表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
14/54

 横の腹、そして右目を裂かれ、躑躅(つつじ)は畳の上に倒れ込んだ。血がはなびらのように舞い、不気味に畳へ散らばる。


「夜天光……!」


 やがて笹木悟のアラミタマはちりぢりになり、霧のように部屋のなかから消えていった。

 夜凪は足をひきずって、倒れたまま動かない彼女の体をゆっくりと起こす。軽かった。まるで、羽毛のような軽さがそこにあった。


「夜天光」


 肩をそっとゆらすと、白いほおがひくりとゆれる。黒い真珠のような瞳が、夜凪をうつした。光をうしなうことなく、その目はしっかりと彼を映している。


「アラミ……タマは……」

「霧散した。もう、笹木庚につきまとうことはないだろ」

「そう……。よかった」

「本部に連絡する。いいな」


 躑躅は細い髪の毛をゆらして、うなずいた。

 


 それから本部からウイスタリアが駆け込んできたのは、10分後だった。

 救急車もよんだのか、救急隊員も部屋のなかに入ってくる。

 彼女をストレッチャーにのせるために、傷ついた体をかかえようとしたが、それを遮ったのは、躑躅自身だった。


「私はちゃんと、自分の足で歩ける」


 まるで、自分に言い聞かせるように立ち上がる。制服は裂けて血で汚れ、右目のあたりも血でばらのように赤く染まっている。


「躑躅。だめだよ。動いちゃ。出血がひどいんだから……」

「平気。それよりウイスタリア。笹木さんのことをおねがい」

「……でも」

「ウイスタリア。斑鳩くんもけがをしているの。言い訳はしないわ。でも、今は笹木さんのことも気になるから」

「分かった、分かったよ躑躅」


 ブロンドの髪の毛をしたウイスタリアは、降参したように玄関口へむかう。

 救急隊員につきそわれながら、救急車にのりこんだ躑躅の体は、まるでちいさな少女のようにか細く夜凪には見えた。夜凪も救急車に乗りこみ、サイレンを鳴らしながら救急車は笹木庚の家をあとにした。


「……」


 足と手を斬られた夜凪の傷からは、出血はもうないものの傷は深かった。縫うことになるかもしれない、と、救急隊員が言った。

 彼らはこちらの事情を知っているのか、それとも怪我を気遣ってか分からないが、なにも問うことはない。


 ストレッチャーにすわっている躑躅の呼吸は荒い。

 しかし、意識ははっきりしている。だからだろうか、余計つらそうにみえるのは。

 意識がなかったほうが、楽だっただろう。

 夢しかみなかったら、否、夢さえみなかったら。振り子の時計は延々と時をきざむというのに、それは決して永遠ではないと、知っていた。

 永遠にねむるには早すぎる。


 氷雨(ひさめ)がふる。

 あかい南天の実がおちる。

 みずみずしい緑色の葉が、かげる。

 

 病院につくと、すぐに治療が始まった。夜凪は麻酔をうたれ、外科医の医者に何針か縫われた。痛みはなかった。ただ、茫漠とした意識のなかで、針をみつめる。

 あとになるから、と医者は言った。夜凪はそれでもかまわない、と答えた。

 男だとか女だとかいうまえに、忘れてはならないと分かっていたからだ。


 あのアラミタマは今まで経験してきたものと、まったく違った。

 最後、あれは「かたち」を変形させた。躑躅の八握剣と似た剣となって、彼女を穿ったのだ。

 その意味を考えれば考えるほど、ぞっとする。

 アラミタマも、日霊と戦っているうちに学習するのではないか、と。


 治療が終わり、松葉杖で廊下に出る。

 そこに、長い影ができていた。


「……夜天光……さん」


 躑躅の兄である、錦秋(きんしゅう)がそこに立っていた。息を切らせながら、彼は躑躅と似た色をしている瞳を、夜凪にむけている。


「躑躅は……」

「治療中です。すみません。俺は……」

「いや。きみが謝ることはない。言っただろう。きみはまだ若い。きみ自身を守ることができたら、躑躅は満足だろうからね」


 錦秋は、もうなにもかもを分かっているようだった。

 何がおきたのかも。おそらく、遊糸が知らせたのだろう。


「力不足でした」

「まだ強くなれるってことだろう。まあ、俺が言っては説得力もなにもあったものじゃないがな……」


 躑躅の病室をきいてあるのか、錦秋は廊下をあとにした。

 ひとり残され、おかれているソファにそっと腰をおろす。リノリウムの廊下。わずかに自分の顔がうつった。

 藍染めの手ぬぐいはとれ、長い前髪が目にかかる。あたらしいものを買わないといけない。藍染めでなくてもいい。

 

 夜凪の額には、傷跡がのこっていた。

 一年前のことだった。

 父親が目の前でアラミタマに殺され、自身も相当な傷をおったのだ。


「……」


 ながいため息をついて、ソファから立ち上がる。あとは残るが、骨に異常はなく、抜糸すればふつうに歩くことができるだろうと、医者は言っていた。

 だれもいない廊下に松葉杖のかわいた音が響く。

 エレベーターにのって、用意された病室にむかった。

 家にはだれもいないということを言うと、今日と明日、検査のために病院に寝泊まりするように言われたのだ。


 病室にはひとりだけ、ほおの痩けた男がいた。

 新聞を見て、なにも話すことはないと言っているように、沈黙をつづけている。

 夜凪もそれにならい、(特別なにかを話すこともないのだから)くちびるを閉ざした。




 夜、ゆめをみた。


 白い銀いろの月のしたで、ただ長い髪を風にゆらせている、凜とした佇まいの少女のゆめを。

 なにもいわなかった。

 夜凪もなにも言うことはなく、アーモンドの形をした瞳を、ただ見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ