表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

8




 西の大国の兵士を追い払ったあと、鍛冶村には以前と同じ平和なときが訪れた。

 それまでと違うのは、カイが巫女に会いに行くことを咎めようとする者がいなくなったことだ。

 ソルエはカイと会うとき、神殿の薄布ごしに話しかけるか、そこから出てくるときには必ずヴェールで顔を隠していた。だからカイは部族のタブーに触れることは無いと信じていた。

 そして村の人々は、カイが巫女との仲介をすることで鍛冶村が守られると思った。

 巫女から直々に鳥笛を授けられているカイは、西の大国の再度の奇襲から鍛冶村を救う重要な存在だった。


 さらにカイは、巫女の手がけた素晴らしい金の装飾品を持ち帰ってくるのだ。

 それらは近隣の部族の間で大変な評判となった。

 小さな村を強大な国の軍から救った巫女の噂は、近隣の様々な部族に知れ渡った。その巫女が作る装飾品は森の守護霊が宿る神聖なものとして評判を呼んだのだ。

 長たちがそれを身に付けることが部族を繁栄に導くと信じられた。

 西の大国との取り引きを失った鍛冶村にとって、これは幸運なことだった。これまでどおりに様々な取り引きの品が手に入り、豊かな生活を送ることが出来るのだ。


 それゆえカイが釜方の仕事を辞め、彫り方となってソルエとともに金細工を作ると言い出したときも、鍛冶村の者たちは反対しなかった。むしろそうしてもらいたいと頼んだほどだ。


 カイはあの幼いときと同じように、毎朝森の神殿へと通った。そしてふたりで金細工を作り続けた。

 ただそれだけの毎日だったが、カイにとってはこの上なく幸せな時間だった。もちろんソルエにとっても。

 以前のように、ソルエの作品を自分の作ったものと偽る必要はない。

 彼女が平らな板に彫り出す活き活きとしたモチーフたちに素直に感動し、その魅力を生かすようにそれらを叩き出して浮き上がらせる作業をしているうちに、カイ自身もソルエが描くような魅力的な絵柄を彫り出せるようになっていった。


 そうして、穏やかで幸せな日々は続いていった。


 そんなある日、神殿の頂上に上がったカイは、ソルエの部屋に続く柱のひとつに、なにやら模様が描かれているのを見つけた。

 以前カイが描いた翼のある人間、ソルエを象徴したあの絵柄が柱の石に刻まれていて、削られた部分には金細工を作る際に落ちる金粉がきれいに埋め込まれている。もちろん彫った人はひとりしかいない。

 カイは神殿の奥に進んでいくと、あの薄布のかかっている部屋の前に来て跪いた。


「ソルエさま、カイでございます。

 あの柱の彫刻はいったい……」


「カイ、気付いたのね。カイはあれをどう思ったかしら?」


「驚きました。あのように石に金の絵柄を浮き上がらせることができるとは」


「カイが置いていった道具を使って、金を彫るように石に絵柄を刻んでみたの。金のように柔らかくはないから、キリの背中に叩き棒を当てて力を込めて描いたのよ。仕上げに、キリの傷跡に金粉を埋め込んだら、模様がきれいに浮かび上がることを発見したのよ。ふふ。面白いでしょう。

 鍛冶村の伝統の模様を石に刻めば、永遠に残すことができるんじゃないかしら」


 薄布の向こうのソルエは無邪気に笑った。


「それはいい考えです。石は金板のように簡単に熔かすことはできませんからね。私たちの伝統の模様が永遠に残ります」


「カイ、随分前に私が言ったことを覚えているかしら」


「何でしょうか」


「あなたには、部族の伝統を伝えていく役目があるってことを」


「……確かに。覚えています」


「どんな場所でも、どんな方法でも、こうやって『しるし』を残すことができるのよ。私たちがここに生きていたというしるし。鍛冶村が存在したというしるしを。

 カイに覚えておいてほしいの。限られた人間だけが持つ金でなくても、どんな人の目にも触れる形で永遠にそれを残していく方法があるということを」


「私にそれを刻んでいく役目があるのだと?」


「そう。カイの使命よ。何があってもあなただけは生き抜いて……」


「止めて下さい。ソルエさま。鍛冶村は何も変わりはしませんよ」



―― 何も……変わらない……きっと ――






 苔だらけの重い石柱を抱え、フィルは密林の中を歩き続けた。

 

―― これをなるべく遺跡から遠くへ、誰にも見つからない場所へ…… ――


 石の重さと、それをどこに持っていっていいのか迷っているせいで、深い密林の中をまるで酔っ払いのようにふらふらと彷徨い歩くフィルの姿は異様だ。


 幸いその日は、隊員のほとんどが、石積みの遺跡から数キロ離れた場所で発見された遺跡の調査に行っていたために、拠点となっている遺跡の周辺には誰もいなかった。

 フィルは具合が悪いので少し休みたいと申し出て、ひとりでベースキャンプへと戻ってきたのだ。

 誰にも知られないうちに、ガブリエルの刻まれた石柱の欠片を隠してしまおうと考えたからだ。


 遺跡から森のだいぶ奥へと分け入ったところに、洞窟の入り口らしきものが見えた。気持ち良さそうに眠る巨人の口のように、潰れた楕円形の形の穴が少し上を向くように開いている

 あの真っ暗な口の中に放り込んでしまえば、この石柱は永遠にその闇の中で眠り続けるだろう。

 ようやく目的地を探し当てて、今までおぼつかない足取りだったフィルは突然、石の重さなど物ともせずに駆け出した。


 もうじき洞窟の入り口に達するというとき、フィルの腕を誰かが思い切り引っ張った。

 急に腕を取られたせいで、フィルは抱えていた石柱を地面に投げ出してしまった。ぼこっと鈍い音を立てて、石柱は湿った柔らかい腐葉土の中にめり込んだ。


「おい! 何をやってるんだ!」


 フィルの腕をしっかりと捕まえて、ロドリゲスが彼を睨みつけていた。


「新人の様子がおかしいから、気になって見に来たんだ。キャンプには見当たらねえし。周辺の森を探していたら、石を抱えて夢遊病者みたいにうろついてるあんたを見つけた。いったい何をやってた!」


 ロドリゲスはフィルを叱りつけるように大声で訊いた。


「別に何でもない! あんたには関係ない!」


 フィルもロドリゲスの脅しに負けまいとするように、大声を出した。しかし、その目は真っ直ぐにロドリゲスを捉えず、何かを警戒するように忙しなく周辺を見回していた。


「関係なくはない。今のお前さんは頭のイカレた奴みてえだ。森の中を重たい石を持ってうろうろしてるなんざ、まともじゃない。どうしちまったんだ」


「この石に刻まれたものを興味本位の奴らに見せたくない。ここに刻まれたのは、僕とソルエさまだけの大切な思い出なんだ。永遠にふたりだけの秘密だ。僕らの秘密を暴かれる前にこの証拠を葬り去るんだ!」


 熱に浮かされたように盛んに目を泳がせて、息継ぎもせずにまくし立てるフィルに、ロドリゲスは今度はその両肩を掴んで強く揺すり、怒鳴りつけた。


「お前はフィルだ! 二十一世紀に、ここの遺跡の調査団にくっついて勉強しに来た学生だ!」


 ロドリゲスの言葉で我に返ったフィルは、そろそろとその目線をロドリゲスの鋭い視線に合わせた。


「…………僕はいったい、何をやっていたんだ……」


 さっきの剣幕とはうってかわって、か弱い声で呟くフィルに、ロドリゲスは盛大なため息を吐いた。


「お前さんは森の魂のインスピレーションを得てからおかしくなっちまったようだ。お前さんがそんな霊媒体質だとは知らなかった。そそのかした俺の責任は大きいな」


「僕はそんな体質を持ち合わせてないよ。幽霊だって一度も見たことはない。もちろん取り憑かれたこともない」


「それじゃあ、その森の少年の魂とお前さんに何かひどく呼び合うものがあるのかもしれん。

 悪いことは言わない。今すぐこの森を離れるんだ。俺が近くの村まで案内してやる。調査団のほうも最後まで面倒みてやらなくちゃならないから、お前さんを送ったら俺はまた戻るが、村まで行けばひとりでなんとか帰れるだろう。早いとこ、なるべく遠くに行ったほうがいい」


「でも、カイは僕にだけメッセージを送ってくるんだ。カイのメッセージを最後まで受け取らなくちゃならない」


「その前にお前さんがイカレちまうよ。そこまでして知る必要はないんだ。お前さんひとりがそれを知ったからといって、過去が変わるわけじゃない。そのうち奴の魂は諦めてどっかへ消えていくさ」


 それを聞いてフィルは悲しげな顔になり、しばらくロドリゲスの顔を見つめていた。ロドリゲスは「大したことじゃない」と言うように大きく頷いて見せた。


 やがて、フィルは足許に転がった石柱に目を遣った。ちょうどフィルが苔を落とした翼と人間の横顔の彫刻が上を向いていた。初めて見たとき思わず『大天使』と呼んだその彫刻が、本当の天使の像のように彼の心を癒し、解きほぐしていくのを感じた。

 フィルはようやく冷静さを取り戻した。


「……いや、必要以上にカイの意識に同調しないように気をつけることはできる。これ以上踏み込んではいけない境界線に今気付いたから大丈夫だ。カイのメッセージを、彼の体験のインスピレーションを最後まで受け取ってやりたい」


 そう言ってロドリゲスに目を移し、大きく頷いて見せた。

 そのときのフィルの目はさっきとは違い、しっかりと自分の意識を保っているようだった。その目を見て、ロドリゲスはようやく安心を得たようだ。


「そうまで言うのなら、最後まで奴の声を聴くことだな。奴の想いを感じ取ることだな。だが、暮々も気をつけろ。さっきみたいな状態になっちまったら、いやそれ以上おかしなことになったら、俺は助けてやれん。もちろん俺以外の人間はもっとアテにならない。お前さんを守るのはお前さんだけなんだ」


「分かってるよ。気をつける。ただ、これまでと同じように僕の受けたインスピレーションの話を聞いてくれ。最後まで」


「ああ」と言って、ロドリゲスは微笑んだ。そういう契約なら別段結んでも構わないというように、フィルの肩を軽く抱き、帰り道へといざなった。

 そこを後にするとき、フィルは腐葉土の中にめり込んだ石柱に薄く土をかけてガブリエルの姿を隠した。 


 森の奥深くに運ばれてきたガブリエルは、よほど運が悪くない限り、今後誰かの目に晒されることはないだろう。あるいはそれは、巫女ソルエの、または少年カイの意志だったのかもしれない。



 そして、フィルはその晩も少年カイの魂から続きの物語を聴く。

 フィルたちがその森を離れる日は、あと三日に迫っていた。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ