愛されたいが故に
――何故こうなった。
彼は自問している。頬を涙で濡らしながら。
嗚呼……、私の愛しい、愛しの彼は、何をそんなに悲しんでいるのだろう。
何も悲しむべきことなんてない。そうだ、今日は喜び歌って踊り狂おう。だって素敵な日じゃないか。
私と貴方の記念日だよ。どうして泣いているのかしら。
「なあ!」
嗄らした声で、彼は叫んだ。
そんな悲痛な声で泣かないで。
その声は私の胸を掻き毟ってくる。その声は愛しい貴方の唇に紡がれて、優しく私の耳に響く。彼のどんな言葉にもときめき、突き上げてくるのは――、溢れんばかりの愛情。
「何でこんなことしたんだよッ!」
彼の言葉は私を責めるものだけれど、私は悪くない。悪くないのだ。
そう――……悪いのは、“アイツ”。
私だけの彼の膝の上に、頭を乗せて眠っているショートカットの女の子。その子がいけないのだ。
彼は、私だけのモノなのに。
彼の目に映っていいのは私だけなのに。
彼の耳に入っていいのは私の声だけで、彼の心を占めていいのも私だけだ。
それなのに――。
それなのに、その子が貴方に愛想を振り撒いて、媚びて誑かすから。
邪魔者を排除しただけの私に非難されるいわれはない。罪悪感だって、彼に詫びたいという気持ちだって感じてない。
涙で濡れた彼の目を見つめながら、私は長い髪をパッと後ろに払った。
「私がやった訳じゃないのよ。そこの――……、下衆が自分で飲んだんだもの、睡眠薬」
嗚呼、汚い言葉を使ってしまった。だけどこの言葉以外に、この雌豚を表す言葉なんてないから、しょうがないよね。
「でもここまで追い詰めたのはお前だろうっ!」
「仕方ないでしょ、そいつが貴方に愛を囁いたんだから」
そうだ、これはしょうがないことだ。
その子は確かに私より可愛いし性格もいい。でもだからって、彼を、私という存在で満足している彼を、私から引き離そうとするなんて許せない。ゆるせない。
だから――、私はソイツに嫌がらせをした。
彼女の部屋を血糊と赤いペンキで染め上げて、『死ね』って床とか壁とかに書いた。靴に画鋲を投げ込むこともした。呪いの手紙も切り刻んだ写真ももちろん使ったけれど、開けたら髪やカッターナイフの刃がいくつも出てくる手紙には驚いてくれただろうか。毎晩毎晩、違う電話から電話をかけて、怖がる彼女にテープに録音した不吉な音を聞かせた。彼女は幽霊みたいなものに弱いらしいから、これは結構効いたらしい。
謝っただけでは許さない。私と彼の邪魔をする存在は、綺麗に消さないといけないでしょう? それが例え誰であっても、もう二度と彼の前に現れることができなくなるように、消してしまえばいい。
だから自殺まで追い詰めた。
本当はリストカットでもして派手に死んでくれたらいいなと思っていたけど、彼が汚れてしまうから気にしない。
「何でっ……、何で! こいつは、この子は俺の従妹だぞ!!」
彼が声を張り上げた。
何がそんなに悲しいのだろう。理解できない。彼は、私しか見えなくなったことを歓喜するべきなのに。
「だから?」
首をかしげてそう問うと、彼は目を見開いた。その表情を彩っていたのは、明らかなショック。
彼はより一層嗚咽を激しくし、膝の上で虫の息の従妹の頭を撫でた。
その仕草に、私の神経をドロリとしたどす黒く鋭い感情を駆け巡る。
その感情が向かう先は、彼じゃない。自殺を図ったゴミの女にだ。
でも、これ以上彼を泣かせるのは可哀想だな。
「ねぇ、……そんなに言うんだったら、助けてあげる、その……女」
私は嫌悪に顔がゆがみそうになるのをこらえて、ポケットから携帯電話を取り出した。
画面に表示されている数字は、1と1と9。
救いの言葉を聞いた彼は、予想通り表情を輝かせた。少し癪だったが、彼が喜ぶのならなんだってしてあげよう。
「……本当か?」
「嘘吐いてどうするの。もちろん本当だよ。でも、ひとつ言って欲しいことがあるの」
「…………?」
私は彼のすぐ傍まで歩いて行って、目の前でしゃがみこんだ。
視線と視線がぶつかる。その大好きな黒い目に見つめられ、私の鼓動は早くなる。
「――私を愛してると言って」
「え?」
何故だろう、彼は躊躇を見せた。否定するかのように、首を横に振っている。
彼は、愛していると言えないらしい。言いたくないのかもしれない。
でもそれは、どうしてだろう? もしかして――、もしかして、彼は私を、愛していないの…………?
――そう思った瞬間、私の理性は吹っ切れた。
貴方の全てを愛している。
貴方の全てを望んでいる。
貴方を見ていると満たされるの。
私が貴方のことを愛しているように、私も貴方に愛されたい。体の隅々まで愛でて、心の隙間も埋めて欲しい。
貴方にだったら何されてもいい。でも裏切られるのは嫌い。
私には貴方しかいない。貴方以外の人はいらない。だから貴方にも私しか見てもらわないと嫌なの。
好きだよ。大好き。
貴方のことを愛してる、もちろん。心の底からの愛情を、捧げましょう。
でも足りないの。それだけじゃあ足りないの。
私を愛して。貴方の愛が欲しい。全身が貴方の愛を欲してる。
その愛を掠め取ろうとする奴は皆殺してやる。
貴方の一番になりたい。
愛してる。愛してる。愛されたい。愛してるよ。愛して、愛して!
「私をッ、離さないでっ! 愛してるって言ってよぉ!」
気が付けば、私の両手は彼の首を絞めていた。持っていたはずの携帯電話は床に転がっている。
彼はハッ、ハッと浅い息をしながら、口にする。
「……あ、い…………してる、よ……………」
とてもとてもか細い声だけど、私にはそれで充分だ。
私は微笑みながら、彼の生温かい首から手を離した。
言ってもらえた、愛してるって。彼はまだ私のことを愛してくれている……!
それだけで私の心は喜びに震える。
でも、でもね……。
「私もよ。私も愛してる」
右手をポケットに突っ込み、私はそこから凶器を引き抜いた。
「でも、他の女に目移りするぐらいなら、その目は要らないわ」
少女の手には鋏があり、その切っ先が刺さっているのは――。
一拍間を空けて、少年の絶叫が空を切り裂いた。
……愛してるよ。
今日は一緒に喜び歌いましょう。
――邪魔者が消えた嬉しい日。
――貴方と私の愛が深まった、記念すべき日。