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迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
24/54

12

 夢をみた気がする。

 なにもない、ただの黒ずんだ夢。

 ただ、暗い。

 光の一筋もなく、ただただ夜より暗く、闇より黒い。


 モノや、ヒトがどこにもない。

 景色さえもみえない。

 重厚な黒い緞帳をただ見つめているように、あまりにも、そこには何もなかった。


 ただ――、遠くからなにかが聞こえる。

 唸り声のような、反対にやさしい歌声のような。


『おまえは、決して――』


 男性の声がきこえた。

 懐かしく、哀しくなるほどの悲痛めいた、声。


「おとう、さん……?」


『決して、――なってはいけないよ』


 

 それきり、声が聞こえることはなかった。

 その代わり、躑躅は、自分が「躑躅であること」を自覚する。


「……まぶし……」


 思わず、目に手をあてた。

 数秒たち、目に入ったのは見慣れた天井。

 自室だ、と理解したのは、さらに十秒ほどたった後だった。


 ゆっくりと起き上がる。

 昨日のことが思いおこされて、眉を寄せた。

 退院したばかりで――あんなことがあって、躑躅はいまも疲れていることを自覚する。

 大きく息を吸って、吐き出す、を繰り返して、ようやく立ち上がった。

 立てたならば、大丈夫だ。


 ハンガーにかけられたセーラー服を手に取った時、自室のドアをノックする音が聞こえる。


「躑躅? 起きたのか」

「うん。今から着替えるところ」

「今日は休んだほうがいいんじゃないか? 兄ちゃん心配だよ」

「大丈夫よ。これ以上休んだら、授業に置いてけぼりにされちゃう」

 

 けれど傷跡と目の色はどうしよう、と思う。

 赤い目は、カラーコンタクト、といえば、苦しい言い訳だが通用するだろう。

 校則違反だが。

 だが傷跡は仕方がないし、どうしようもない。


 セーラー服に腕をとおす。

 おおよそ一週間ぶりに袖をとおすセーラー服に、かすかな違和感を感じた。

 特別いやな違和感ではなかったから、そのまま紺のスカートと黒のハイソックスをはく。


 朝食を食べるために居間にむかうと、すでに錦秋は席についていた。


「躑躅。本当に行くのか?」

「行くってば。それよりお兄ちゃんにお願いがあるんだけど」

「ん?」

「カラーコンタクトレンズを買ってきてほしいの。茶色……薄い茶色っぽい色の」

「……分かったよ」


 理由は、言わなくとも分かっているのだろう。錦秋はすぐに了承した。



 

「じゃあ、よろしくね。いってきます!」

「ああ、いってらっしゃい」


 躑躅は玄関まで見送りにきた兄に、笑ってみせた。

 彼も、すこしは安心したのか安堵した表情をうかべている。

 

 それに安心して、通学路を歩く。


(お兄ちゃんは、心配性だから。)

(けど、それは私がまだ弱いから。強くなればきっと――。)


「……?」


 電車を降りて学校近くまで来た途中、セーラー服や学ランを着た生徒に交じって、長身でスーツを着た、黒髪の男性の姿があった。

 後ろ姿だが、見覚えがある。

 平坂伏。

 彼に間違いはないだろう。

 けれど、こんなに大勢の生徒が行きかう中で、話しかける勇気などない。


 どうしよう、と思わず立ち止まる。

 黒く、長い髪の生徒もほかにもいるから、自分が躑躅だと感づくことはないかもしれない。

 躑躅は意を決して、足を学校の校門へ踏み出した。

 できるだけ早足で歩いて、伏を通り過ぎる。


「夜天光さん」


 びくりと肩がゆれた。

 そろそろと顔をあげると、やはり平坂伏が立っている。


「おはようございます」

「お、おはよう、ございます……あの、どうして」


 ぼそぼそと鞄を胸にかかえたまま、道路を見下ろして呟く。

 伏は落ち着いた声色でほほえんだ。

 ――もっとも、躑躅は下を向いているのでその表情は分からなかったが。


「きみに用事がありまして」

「どうして、こんな朝に。せ、せめて放課後に」

「いえ。放課後では遅いのです。今でないと」


 きっぱりと伏は言い、有無を言わさず躑躅の腕をつかむ。

 遠慮のない視線が、二人に突き刺さった。


 伏の腕の力は強く、躑躅の体は容易く彼に引き寄せられる。


 やめて、と言いたいけれど、これほど無遠慮な視線のなかでは声を出したいが、出すことができなかった。


 行き交う生徒たちは、やがて興味を失ったかのように視線をはずし、校門へと吸い込まれるように足を向けていく。

 やがて、人通りが少ないシャッターが目立つ商店街へと入っていった。


 ここは、「木の鶏」がある商店街だ。


 古びた看板を認めると、ようやく伏は躑躅から手を放した。


「どういうつもりですか。あんな……」

「午前中の授業は我慢してください。木の鶏へ、入りましょう」

「ちょ……っ」


 背中をおされて、まだ薄暗い店のなかへ無理矢理連れ込まれる。

 伏はドアを後ろ手でしめ、躑躅の目の前に立った。

 長身の伏は、躑躅が見上げなければ顔が見えない。


「平坂さん、一体なにを……」

「きみに、渡したいものがあるんです」


 伏は一度躑躅の目を見下ろしてから、すっと彼女の横を通り過ぎた。

 コーヒー豆がずらりと並んでいるカウンターへ入り、さらにキッチンのほうへと入って行ってしまった。


「………」


 躑躅はひとり、薄暗い店内に立ちすくむ。

 久しぶりにおとなった木の鶏は、相変わらず古い木のにおいと、コーヒー豆のにおいがした。

 手の甲まである、コートの袖を無意味にめくる。

 ラピスラズリのブレスレットが、手首にあった。

 そういえば、店主はどうしたのだろう――。

 そんな、とりとめなく思考をしていると、伏の足音が聞こえてくる。

 のろのろと顔をあげると、躑躅の目が、軽く見開かれた。


「それは……」

「これが、きみの新たな刀です」

「……持ってみてもいいですか」


 伏は両手で――まるで、神聖なものに進呈するかのように、両手で躑躅の手のひらの上に置いた。

 重さは、八握剣、試作品の刀とほぼおなじに感じられる。


「――名は?」

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