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学校がおわり、躑躅が指定した場所にたどり着いたときには、すでにほの暗い闇が町中におりていた。
墓場のまえで立って、5分ほどたったころだろうか。草をふみしめる音がきこえ、顔をあげた。
「ごめんなさい。遅くなっちゃった」
「気にするな。笹木悟の墓はこっちだ」
「分かっているの?」
「おまえを待っている間、住職に聞いておいた」
「そう。さすがね」
どう流石なのか分からないが、躑躅は勇んで薄暗い墓場に足をふみいれる。
「さ、どっちに行けばいいの?」
「……。こっちだ」
先に墓場に足をふみいれた躑躅だが、結局は夜凪が先導することとなった。
彼女は薄暗い墓場に恐がりもせず、ただ夜凪の背中を追う。
奥まった場所に建てられた墓は、たくさんの花が供えられていた。
ふたりは一度手をあわせてから、墓石のあたりを注意深く見下ろす。笹木悟の荒ぶった魂であるアラミタマは、ここにはもういないようだ。
おそらく、笹木庚のところに行っているのだろう。それは、予想範囲内だ。
「やっぱり、ここにはいないようね。まあ、分かってはいたけど。この時間にもう笹木さんのところにいるって言うことは、あんまりいい兆候じゃないわ」
「そうだな。笹木庚について離れなくなるのも時間の問題だ」
「アラミタマはヒトに憑くとなかなか離れないからね――。あれ」
ふいに、躑躅が口をつぐむ。スカートがめくりあがるのも気にせずに、いきおいよく座りこんだ。
ならって夜凪もしゃがみこむと、墓石の下あたりに落ちていた紙切れがあった。それをためらうことなく掴んだ彼女は、目をこらして書かれている文字を読み取ろうとしている。
「ふぅん……。なるほど」
「なんて書いてあるんだ?」
「なんていうか、脅し文句ね。見てみれば分かるわよ」
「……」
紙切れを渡され、それを暗いなかでなんとか読み解く。
そこには、笹木庚に対する脅し文句が延々と書かれていた。その文字はミミズが這ったような字で、読むには苦労したが、とにかく笹木悟は笹木庚をほんとうに憎んでいたらしい。
なぜかはいまだ、わからないが。
「ここにはもうなにもないみたいだから、笹木さんに会いましょう。なぜ憎んでいるのか分からないけど、分からなくても笹木悟のアラミタマを強制的に斬ることもできるし」
「危険だがな」
「日霊はさいしょから危険な仕事じゃない」
彼女はたちあがり、スカートについた土をはたく。ふわりとスカートがゆれて、おもわず夜凪は目をそらした。
暗いなかでも、躑躅の足は決してたちどまらない。
「おい、そんなに速く歩くと危ないぞ」
「分かってるわよ。でも、できたら今日中に笹木さんにあいたいからね……うわっ」
黒いエナメルのローファーが、石を踏む音が聞こえる。ぐらりと目の前の細いからだが揺れて、夜凪はさっと腕をのばした。
横にたおれそうになった彼女の体をささえるのは、これで二回めだ。
そして、石につまづいて転びそうになる姿をみるのも、二回めだ。
「だから言っただろうが」
「……うう」
おかしな声を出しながら、体勢をもどす。まわりはもう、足場が見えないほど暗い。今度は慎重にあるく躑躅の背中を見下ろした。
躑躅の「八握剣」は、駅のコイン・ロッカーにあずけている。夜凪の刀もそうだ。刀を背中にかついで歩くのも、体力がいるからだ。それに、うろうろしていては警察に怪しまれてしまうかもしれない。
墓場から出て、ようやくひと息つく。
「じゃあ、これから笹木さんの家にむかうけど、あなたはどうする? 家に帰ってもいいわよ」
「金をもらうからには、最後までつきあうさ」
「そう。でも、遅くなるってちゃんと家に連絡してある?」
「一人暮らしだからな。その心配はない」
「……そう。じゃあ行きましょうか」
どこか探るような黒い瞳からのがれるように視線をはずす。
夜凪に母はいない。父も、一年前に死んだ。兄弟も、祖父母もいない。ひとりきりだった。
だが、それを誰かに言ったことは一回もない。
言ったとしても、どうにかなるというわけではないからだ。
分かっていた。
諦めているのかも、しれない。ことばは、刃だ。だれかを傷つける。夜凪は、傷ついてきた。うつくしいガラス玉にひびをいれるように。ひびが入ったなら、それはもう、元にもどらない。
「斑鳩くん。どうしたの」
透明なトーンで問われ、躑躅が首をかたむけた。苦しげにべつに、とかえすが、あかるい駅構内の雑踏に、夜凪はおもわずほんとうのことばをはき出しそうになった。
「……まあ、いいけど。私は、なにもしらないから。あなたのこと」
「知る必要があるのか」
「バディーだったひとのことを知りたいとおもうのは、いけないこと?」
「いけないとか、そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題よ」
夜の海のように深く、黒い瞳が夜凪を見上げている。
嘘は通用しないと、なんの意味もないことだと、言っている。
「……俺には家族がいない。家族がどういうものかも、正直わからない」
「……」
同情されるとおもったが、そういう女ではないと分かっている。
だからかもしれない。
口をついたように出たのは。
どうしようもないことばだった。それでも、躑躅はその瞳のいろをくずさない。
「そう。ありがとう。言ってくれて」
「ほとんど強制的に言わされた気がするがな」
「それはごめんなさい。でも、あなたのことをすこし知れてよかった」
くちびるをゆるめて、彼女はわらった。
なんの邪気もない、ほほえみだった。
そして背をむけて、コイン・ロッカーへとむかってゆく。
やはり、むちゃくちゃな女だ。だが、共にいて心地がいい。
そっと息をついて、彼女の背中をおった。




