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「笹木さん。あなたが私に手紙を出したのは、正解だったわね」
「え……。じゃあ……」
「いいわよ。この依頼、正式に受けましょう」
彼女はありがとうございます、とかすれた声で囁いた。
庚を途中まで送ったあと、夜凪は不機嫌な表情で「おい」と彼女をにらみつけた。
彼女はひるむことなく、「なによ」とこたえる。
「本部に言うつもりはないのか」
「事後報告はしてるわよ」
夜凪はどこかあきれたような表情をして、眉間に指をあてた。彼の言いたいことは分かる。「そう言う問題じゃない」とでも言いたいのだろう。
外はもう暗い。
空は星と銀色の月がきらめき、彼女たちを照らしている。
スポット・ライトのようにまるく照らされている街灯の下に立っているふたりの間には、しずかな沈黙が流れていた。
おぼろ夜。
ぼやけている、空。闇。光。
「で、どうするんだ」
「とりあえず、明日の放課後、笹木悟のお墓にでも行ってみましょうか」
「……分かった」
「じゃあ、また明日。斑鳩くん」
長い髪をゆらせて、躑躅は手をふった。
家とは反対方向にむかう彼女に、おもわず夜凪は声をかける。
「どこに行くんだ。そっちは駅と逆方向だろ」
「決まってるじゃない。走ってくのよ。家まで」
「走って……って、本気で言ってるのか? 何時間かかると持ってんだ!」
「2時間やそこらあればつくでしょ。問題ないわ」
セーラー服のまま、屈伸をはじめる彼女に、ため息をつく。なんて無茶苦茶な女なんだ、と。
時計を見るとすでに6時をまわっている。家につくころには、8時をすぎる。
それに今は殺人事件の連続で、警察も敏感になっているのだし、女子高生がひとり走っていれば、世話になってしまうことは間違いないだろう。
「おまえ、そんなに警察の世話になりたいのか」
「そんなわけないわよ」
「あのな。今は連続殺人事件の真っ最中だ。警察があちこち出歩いている。女子高生が一人で走っていれば、職務質問されるぞ。そうすれば、動きづらくなるのは当たり前のことだろ」
「そ、そうかもしれないけど……」
「まだ何か言いたいことでもあんのか」
「わかったわよ。分かった分かった。電車で帰ればいいんでしょ!」
憤慨する躑躅は、くるりと背中をむけて駅へとむかった。
名歌駅につくまで、ふたりはなにも話さず、ただつり革につかまり、電車に揺られている。
窓には、アーモンドのかたちの目と、真っ黒な髪の毛がうつっていた。翠のように、決して明るく、活発ではない。翠のように垢抜けているわけでもない。
「……」
憎んではだめだ。
黒く長いまつげを伏せ、躑躅はぐっとくちびるを噛みしめた。
名歌駅につき、しばらくおなじ道を歩いたあと、ふいに躑躅が足をとめた。
さらりとうつくしい髪が風にゆれる。
月がきれいだった。
「私はね」
糸をほどくように、躑躅はくちびるを開いた。
くびすじに残された髪の毛の束が、するりとこぼれおちる。
夜凪はただ、そのことばの先を待った。
「強くならなきゃだめなの。お父さんとお母さんみたいにならないためにも。まえに言ったでしょ。私だって死にたいわけじゃない。でも、傷つくことは怖くない。それって、おかしいとおもう?」
「……強くなることは、悪いことじゃない。だが、ひとりで強くなることはできない。ひとりで強くなれると考えているのなら、それはうぬぼれだ。傷つくことが怖くなくてもな」
「言うわね」
夜凪は、そっと息をのんだ。躑躅のほほえんだ顔は、銀色の月のようにひんやりとしていた。
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーの「フラニーとゾーイー」のように、自分自身の思いたちを星くずのようにちりばめた姿が、そこにはあった。
「そうね。ひとは、ひとりでは強くなれない。たしかに、そうよ。うぬぼれよね」
「なぜ、そんなに強さにこだわるんだ」
「強かったら、傷つかないでしょ」
「言ってることがめちゃくちゃだな。おまえは」
「どうも」
紺のハイソックスをはいた足が、一歩、踏み出される。それからは、彼女が立ち止まることはなかった。なにかを振り切るように、あるいは何かをかかえこむように。
しぶる躑躅を無視して、夜凪は彼女の家まで送り届け、そのままマンションへ帰っていった。
ちいさくなっていく夜凪を、彼女は見送った。
彼のことは何も知らない。おそらく、名前しか知らないのではないだろうか――。
そう思うと、どこか悔しい思いが躑躅のこころを揺籃のようにゆらす。
考えるよりも、行動した方が何倍もはやい。
つまさきを地面につけて、一気に走る。冬になるまえの、冷たい刺すような痛みをほおに感じた。飛ぶように走り、やがて驚いたような表情をした夜凪のまえに立った。
「どうしたんだ」
「スマホかして」
「は?」
「スマホかせって言ってるのよ!」
有無を言わさず、夜凪がもっている鞄を取り上げる。力が入っていなかったからか、女の力でもすぐに取り上げることができた。
「おい!」
しかし、革の鞄のなかをいくら探しても、スマホはどこにもなかった。
「ちっ。ないじゃない。どこに隠してるのよ!」
「なにカツアゲみてぇなこと言ってんだ!」
「私がほしいのは、財布じゃなくてスマホよ」
「ああもう、分かったから、鞄のなかをひっくり返すのはよせ」
躑躅の手から鞄を取り返すと、おとなしくスマホを差し出してくる。
街灯の真下に移動してから、彼のメール・アドレスと電話番号をさがす。おなじアンドロイドだったから、探すのは簡単だった。躑躅は自分のスマホにアドレスをうつすと、満足げな表情をして夜凪にかえした。
「何をしたんだ」
「なにって、アドレスよ。あなたのアドレスを私のスマホに登録したの。ただそれだけ」
「……だったらふつうに聞けばいいだろ」
「ごちゃごちゃうるさいわね! いいのよ、分かれば」
ふつうの女の子の聞き方なんてしらない。
興味もない。躑躅はふつうの女の子にはなれないのだから。
砂糖菓子のようなかわいい女の子には、もうなれない。
日霊になったときから。




