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「……どうしてこうなったのか、分からない」
「そうか……」
「目立つ……わよね」
「そうだな」
躑躅は視線をしたの落としたまま、ぎゅっと手を握りしめた。
はっきり言ってくれたほうが、ありがたい。
左目はどうなっているとおもう、とたずねると、彼は首をひねりながら、こう言った。
「片目だけって言うことはないだろう。おそらく、右目もおなじようになっているだろうな」
「うん……。そうね」
「堂元さんに相談してみるしかねぇな。俺も聞いたことがないが、症例があるのかもしれない」
「……うん」
そっとうなずいて、日が差している窓をみあげた。視力は問題ないようだ。ちゃんと、見えている。
そうして、ようやく夜凪の顔を見上げた。
藍染めのてぬぐいは取れ、長い前髪があらわになっている。
「あなた……」
その、前髪からかすかに見える、その肌。そこに、ひどい傷あとが残っていたのだ。
彼は特にかくすそぶりもなく、ただ憮然としている。
「その傷、アラミタマで」
「ああ。1年も前の傷だ。別に、日霊ならふつうのことだろ」
「……。そうね」
「それより朝飯食わないのか」
「食欲ない……」
「食っておいた方がいい。傷にさわる」
あいまいにうなずくと、夜凪はそっと息をついて、松葉杖をつきながら病室から出ようとした。
それをひきとめたのは、だれでもない、躑躅だった。
「まって。いっしょに朝食をたべない?」
「あ?」
「私、ひとりでごはんを食べるの、苦手なの」
「……。まあ、別にいいけどよ」
夜凪が自室にもどって帰ってくるあいだ、躑躅は窓にうつる自分をじっと見つめていた。
すらりとした首。白いほお。うすい色のくちびる。
そして、ざくろのような色をした瞳。どうして錦秋は、言ってくれなかったのだろう。いや――、きっと、気遣ってくれていたのだろう。
そういうひとだ。
夜凪は、黙って入ってきた。
プレートにのっている朝食を、サイドテーブルにおく。
躑躅と反対がわにすわった夜凪は、箸をもって、いただいますも言わずに食べ始めた。
「ちょっと!」
傷に響くのではないかとおもうほど、おおきな声をだした躑躅。
怪訝そうに眉をひそめて、夜凪はふりかえった。
「いただきます、は?」
「ああ?」
「ごはんを食べる前には、いただきます。食べおわったあとはごちそうさま。当たり前のことでしょう」
「……いただきます」
舌っ足らずな声で、夜凪は彼女に圧倒されながら手をあわせた。
そう教える母親も、父親もいなかった。
学校ではならっていたが、教えるのは両親の仕事だと思っていたからだ。
やわらかなにおいのする料理。
あたたかな家族。
厳しい父親。やさしい母親。
そのどれもが、夜凪にはなかった。
欲しいと思ったわけではない。しかし、胸に穴があいている、と理解していた。うつくしい銀色の月を手に入れたいと思っても、けっして手に入らないように。
「入院食って、あんまりおいしくないわね」
「そういうもんだろ」
「ふうん。入院したことないから分からないけど」
夜凪の表情がこわばったことに、躑躅はきづかなかった。
二年前。
あのとき大けがをおったのは、躑躅と錦秋だ。そして、ふたりをまもるようにして彼女の両親は亡くなった。
「……でも、私ね」
まるで恥ずかしいことを打ち明けるように、彼女はつづける。
「二年前の冬の日、あ、お父さんとお母さんがアラミタマに殺されたときのことね。あんまり、覚えていないの。けがをしていたって言っていたから、入院したことあるかもしれないけど」
「……そうか」
「不思議ね。あなたといると、いらないことも話しちゃう」
「いらないことなんて、ないだろう」
「そうかしら。汚点とか、ないの?」
「ある。だが、それがなければ強くなれない。のりこえることに必要なんだ」
箸をおき、夜凪は上半身をうごかして躑躅の顔をみすえる。赤い瞳が、見つめ返していた。まるで、カラーコンタクトをしているかのように、きれいに染まってしまっている。
金木犀のかおりをまとうように、彼女はほほえんだ。
ちいさな、黄色い花。
それを手折ることは、簡単だ。
だが、夜凪はそれをまもらなければならない。花守のように。
「そうね。あなたの言うとおりよ」
湖のように凪いだ瞳が、躑躅を見据えた。
「ねえ」
「なんだ」
「もっと、話しましょ。あなたと話すと、なんだかこころが安らぐみたい。この目の色も、そんなにショックじゃなくなるわ。きっと」
夜凪は、ふ、と視線をはずして、後頭部を掻いた。
こまったように。
だが、すぐに躑躅は「ごめんなさい」とささやいた。
「あなたには、もう大切なひとがいるのにね。怒られちゃうかしら」
「……。そんなことはない」
さみしげにほほえむ彼女の表情をみて、夜凪はおもわず目をふせて、こぶしを握りしめる。
いちばん大切な、自分のいのちよりも大事なもの。
躑躅の――いのち。
それは、決して言ってはならないことだ。そう誓った。
そっと、よりそうように守ることができたら、それでいい。
夜凪が死ぬ場所は、おそらく――彼女のそばだろう。
それでいい。そうでなければならない。
「やさしいのね」
「そうだな」
「ふふ」
看護師がくるまで、ふたりは内緒話をするように、ことばを交わしつづけた。
もちろん、食べおわったあとの「ごちそうさまでした」を言うのもわすれずに。




