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迅雷の日霊  作者: イヲ
第三章・アヴェグ・トワ
13/54

 背中に感じる重さは、ほんものだ。

 金属がこすれる音が聞こえる。駅から笹木庚の家まで、そうかからなかった。


 絵にかいたような、しずかで、どこかあたたかいにおいのする住宅街。そのなかにオフホワイトの、ヨーロッパ風の家。街灯がちかくにあるので、すぐに分かった。

 家のまわりには、パンジーが咲いている。だが、すこし草が伸びていた。笹木悟が生きていたころは、きれいに手入れされていたのだろう。

 玄関のむかいには、スロープがついていた。そのスロープをのぼり、インターホンをならす。

 か細い声がきこえて、すぐにすりガラスに影ができた。


「……こんばんは」


 昨日会ったときよりも、庚はだいぶやつれていた。顔は青白く、くちびるも色をうしなっている。


「!」


 扉をあけた彼女のうしろ。笹木悟がいた。いや――、すでにアラミタマとなった男が、そこにいた。

 ぼんやりとした、黒いシルエット。そこから、真っ黒な煙をだしつづけている。


 なめらかな手ざわりの絹の布から、八握剣をとりだした。

 硝子がすれるような音。

 どう見ても日本刀にしか見えないそれに、笹木庚は目を見開いた。


「!? な、なにを……」

「笹木さん。そこから出なさい。一刻もはやく」

「え……?」


 笹木悟のアラミタマが、ぐにゃりと雲をちらしたように変形する。それは日霊の「敵意」に反応し、まさに荒ぶる魂となりはじめている。生きとし生けるものすべてを憎み、恨み、妬む、アラミタマ。それが今、おのれの娘――笹木庚を殺そうともがいている。


「きゃ……」


 夜凪がとっさに彼女の腕をつかみ、むりやり外に連れだした。


 この家は危険だ。アラミタマによって、さまざまな陰の気が部屋中を満たしている。

 夜凪は眉をひそめ、なにをおもったのか――単身、アラミタマにつっこんでいった。

 ばたん、と扉がしめられ、鍵までしめられた。


「斑鳩くん!?」


 返事はない。

 ただ、扉のむこうで物音がするだけだ。


「ひとりで戦う気なの!?」


 へたりこんだ庚に目線をあわせるようにしゃがみ、ほとんど光をうしなっているその瞳を見つめて彼女に叱咤する。


「いい。笹木さん。ぜったいに、家のなかに入ったらだめよ」

「……」


 人形のように機械的にうなずいた彼女を確認して、躑躅は庭のほうへ駆けこんだ。家のなかは、不気味なほどに静まっている。

 縁側からはいろうとするが、鍵がかかっていて開かなかった。

 いやな汗がにじむ。

 長い、空間にとけこむほどに暗い色の髪の毛が、風にのってゆれた。

 汗がとたんに風に冷やされて、よけいに汗がにじむ。


「なんで……」


 ぐっとくちびるを噛みしめ、八握剣を握りしめた。きしんだ音。さみしい、風の()

 躑躅は呆然としながらも、胸のうちにうまれた、ぎしぎしとした痛みに顔をゆがめた。


「そう……。そうか……。私がまだ、未熟だから……」


 日霊になって、まだ二年しかたっていない。夜凪は八年だ。だから、足手まといと言われてもしかたがない。

 いきがってみせても、その差はうまらない。けっして。


 (だから、なんだ。私は、日霊(ひるめ)。それしか価値がない。意味がないのに。)


 くちびるを噛んだまま、鍵がかかっている窓にむかって、八握剣をふりあげた。

 

 硝子がわれる音が、響く。 


 きらきらと光る硝子の破片を顔に浴びながら、躑躅はそのまま家のなかに入った。顔に数カ所、傷ができたが構ってはいられない。

 がたん、と、奥で箪笥がひっくりかえるような音がきこえる。


「……!」


 血がほおを伝う。

 ざくろのような色の血が。

 てんてんと、カーペットに落ちるが、彼女にはそれを気にする必要はなかった。躑躅のものではない血液が、床にすでに付着していたからだ。


 彼がいたのは、仏間だった。


「斑鳩くん!」


 藍色のてぬぐいはすでにほどけ、顎にむかって血液がながれている。

 アラミタマは霧状に霧散し、ゆらゆらとゆれている。


「なぜ来た!」

「なぜ、じゃないわよ! このばか!」

「なっ」


 八握剣をにぎりしめ、ふたたびヒトのかたちをとるアラミタマをにらみつけた。

 目と口は白く不気味に光ってはいるが、先刻とくらべるとすこし、弱っているようだ。


「ちょっと、笹木悟! あんた、しゃべれるんでしょ。だったら答えなさい! なぜ、庚を憎んでいるの!」


 八握剣は神聖なる神剣だ。

 邪を祓い、人のおもいをたぐり寄せる。


 しかし、このアラミタマはなにも話さない。ことばを、わすれてしまったかのように。


「ちっ、もう残ってないみたいね。だったら……斬るだけ」

「夜天光!!」


 あれほど遊糸から言われていた鞘を放り投げ、剣一本でアラミタマにむかう姿は、無謀だ。


 あの日も、おなじだった。

 子どもの姿のアラミタマを斬ったあの日も。

 夜凪の目は、彼女の血液を見ていた。

 傷つくことを恐れないという。

 それはどういうことなのか、夜凪にはわからない。どんなおもいで、どんなきもちで生きてきているのか、わからない。

 それでも、傷ついてはいけないと思う。


 ぎああ、という、獣の咆哮が聞こえた。

 

 夜凪の手は、すでに血が流れている。

 砕けてはいないものの、彼の「百代(ももよ)」を振るうことはできない。


 だからこそ――彼女の名を呼ぶしかなかった。


 彼女の呼気が聞こえる。


 手のなかの百代が、ひどく重たい。


「夜天光! やめろ、おまえひとりじゃ無理だ!」

「うるさいわね! あなただって、ひとりで突っ込んだじゃない! いいからそこで見てろ! 私には――、私には……」


 まるで剣舞を舞うように八握剣をふるい、手をやすめない彼女の表情は、ひどく――苦渋に満ちていた。


「私にはこれしかないんだから!!」


 下段から斜めに袈裟斬りを見舞う。砂と砂がこすれるような耳障りな音が聞こえた。

 

 これしかない。

 彼女は、そう言った。


 笹木悟のアラミタマは、霧散しはじめている。おそらく、絶え間なく与えられる攻撃にたえられなくなったのだろう。

 

「これ、は……」


 霧散し始めたアラミタマの姿が、徐々に細長く、とがってゆく。

 躑躅と夜凪が気づいたときにはもう、遅かった。


 

「あ……っ」


 とがった、まるで彼女の八握剣を模したような剣が、彼女を貫いた。

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