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西の大国の襲撃からかなりの歳月が流れた。鍛冶村の人々の記憶の中に、あの恐ろしい事件のことはすっかり薄らいでいた。
「カイ、北の泉の部族から使者がやってきた。今度新しい長の即位式があるので、ぜひカイとソルエさまに、長が身に付ける装飾品を作ってほしいということだ」
彫り方の親方はそう言うと、カイの前に泉の部族から贈られたインコの羽やアルマジロの甲羅、硬貨の代わりとなる銅片の束、そして木の実や動物の肉などたくさんの食料を広げて見せた。
「北の泉の部族なんて、大きな部族じゃないか。すごいな、カイ」
「ソルエさまとカイの金細工の腕は、広く知れ渡っているからな」
「神に仕える巫女ソルエさまが作る金細工は神聖なものだと崇められているらしいぞ」
周りにいた仲間たちが、カイに羨望のまなざしを向けた。
「森で遊んでいるやつに仕事を持っていかれちゃたまらないな」
カイの後ろで金を彫っていた男が、面白くなさそうにはき捨てると、金板を放り投げて立ち去ってしまった。
「ニプラムのやつ、カイの金細工の評判が上がる前は、自分が村で一番の彫り方だと思っていたものだから、面白くないのさ」
「気にすることないさ」
仲間はそう慰めたが、このときカイは、ニプラムの態度がそんな単純な理由では済まされないような気がしていた。ニプラムの個人的な嫉妬に収まらない何かを感じていたのだった。
「カイ、この中からソルエさまに一番美しい羽を持っていったらどうだ」
親方が言った。
「しかし……」
金細工と交換したものは、部族の者に平等に分けられることになっている。
「何、気にすることはないさ。インコの羽は祭事のとき着飾るために使うものだ。わしらには必要ないだろう。
それより、ソルエさまに上等の金細工を作っていただけるように、よく頼んできておくれ」
「わかりました」
親方の言葉に納得して、カイは鮮やかな七色の艶のある羽をいくつか選ぶと、森の神殿へ持っていった。
神殿の上に上がると、ソルエがこつこつと石柱に彫り続けている動物たちが賑やかに迎えてくれる。最も奥の、ソルエの部屋の手前の柱には、あの神聖な鳥人が物憂げに横を向いていた。
カイはいつもその鳥人に挨拶するように軽く会釈をしてソルエに呼びかけるのだ。しかし鳥人はまるでカイの姿など気にしないように常に遠くを見つめていた。
「ソルエさま……」
「カイ、良く来てくれましたね」
ソルエはいつもそう言ってカイを迎えてくれる。
「鍛冶村に北の泉の部族から使者がやってきました。新しい長の即位式に使う装飾品を作ってくれと頼まれたのです。是非ソルエさまと私に作ってもらいたいのだそうです。すごい話でしょう。
誰も見たことがないような美しい金細工を作るのが私たちの夢だったではないですか。素晴らしいものを作ろうじゃないですか。
使者の持ってきた品から一番良いものをソルエさまにと、これを選んできたのですよ」
カイは、薄布の下から七色のインコの羽の束を差し入れた。
しかし薄布の向こうからは小さな溜め息が聞こえてきた。
「……カイ。せっかくだけど、私は鳥の羽を身につけることはできないわ」
カイははっとして、羽を引き戻した。鳥を家族のように思っているソルエに、鳥から引き抜いた羽など贈るとは。
「すみません。私はなんということを」
「いいのよ。気持ちはうれしいわ。
でも気をつけたほうがいいわ、カイ。部族に届けられた品は平等に分けるのがきまりでしょう。 私たちが会うことも、こうして贈り物を優遇してもらうことも、もしかしたら快く思わない人がいるかもしれないわ」
ソルエの言葉で、カイはニプラムの姿を思い出した。ソルエはさらに続ける。
「カイ、あなたに言わなくてはいけないことがあるわ。
今まで私のわがままを聞いてくれて嬉しかった。でも、いつまでもカイに甘えていては、カイの立場が悪くなる一方だわ。泉の部族に届ける分を作り上げたら、もう二度と会うのはよしましょう。
だから、最後には立派なものを作り上げましょうね」
突然の話に驚いて、カイは立ち上がると薄布を掴んだ。
「ソルエさま、私には何も困ったことはないのですよ。なぜ急にそんなことを」
「カイ。あなただけでなく、私のためにも、部族のためにも、そうすることが一番だと思うの。
本当はもっと早くそれを伝えなくてはいけないと思っていたのに、決心がつかなくてあなたには悪いことをしたわ」
カイが反論する余地がないほどソルエの決心が固いことを、毅然としたその口調が表していた。
そのときになってソルエの存在が生活の大部分を占めていたことに、カイは気づいた。ソルエに会いに来ていたのは、彼女のためでなく自分のためだったのだ。
薄布を掴んだままカイは崩れるように膝をついた。
「私がここに来ることで、部族に争いの種を蒔いてしまうなら、私はあなたの言葉に従うしかありませんね。
でもどうか。最後に作る金細工にあなたへの想いを込めさせてください」
それきり、ソルエは何も言葉を返さなかった。