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夜凪は近くにあるマンションに百代をとりに戻ったため、躑躅も家へ取りに行こうとしたが、それを引き止めたのは遊糸だった。
「躑躅ちゃん。ちょっといい?」
「? はい」
遊糸は執務室に躑躅を招き入れると、上質そうな暗い臙脂のソファに座るよう、うながす。
ローテーブルをはさんで、遊糸もソファに座った。
ローテーブルの上には、長く細い桐箱が置いてある。
「ウイスタリアくんと相談したのだけど、あなたの八握剣は、もう使わない方がいいとおもうの」
「どうしてですか?」
「あのアラミタマが、あなたの八握剣を模したこと、覚えているでしょう? ほかのアラミタマも真似ていないと言い切れない。もし真似ていたら、相性が悪いわ」
「たしかに、そうですね。でも、今日は――」
「安心して。まだ試作品だけど、十分使える状態よ。これをみて」
テーブルの上に置かれた桐箱を、慎重に開かれる。
その中には、深紅の鞘に収まった刀が入っていた。
柄糸と鍔は、白銀。
刀身は、どうなっているのだろう。
「抜いてみてもいいですか」
「どうぞ」
両手で刀を持ち上げ、目線の高さまで持ち上げる。
赤い目で、じっとそれを見つめる。
重さは、八握剣と同じくらいだ。
けれど、どこか違う。
なんとなくでしか分からないが、八握剣が「動」とすれば、この刀は「静」。
静かに、ただ静かに手のひらに収まっている。
そして、鞘と柄を持ち、そうっと鞘から抜いた。
透明な響きが耳朶をとおりすぎる。
「……これは」
「この刀は、諸刃の剣。アラミタマを寄せ付けるにおいを出す代わりに、アラミタマに対する浄化能力を飛躍的に引き上げているの。ただ、言ったとおり諸刃の剣なの。だから、使うか使わないかはあなたの意思に任せるわ」
「使います」
きっぱりと言い放った躑躅を見た遊糸は、表情をかたくして――重たそうに頷いた。
鞘におさめ、躑躅はその刀を見下ろして、ぐっと柄を強く握りしめる。
「使いこなせてみせます。必ず」
「期待しているわ。躑躅ちゃん」
執務室から出て、エントランスに備え付けされている長いソファにすわった。
手にした刀を膝に置き、見下ろす。
ぶっつけ本番だ。
だから柄を握りしめて、すこしでも手になじませておく。
「私は、強くなる。けれど、ひとりでは強くなれない。ひとりで強くなれる、なんてもう思わないわ」
自分に言い聞かせるように呟き、顔をあげて目を険しく細めた。
エントランスには誰もいない。
すこしだけ、鞘から抜いて刀を振り回したい気持ちになったが、やめておいた。
もう少しで時間だ。
躑躅は今の自分の服装を改めて確認する。
黒いシンプルなジャケットに、黒のハイネックの薄いセーター。
赤と黒のチェック柄の膝丈のスカートに、黒いタイツ。
これなら、動きやすいだろう。
躑躅はパンツよりも、スカートのほうが好きだった。
別にかわいいから、という理由ではなく、スカートのほうが動きやすいからだ。
タイツをはいていれば、スカートがめくれ上がっても恥ずかしくもなんともないし、制服がスカートなので、慣れている。
「夜天光、その刀は……」
いきなり声をかけられて、躑躅は、はっと顔をあげた。
躑躅の膝に置かれている刀を見下ろしていたのは、夜凪だった。
「これ? これは、試作品だと、堂元さんが言っていたわ。八握剣を使うのは、すこし、都合が悪いみたい」
「……そうか」
夜凪は躑躅のとなりに座り、布に包まれた百代の鞘を床につけて、柄のほうを肩にかけた。
諸刃の剣の刀だということは、伏せておくことにする。
数分後、日霊たちがエントランスに集まってきた。
中には、伏もいる。
ほどなくして、執務室から遊糸が出てきた。
「場所を特定したわ。ここからおおよそ10分、北に行ったところに神社があるでしょう。そこにいる。アラミタマの数は十よ。嫌な予感がする。みんな、気を付けてね」
全員が頷きあい、それぞれの獲物を担いでビルをあとにした。
5人全員がぞろぞろ歩いていても怪しまれるので、指定された神社へはばらばらに向かうことにする。
なんとなく、だが。
躑躅と夜凪は一緒の方角へ足を運んでいた。
「斑鳩くん。本当に足はもう、大丈夫なの?」
「ああ。おまえこそ、いいのか」
「大丈夫。いつでも戦えるわ。……それより、平坂さんとなにを話していたの? 握手したとき」
夜凪の足が、ふいに止まる。
(たいせつなものを守るために。)
(手を。)
「いや。べつに」
「? ふぅん。まあ、いいけど」
躑躅はさっさと前を歩いていく。その凛とした背中を、じっと見据えた。
(守らなければ、いけない。)
(義務だ。)
(大切だということと、義務だということ。)
(なにか、違う気がする。)
伏は、一瞬のうちに見抜いていたのだろう。
――夜凪の、暗い胸のうちを。
かぶりを数回振り、躑躅のあとを小走りで追う。
指定された神社は広かったが、人ひとりいなかった。
けれど、におう。
アラミタマの、においだ。
それも、強烈な。
躑躅は思わず、鼻のあたりをジャケットで覆った。
「……いた」
黒い、霧のようなもの。それが、凝り固まって――巨大な「なにか」になっていた。
ほかの日霊3人も、木の陰にかくれて様子を窺っている。
「けど、いないわね。犯人が」
「ああ。たしか未成年の男が犯人で、そこにアラミタマが集まっていると聞いたが」
「まさか、だけど。あの中にいるんじゃ」
「あの中? あの巨大なアラミタマの中か」
「……っ!!」
急に目を片手で覆った躑躅は、夜凪の目の前でひざをついた。
長い髪が背中を撫で、かすかに肩がふるえている。
「夜天光……!?」
「……っ」
夜凪は土にひざをつき、躑躅の肩に触れた。
くちびるを噛みしめ、うめき声をこらえる彼女は顔を覆い、なにかに耐えている。
「どうした」
「目、が」
「痛むのか」
躑躅はふるえる足を叱咤して立ち上がった。夜凪はそのたよりない体を支えたが、彼女はそれをゆるく振り払う。
ぽた、と。
地面になにかが落ちる。
はっと躑躅の顔をみおろすと、くちびるに血がついていた。
「おまえ……」
目と同じほどの赤が、顎をつたって滴り落ちる。
くちびるを噛み切ったのだ。
躑躅はなんでもないような表情をして、乱暴にくちびるをぬぐった。




