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そういえば、(すっかり忘れていた)今日は約束の日だった。
ラズベリーピンクの便せんで手紙を書いた主に会わなければならない。しかし名前は書いておらず、誰が書いたのかは分からない。おそらく女子だろうけれども。
文面はていねいだった。だが問題は内容だ。
――夢を見る、と。父の夢を。
父が死に、そしてその夢を見るらしい。夢の中の父親は憎らしげに(おそらく「彼女」だろう。)自分を見つめ、黄泉にひきずりこもうとする、と。
怖くて、夢をみるとが怖い、とも書いてあった。
「……で、なんであなたがここにいるのよ?」
待ち合わせ場所に指定された場所は名歌駅よりもひとつ前の駅のスターバックスだ。そして窓際の席の、奥から二番目。事細かに指定された場所にいたのは、斑鳩夜凪だった。
彼はコーヒーすら頼まず、ただそこでじっと窓の外を見つめていた。
「……別に」
「別に、って。まあ、いいけど。悪いけど、ちがう場所に移ってくれない? 私、この席に用事があるの」
「なんの用だ」
聞いているのかそれとも脅しているか分からない声色で、躑躅を睨んでくる。
だがそんなことで怖いと思ってしまったら、アラミタマと戦えない。
「依頼よ。私あてにね」
本当のことを言わなければ、おそらくこの少年は死んでもどかないだろう。そして、こちらの都合なのだから、本当のことを言わなければ失礼だろうから。
「依頼?」
「ええ。アラミタマ関連のね」
「ひとりで解決するつもりか」
「そうよ。ずっと、そうしてきたもの」
「――よく、生きてこれたな」
ぼそりとつぶやき、夜凪はじっと真珠のような瞳の躑躅を見上げた。その言葉におもわず「どういうことよ」とつぶやいてしまう。
「おまえ、死ぬつもりか」
「………」
「俺には、そう思えるがな。死に急いでいるようにしか見えない」
「だから、どうなのよ」
依頼人はまだ、きそうもない。まだ10分あるのだから。
「私が死ぬのは戦うときだけ。だから、それに遅いも早いもないわ。日霊になったときから、それは決められているのよ。私も――あなたもね」
「死にたいと、思っているのか? おまえは」
「そうは言ってないわよ。でも――そうね。私にとって大事なものは私じゃない。そういうふうに見れば、そうかもね」
いつまでたっても夜凪がどかないので、しかたなく目の前の椅子にすわった。いらっしゃいませ、という若い女性の声が聞こえてくる。放課後だからか、混雑してきたが、夜凪はけっしてここをどこうとはしない。
「じゃあ、おまえにとって大事なものはなんだ」
「あなたが答えたら、答えるわ」
「………」
なにもいわない。
それでいい。大事なものなど、気安く口にするものではないのだから。
「――あるひとの命だ」
ゆるがぬ瞳で、夜凪は呟いた。
いのち。
だれかの、いのち。
躑躅の胸が、かすかに――ほんのかすかに、ずきり、と痛む。
「……そう。いいわね、そのひとは。そんなに思ってくれる男の人がいるんだから。そうね、約束だもの。言うわ。私は――」
「いい」
夜凪は、はっきりとかぶりを振り、拒絶をした。
言わなくていい――と。彼はそう言う。
「そういうのは、強制的に言わせるもんじゃねぇ」
「じゃあ、あなたは――」
「いいんだ。俺は。……今回の依頼、俺も加わらせろ」
「は?」
意味の分からない事を言ったと思ったら、今度は「加わらせろ」と。
藍色の手ぬぐいのしたにある鋭い目が、躑躅を射貫く。黒い瞳が、じっと彼女を見据えていた。おそらく、本気なのだろう。
「報酬はすべておまえが取っていい。おまえの取り分は10割だ。なにも文句ないだろ」
「……大ありね。あなた、分かってないわ。10割分損して、どうやって信用しろって言うの? 人は、見返りがあるから働けるのよ」
「………」
躑躅の目を見つめたまま黙っている彼は、そっと目を伏せて「そうか」とつぶやいた。
「俺はまだ、信用に値しないと言うことか。そうだな。その言葉、きれい事の言葉よりもよほど信用できる」
「でしょうね」
冷めているわけではない。
ただ、現実をみつめた結果、こうなっただけだ。誰も、わるくなどない――。
「――おまえの取り分、7割でどうだ? それなら文句ないだろ」
「甘いわね」
「6割」
「いいわよ。四六ね。それなら信用できるわ」
「ったく、おまえは面倒くせぇ女だな」
「あら。現実的って言って」
そっとほほえみ、せめて軽口をたたいておく。
誰もわるくなどないのだ。誰かが冷めていても、誰かが現実をみつめていても、その結果、その瞳になにを映そうとも。
誰も、なにもわるくなど――ない。
「――あの」
金木犀のような、甘いかおりのする声。
振りかえると、か弱そうな少女が立っていた。おそらく、この町の高校生だろう。制服はブレザーで、チェックのスカートをはいている。
「……夜天光、躑躅さんですよね?」
「そうよ。あなたが、私に手紙をくれた子ね」
「そうです。笹木庚です」
「笹木……? 違ってたら悪いけど、もしかして、例の事件の?」
彼女は悲痛に――うすい瞼を伏せてうなずいた。
白い手が鞄を握りしめ、うつむく。躑躅よりもすこしだけ短い髪の毛をゆらせて、ゆっくりと躑躅の瞳を見上げた。
そして、不安そうに隣の夜凪も見つめる。
「あの、このかたは……?」
「私とおなじ、日霊だから。力になってくれると思うわ」
「でも私、お金は……」
「ああ、いいのいいの。あなたに断らずに私が決めたんだもの。ひとり分でじゅうぶん」
「そうですか……」
ほっとした表情をうかべるもすぐに沈痛な表情をし、くちびるをぎゅっと噛んでいる。それはそうだろう。おそらく、彼女の父親が被害にあい、犯人も捕まっていないとなると、不安だろう。
「まあ、立ち話もなんだから座りましょう」
椅子がひとつないが、仕方がない。躑躅は立ったまま、彼女の話を聞くことにした。
「夜天光、座れ」
「いいわよ、立ったままでも」
「いいから」
そこまで言われて断っても彼の顔がつぶれてしまうだろうから、素直に座る。
外はすこしだけ暗くなり始めていて、急がねばならないだろう。
「どうもありがとう。さて、お話を聞きましょうか。笹木さん」
「はい。父が亡くなったその日の夜――。夢を見たんです」
「どんな夢?」
彼女はひどく辛そうに眉をひそめた。細い髪の毛が額にかかり、揺れる。かすかにふるえているのだ。
「死んでしまえ――と。黄泉の道に、引きずり込まれそうなんです。その言葉をきいていると。ヨモツヘグイの食べ物を食べさせたいんです。父は」
「なぜ、そう思うの?」
「だって、毎日、なんです。毎日毎日、夢を見るんです。ヨモツヘグイの夢を」
恨みがましそうに見つめる父親の目に、たえられない。彼女は泣き出しそうになるくらいに、つぶやく。
「それで、噂を聞いて……。18時に公園のベンチに手紙を置いておくと、たすけてくれるって」
「なるほど。おそらくそれは……」
笹木悟――。彼女の父親の魂がアラミタマとなり、娘を祟っているのだろう。




