むわけじゃないんだ」
「そうね。アラミタマは、人間の精神や心が基盤となっているから、殺しはしても陥れることはしないわ。だって、そんなまどろっこしいことはアラミタマはしないもの。もっとまっすぐで純粋な感情よ。もっとも、私としては同じようなことだと思っているけど」
恨みや怒りといった、自分の感情からくるもの。
それがアラミタマだ。
宙から飛来したような、外部的なものではない。
「うん。だからきみのうしろにいるのは、アラミタマではなくて、悪魔。悪魔は誰かと契約することで力を増す個体もいる。俺の目から見たその悪魔は――そう。明らかに誰かと契約しているね」
「そう」
躑躅は悪魔のはなしを聞いても、何ともないようにうなずいた。
悪魔がどんなものでも、関係ないとでも言うかのように。
「悪魔はね、そう簡単に引きはがすことはできない。それこそアラミタマみたいに、斬ることもできない」
「なんとか、ならねぇのか」
そこで夜凪が口を挟んだことに、ウイスタリアはわずかに驚いた表情をした。
「なる」
短い返答をしたウイスタリアは、躑躅の目をじっと見つめてから――おもむろに、躑躅の肩のあたりに顔を近づけた。
夜凪はその様子を見て、体をすこしだけ動かしたが、誰にも見とがめられることはなかった。
ウイスタリアの行動にも動じない躑躅は、マネキンのようにただ立っている。
「なんだ」
ため息のような、呆れかえったような声を吐き出したウイスタリアは、目を細めてから――「大丈夫だよ、躑躅」と、なぐさめるようにほほえんだ。
「この悪魔は、何の力もない。ただ、睨むことくらいしかできないよ。でも気持ち悪いだろうから、俺が直々に――呪詛返ししてあげる」
「呪詛返し。悪魔でもきくの?」
「まあね。悪魔は契約した人間の言うことを聞くしかないんだ。陰陽道の式神とおなじだよ」
「ふうん……」
躑躅は興味があるような、ないような声色で、相槌をうった。
その様子にウイスタリアは、すこし情けない表情をする。
「あのね、躑躅。きみはもう少し、自分のことを気にかけたほうがいい」
その忠告にも似たことばに、躑躅は赤い目をそっと伏せた。
夜凪も、遊糸もなにも言わない。
「べつに……気にかけてないわけじゃないわ。どうすべきか、分からないだけ」
「躑躅……」
かなしそうに眉をさげるウイスタリアの顔を見ることなく、躑躅は淡々と答えた。
「ねえ、ウイスタリア。呪詛返しをしたあと、この悪魔はどうなるの」
「さあ……。ふつう、呪詛返しっていうと、そのまま呪いが還るんだけど……。今のところ、きみを傷つけたり、貶めたりしていないだろう? だからたぶん、躑躅が感じていた視線だけ跳ね返るんじゃないかな」
「そう」
ウイスタリアは、躑躅が安堵のため息をついたのを見逃さなかった。
彼女は彼女のせいで他のだれかを傷つけることが嫌なのだろう。
「じゃあ、躑躅。さっそくだけどこっち来て」
「あ、うん」
執務室から出ていくふたりを見送った夜凪と遊糸は、しばらく立ったままだったが、ソファにすわるよう、夜凪にうながした。
おとなしくえんじ色のソファにすわると、深いため息が出る。
「悪魔なんて出てくるなんてね。私も思わなかったわ」
「日霊とは関係ないのでは」
「そうね。日霊の敵はアラミタマよ。けれど、人間の敵はアラミタマだけではないということね」
「……誰が」
「私には分からないわ。あなたのほうが分かるんじゃない?」
たしかに、その通りだ。
遊糸は高校と何の接点もない。夜凪が、本当は知っていなければいけなかったのだろう。
だが。
あまりにも、何も知らなすぎた。
躑躅のことを。なにも。
たとえ彼女がいやがっても、おなじ日霊同士ならば、なおさら。
「……堂元さん」
そういえば、今日の午後の授業に躑躅から投げられた紙切れに、気になることが書いてあった。
「俺たちが通っている高校に、アラミタマの気配がする、と。夜天光が言っていました」
「アラミタマが? 悪魔ではなく?」
「はい。夜天光はアラミタマだ、と確信していたようでした」
「そう……。分かったわ。探りをいれる必要があるようね。今夜にでも、本部の日霊を派遣するわ」
「お願いします」
「それに、彼女の目のこともあるし――気がかりね。先日のことも」
それはおそらく、昨日のアラミタマと対峙したときの、躑躅の目から血のような涙が流れたときのことだろう。
「俺はどうすればよかったんでしょうか」
「あなたはどうしたい?」
「分かりません」
遊糸のやさしい声が、夜凪の心をむしばむ。
自分がしたいことなど、考えるすべもない。
必要がなかったとおもう。
自分の父親が遺した、日霊にとってあるまじき行為。
そのせいで躑躅の、錦秋の両親が死んだ。
だが――その責任をとらねばならない父親も、あっけなく死んだ。
だから。
だからこそ、夜凪は。
「あなたは贖罪のために生きているわけじゃないでしょう」
「……罪を、あがなうために俺は今、戦っているんです」
「戦うことと生きることは同じようなものね。でも、あなたはまだ若い。だからそんなことを言うものではないわ」
「若いとか、そうじゃないとか。そんなにそれは大切なものですか」
遊糸の表情が、わずかに曇る。
子どもを失い――自分だけ生き残ったことに、おそらくだが罪悪感を感じているのかもしれない。
夜凪とは違う痛みを負っているのだ。
だからこそ、彼女に聞きたかった。




