danse lente
昨日のこと。
学校で、直接ではなく。
わざわざ昼休み、夜凪からラインが来ていた。
「明日17時に、駅前で待っている。」
いつものように、そっけない文章が送られてきた。
「明日?」
スマートフォンを見ながら、ひとりつぶやく。
明日、なにかあっただろうか。
本部からは任務の連絡もないし、アラミタマ関連ではないだろう。
前の席の女子が、「明日のクリスマスイブ、彼氏とイルミネーション見に行くんだぁ」とうれしそうに話していた。
そういえば、今日は23日だった。
毎年、クリスマスは家族と過ごしていたけれど、そういえば、そういう習慣も日本にはあったということを、すっかり忘れていた。
「……クリスマスイブ、ねえ……」
プレゼントでも買おうか、と思うが、男子高校生が欲しがりそうなものは、分からない。
兄の錦秋に聞いてもいいが、誰にプレゼントするんだ、とうるさそうだ。
夜凪へと言ったら、錦秋ならば別になにも言わないだろうけれど。
「うーん……」
いつものように、授業がはじまるまで机に肘をついて、外を見つめた。
放課後になって夜凪の席をみると、すでにいない。
わかりやすい、と思うも、くちびるが緩むだけで、何も言うことはなかった。
帰り道、目抜き通りを通り抜け、「キッチン・木の鶏」がある、シャッターが閉まっている店が目立つ通りを歩く。
冷たい風がほおを叩いた。
マフラーに顔をうずめて、ふう、と息をつく。
「こんにちは、槇田さん」
「ああ、いらっしゃい。躑躅ちゃん。外、寒いねえ。コーヒー、飲むかい?」
「うん、いただきます。あのね、槇田さん。相談があるんだけど」
槇田という壮年の男性は、豆が入ったボトルを選びながら、「珍しいねえ」と笑った。
「男のひとってプレゼント、何がよろこぶかな?」
槇田は、まるい眼鏡の奥の目を軽く見開いてから、深く微笑んでみせた。
「躑躅ちゃんも、そんな年頃になって……。そうだねぇ、何がいいかなぁ」
彼は考えながらも、豆を挽いてくれている。
コーヒーのいいかおりが漂ってきたころ、槇田はなにかを思いついたかのように、こう言った。
「無難だけど、キーホルダーはどうかな。革とか、シルバーのもので、長持ちしそうなやつ」
「なるほど。いいですね、それ。じゃあ、そういうのにしようかな。あ、コーヒーいただきます」
「どうぞ」
やわらかい湯気が出ているコーヒーを、そっと飲む。
槇田のいれるコーヒーは、いつもおいしい。
「そうだ、槇田さん。ここって、たしか粉末のコーヒーの量り売りもしてるわよね?」
「ああ、コーヒーのプレゼントか。それもいいかもしれないね。任せて。いい豆用意するから」
「うん」
槇田がコーヒーを選んでいる最中、躑躅は無意味にスマートフォンを見ていた。
ネットを見るとか、ゲームをするとか、そういったことはしない。
ただ、スマートフォンの壁紙を見つめた。
誰かにプレゼントを贈るなんて、久しぶりだ。
「はい、お待たせ。こんな感じでどう?」
「槇田さん、ありがとう。ごちそうさま! お代、おいとくね!」
「はい、ありがとう。気をつけてね」
手のひらに乗るくらいの大きさの紙袋は、すこし味気ないから、あとで飾りつけをしようと思う。
「あ」
シャッターが閉まっている店が多い中、新しくできた店をみつけた。
ショーウインドウを見ると、どうやら雑貨屋のようだ。
店の装飾はアンティーク調でまとめられていて、めずらしい、とおもう。
店内に入ってみると、やわらかな木のにおいが漂っている。
水晶のようにきらめいている、小ぶりなアクセサリーや、古書を模したアクセサリーボックスが並んでいる。
「いらっしゃいませ」
奥にいた店主は、黒髪の女性だった。
愛想よくほほえまれて、思わず頭を軽くさげる。
店はそれほど広くはなく、商品もそれほど多くはないが、どれも洗練されているもののような気がした。
「贈り物ですか?」
「あ、はい」
「男性に?」
「えっと……はい。キーホルダーみたいなの、ありますか?」
長い髪を横で結んでいる店主は、にこり、とほほえんで、店の奥へ入っていった。
「ふう」
こういうのは、慣れない。
洋服を買うにも、動きやすさ重視で、デザインとか、そういったものは二の次だ。
「お待たせしました。こちらなど、いかがでしょう。シルバー925のキーホルダーです。シンプルなものですので、どなたにもおすすめできるのですが」
店主が持ってきたものは、濃い青の箱に入った、キーホルダーだった。
シルバーの、長細いプレートのキーホルダー。
チェーンがついているところに、ちいさな青い水晶のようなものが埋め込まれている。
「こちら、どこにも出ていないものなんですよ」
「出ていない?」
「はい。ハンドメイドなんです」
「へえ、いいですね。じゃあ、これ、ください」
「ありがとうございます。ラッピングいたしますので、お待ちください」
メッセージカードをおつけしますか、と聞かれたので、思わずうなずいてしまった。
なにを書こう、と思うも、何も思いつかない。
まあ、ペンを持てばなにか思いつくだろう。
「ありがとうございました」
ちいさな紙袋に入れられたキーホルダーは、きれいにラッピングされ、白いベルベットのリボンで飾られていた。
「……よし」
妙な満足感が胸を満たす。
ひとりうなずいて、そのまま自宅に帰ろうと、目抜き通りへ向かった。
「おかえり、躑躅」
「ただいま」
「あ、そうだ躑躅。明日、兄ちゃん忘年会だからさ。夕飯、作っとくからな」
「うん、わかった。クリスマスイブに忘年会って、みんな、参加するの?」
錦秋はあいまいに笑って、「どうだろうなぁ」と頭を掻いた。
「まあ、多数決でその日になったんだから、参加するんじゃないか?」
「へえ」
「イブに躑躅をひとりにするなんて、心配だけど……」
「どういう心配よ、お兄ちゃん」
「はは」
夜凪は、よろこんでくれるだろうか。
どういう反応をするだろうか。
ひとのため。
だれかのために、こころを砕くこと。
それって、もしかすると、とても嬉しいことなのではないだろうか。
夕飯を食べ、風呂にも入って、躑躅は机でペンをさ迷わせていた。
もらったメッセージカードになにを書こう、と考えているが、やはり何もうかばない。
「んんー……。いつもありがとう? いや、それは母の日とか、父の日とかのだし……。クリスマスっぽいこと……」
ふ、と顔をあげる。
べつに、気取ったことを書かなくてもいいのではないか、と思う。
自分が書きたいことを書けばいいのだ。
そう考えると、なにかを書けるような気がしてきた。
「これで、いいかな」
コーヒーの粉が入った紙袋をリボンで飾りつけをして、机の上に置く。
なんとか、形になった。
メッセージカードも、キーホルダーが入っている袋にも入れておいた。
あとは、渡すだけだ。
そう思うと、今さら胸の鼓動が早くなってきた。
思わず、胸に手をあてる。
「……?」
ほんとうに、今さらだ。
今こんなで、明日はどうなってしまうんだろうか。
おかしい言動をしてしまいそうで、不安だ。
「……ねよ」
布団のなかにもぐりこんでも、眠気は一向に訪れなかった。
クリスマスイブだからといって、べつに浮かれてはいない、と思う。
今どき藍色の手ぬぐいを巻いている人間など、ほかにはいないだろうから。
分かる、と思う、が。
約束の時間を、15分、すぎている。
それくらい、べつにかまわない。
だが、どこかで転んでいて怪我をしていないか、誰かにナンパされていないか、と思惟する。
「………」
電話をしても、出ない。
そして、20分経過した。
駅前は、イルミネーションで輝いている。
かなり大きな駅だから、待ち合わせをしている人間も多々いるが、みな、どこか落ち着かない表情をしていた。
(まあ――俺も、そうなんだろうが。)
「……斑鳩、くん!」
どたどた、と大きな足音が聞こえる。
思わず、顔をあげた。
「う、うわっ!」
「夜天光!」
目の前に踊る、長い黒髪。
イルミネーションにその髪が反射して輝いた。
どこでつまずいたのか、躑躅の身体がおおきく傾く。
その身体を腕で支えた。
がくん、と彼女の首がかたむいたが、大丈夫だろうか。
「まったく、おまえは……」
「ご、ご、ごめん、なさい、お、遅れた……」
「おい、大丈夫か」
肩がおおきく上下している。
膝丈の、ベージュのスカート、黒いウールのコートを着た躑躅は、膝に手をあてて深呼吸をした。
そして、ゆっくりと顔をあげる。
「……、」
今日は、カラーコンタクトレンズをしていなかった。
赤く染まった目。
右目の傷あと。
化粧っ気など、どこにもない、素の、躑躅がいた。
「? なに」
「いや……コンタクト、していないんだな。今は」
「ああ、そうね。……いやだった?」
「そんなんじゃない。まあ、たまにはいいんじゃねぇか」
「う、うん」
風が、つめたい。
強く吹いた風は、躑躅の髪を躊躇うことなく揺らせた。
「さっむ……。ねぇ、これからどうするの?」
「どこか、入るか」
目の前を通り過ぎる、男女。
彼らは自然に手をつなぎ、肩をよせあって歩いている。
きっと、こういうことは普通なのだろう、と、手を差し出す。
「?」
「手」
「て?」
「………」
本当になにも分かっていない。
一度、ため息をつく。
躑躅の気分を害す前に、手を掴んだ。
「つめてぇ」
「え、な、な、なに?」
「いやか」
躑躅の顔が、わずかに赤くなった、気がする。
思わず、ふと口もとがゆるんだ。
「べっ、べつに!」
「そうか」
黒い、低いヒールの編み上げブーツを履いた躑躅は、ちら、とこちらを見上げる。
目があうと、すぐに顔をそらした。
「どこいくの」
「とりあえず、スタバ」
「わかった」
この近くのスターバックスは、歩いて5分ほどの場所にある。
そういえば、と思う。
躑躅の手を「つなぐ」ではなく、今「つかんでいる」状態だ。
手をほどくと躑躅が、はっとした表情でこちらを見上げる。
再度、今度は彼女の手を、しっかりとつないだ。
すると、すぐに顔を下げる。
「つめたいわ」
「20分、待ったからな」
「ご、ごめんなさい」
「かまわない。別に、それくらい。……一年前」
「?」
「初めて、おまえとバディを組んだとき。俺も結構、遅れただろ」
「ああ……そういえば、そんなこともあったわね。そっか、もう、一年か……。早いな」
スターバックスの店内は、やはり思ったとおり、混んでいる。
広い店内を見回すと、入口の近くの席が空いていた。
丸いローテーブルに、ソファが向かい合った席だ。
一度、そのソファに座ると、はあ、と躑躅のため息が聞こえる。
「あったかい」
「夜天光」
「なに?」
「頼んでくるから、荷物をたのむ」
「うん。私、ホットコーヒー」
財布を出そうとする躑躅を制す。
こういう時は、こちらが出すのが定番なはずだ。
「どうして? 私、お金あるわ」
「俺が誘ったんだ。これくらい、出させろ」
「……わかった。じゃあ、おごられてあげるわ」
「ああ」
その言い方が躑躅らしい。
思わず笑い、そのまま財布をもってカウンターに向かった。
こういうことが、心がうわついてる、というのだろうか。
夜凪の父が犯した罪を、忘れそうになる。
そっと、歯を噛みしめた。
コーヒーをふたつ注文してトレーに乗せ、席に戻る。
躑躅はぼんやりと、スターバックスの、よく磨かれた窓のむこうを見ていた。
「なにか、見えるのか」
「ありがとう。別に、何が見えるってわけじゃないんだけど」
窓から顔をそらして、夜凪を見つめるその赤い目は僅かににじんでいる。
「まぶしいなって思った」
「まあ、そうだな」
「ふつうの、ね。あの、そういう、らしいこと? っていうの、私、分からない、から。外歩くひとたち見て、なんか、まぶしいって」
「……おまえ、まさか誰かと付き合ったこと、ないのか?」
「ないわよ、そんなの」
「そうか」
「? なんか、うれしそうね」
躑躅は不思議そうな表情をしたまま、コートを脱ぎ、ソファの背もたれにかけた。
そっとコーヒーを飲み、口のなかを湿らす。
「そりゃそうだろ」
「そういうもの?」
よく分かっていないような顔だ。
考えれば分かるはずだが、そこのところ、躑躅はほかの人間と比べて鈍感に感じる。
「なんだか、不思議ね」
目を伏せ、コーヒーを見下ろした彼女は、ほんとうに不思議そうに、そしておかしそうに、呟いた。
「はじめての恋は実らないって、いうのにね」
カップを両手で、大事なものを包み込むように持つ手は、おせじにもきれいだとは言えない。
肉刺があって、それが潰れて皮膚が硬くなっている部分もある。
躑躅の年齢であれば、おそらく、こういう手をした女性はいないだろう。
だが、夜凪はその手が好きだった。
戦ってきた、証。
生きようとした、証だからだ。
「みんな、きれい」
躑躅の細い肩から、黒い髪がさらりと流れる。
彼女は、まぶしそうに店内の女性客を眺めた。
そのまなざしは、どこか羨望をにじませているような気がする。
「きれいにお化粧して、かわいいマニキュアをつけて、おしゃれな服を着て。こういうのが、きっと女の子っていうのね」
日霊のお役目がある限り、おそらくそういうこととは無縁だ。
「俺には」
べつに、それでもいい。
それだけではないだろう。
「俺には、関係ないが」
「そうなの?」
「そうなの、ってな……。おまえは化粧も何もしてねぇだろ」
「え」
「……俺の目の前にいるのは誰だよ」
ここまでくると、呆れてしまう。
思わず頭を掻いて、ため息が出た。
「俺はな、おまえが化粧しようがしまいが別にどうだっていい。ただ」
「!」
膝の上に置いてある、躑躅の手を引き寄せる。
手はまだ、冷え切っていた。
彼女の手のひらは、あかぎれや、皮膚が硬くなっている部分がある。
「ただ俺は、この手が好きだ」
「そ、そう」
「戦ってきた手、生きようとした手。俺と、同じだ」
「……うん」
こくり、と素直にうなずいた躑躅は、やわらかくほほえんだ。
「これ、やる」
躑躅の手にふれたまま、鞄に入っていた紙袋を、その手に置く。
ちいさな、赤の紙袋。
「ありがとう……あ、あの、私もあなたに、これ、あげる」
躑躅から渡されたのは、渡した紙袋よりもすこし小さな紙袋ふたつ。
「……ありがとう。躑躅」
「ず、ずるい」
「まぁな」
はじめて、下の名前で呼んだ気がした。
躑躅は赤くなりながら、落ち着かない様子で周りを見ている。
落ち着くまで待とうと思い、彼女の顔を眺めていたが、それに気づいてうつむいてしまう。
「忙しいやつだな、おまえは」
「う、うぅ……ょ、よ、なぎ、開けて、いい?」
「ああ」
呻きながらも、夜凪、と呼んでくれたことは思った以上に嬉しいものだった。
躑躅は紙袋から出した箱を宝ものに触れるように、膝に置く。
白い箱に巻かれた赤いリボンを、そっとほどいた。
「……これ」
「おまえに、似合うと思った」
素直に言う。
ありきたりだが、ネックレスにした。
シルバーのチェーン。
一粒の、ちいさな赤い石。
過度な装飾など、なにもない。
「きれいね」
幸福そうに、ほほえむ。
その笑みがこころに、深く刻まれた気がした。
躑躅からもらった紙袋のひとつは、粉末のコーヒーだった。おそらく、木の鶏のものだろう。
そして、もうひとつ。
白いベルベットのリボンをできるだけ、丁寧にほどこうとしたとき。
「……?」
やわらかい、ベージュ色のカードが目に入った。
それを取ろうとすると、躑躅の弱弱しい声で手をとめる。
「まって。それは、あの、家で見てくれない?」
「分かった」
メッセージカードを、書いた本人の目の前で見られるのは、たしかに恥ずかしいだろう。
カードは裏返して紙袋に入れておいた。
改めてリボンを取り、濃い青色をした箱を開ける。
照明に反射して光る、シルバーのキーホルダー。
上のほうに、青い石が嵌まっていた。
「それね、ハンドメイドなんだって。だからどこにも出てなくて、いいなって思って。男のひとにプレゼント選ぶなんてこと、お兄ちゃん以外なくて、ええっと」
「ふ」
思わず、噴き出す。
いつもの躑躅は飄々としていて、おかしなところでズレていて、それでも――一生懸命なのだ。
生きることにも。
戦うことにも。
「わ、わらうところ? そこ!」
「悪い。……大事にする」
箱を紙袋に仕舞い、鞄につぶれないように入れた。
「そろそろ、出るか?」
「うん」
外に出ると、やはり冷たい風が吹いている。
時間は19時ちょうど。
「まだ、時間大丈夫か」
「うん。まだ大丈夫だけど、どこかいくの?」
「そうだな……」
イルミネーションも一応見たし、プレゼントも渡した。
ほかに行くところといえば、どこだろうか。
「じゃあ、夜凪のアパートいきたい」
「……それは」
おまえ、何を言ってるのか分かってんのか、と言うが、べつに躑躅はそういうつもりではないことは、分かっている。
事実分かっていない顔をしているから、そうなのだろう。
「まあ、いいが……」
夜凪のアパートまで、ここからそう遠くはない。
帰りは躑躅を家まで送っていけばいいだろう。
「久しぶりに百代にもあいたいし」
「そうか」
「それとね、あなたが生活している場所を、見たいの」
ぽつぽつとしかない電灯。
この辺りの道路は灯りが少ないため、人通りはそれほど多くない。
そのせいか、足音がだいぶ響く。
「ここ」
「結構きれいね」
「本部から、生活はそれなりに保証してもらってるからな」
一階にある部屋に鍵を開けて入ると、躑躅は率先してブーツを脱いだ。
「おじゃまします」
「茶、いれるから座ってろ」
「あ、大丈夫。さっきコーヒー飲んだばかりだし」
ソファはあるが、椅子はない。
すべて備え付けの家具で、実家からはなにも持ってきてはいないため、家具は必要最低限だ。
百代は日の当たらない、この部屋のすみに置いてある。
「百代」
躑躅は百代の前に正座をして、柏手を叩く。
「ありがとう、百代。いつも、夜凪を守ってくれて」
「……躑躅」
「お礼をね、言いたかったの。もちろん、あなたが強いからっていうのは分かっているけど」
照れたような表情で笑い、立ち上がった躑躅の手首を思わずつかんだ。
「俺は今まで、誰かのために強くなろうとは思わなかった」
「え?」
「だが、いいものだな。誰かのために、っていうのは」
手首をそのまま引くと、躑躅はおとなしく腕のなかに収まる。
「死なないために、ってのもある、が。俺は、おまえのためにも強くなる」
「……わっ」
躑躅の、わずかにふるえる声。
泣いているのだろう。
躑躅を泣かせたと錦秋に知られれば、激高されるのは目に見えているが、今はどうでもよかった。
「わ、私も強くなる。あなたを守れるくらい」
「そりゃ、楽しみだ」
だれかのため。
だれかのために、えらぶこと。
だれかのために、戦うこと。
だれかのために――生きること。
幸福は、いま、ここにあった。




