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まだ暗い森をたいまつの明かりを頼りに、カイと数人の男たちが歩いていく。
ここのところ、村の周辺では質の良い薪が取れず、釜の火に勢いがなくなってしまった。金を精錬するための高温の火を熾すためには、良質の薪が大量に必要だ。
そこでカイたち若者が、深い森の奥まで薪を取りに行ったのだ。
夜明けにはまだ程遠い。暗い森には夜行性の猛獣もうろついている。しかし、夜明けとともに始まる釜の火入れに間に合わせるために、カイたちは命がけで漆黒の森を進んでいった。
朽木につまずいてよろけると、カイの胸元で、皮ひもにくくりつけて首から提げているソルエの鳥笛がはずむ。そのたびにカイは冷や汗をかいて鳥笛を抱え込んだ。
『鳥笛は常に肌身につけておくように』という長老の言葉を守っているのだが、このときだけは家に置いてくるべきだった。壊してしまっては元も子もないではないか。カイはひどく後悔した。
黒い空が、ほんの僅かに青みがかってきたころ、ようやく目的の場所に着いた。
カイたちは、たいまつのあかりで焚き火をおこすと、めぼしい枝を斧で切り落とし、枯れ落ちた枝を集め、その中から良さそうなものを選んでは蔓で編んだ籠に入れていった。
作業の途中でふと目を上げたとき、森の奥の暗闇に小さな灯りが揺れたように感じて、カイは手を止め、灯りが見えたと思った方へじっと目を凝らした。
夜明けが近いとはいえ、森の闇はまだ深く、そこには奥行きも分からない暗黒があるだけだった。しばらく見つめていたが何も見えない。思い過ごしだったのだろうか。しかし、何か気に掛かるのだ。
「カイ、お前の籠の分の薪も俺に集めさせるつもりか?」
仲間に声をかけられて、カイははっと振り向いた。気づくと仲間の籠はもうすぐいっぱいになりそうだ。
「すまん!」
慌てて薪を集め始める。しかしやはり、灯りを見た闇のほうが気になって仕方がなく、どうしてもちらちらと目をやってしまうのだった。
そのうち段々と胸騒ぎが大きくなってきたカイは、いてもたってもいられなくなり、適当に籠をいっぱいにすると仲間に告げた。
「嫌な予感がする。急いで村に帰ろう」
東の空がうっすらと明るくなってくると、鍛冶村の人々がぽつりぽつりと作業場に集まり始める。釜に火を入れる準備をするのだ。
わずかに残った薪を集めるといくつかの釜に火を入れることができた。残りの釜の準備はカイたちが戻ってくるのを待ってから始めることになった。
空がさらに明るさを増し、森の中にも淡い光が届き始めた。
カイたちを待ちながら、森のほうをぼんやりと眺めていた村人たちは、何か様子がおかしいことに気づいた。木々の陰からちらちらと何かの影が見え隠れする。
最初は獣だろうと誰もがあまり気に留めなかったが、森が明るくなっていくにつれて、その影がひとつやふたつではないことがわかった。その不気味な影は村の周囲すべてを取り囲んでいたのだ。
「な、なんだ?」
「うわぁ」
「ひいぃ」
異様な光景を目にして、村人は悲鳴をあげた。逃げ惑ってぶつかり合い、村の中は騒然となった。
村人が騒ぎ始めるのを待っていたかのように、木陰に隠れていた影が一斉にその姿を現した。
それは槍や斧で武装した異国の身なりの男たち。彼らは一寸の隙もなくびっしりと並んで、村を包囲していた。
「西の大国の兵士だ!」
その姿に見覚えのある村人が大声で叫んだ。
騒いで走り回る村人とは対照的に、兵士たちはゆっくりとその包囲網を縮めていく。もはや逃げる場所を失った村人は、身近な家に飛び込み、その中で息を潜めてじっとしているしか手立てはなかった。
しかし茅葺きの粗末な家など、兵士数人が攻めてくればすぐにつぶされてしまうだろう。人々は身を寄せ合って恐怖にうち震えていた。
村人の騒ぎが収まるのを見計らって、包囲網の中からひとり、立派な黄金の甲冑をまとった大男が現れた。彼は鍛冶村の中にズカズカと入り込んでくると、中央の広場で仁王立ちになり、地面を揺するような大声を張り上げた。
「私は西の大国の将軍、サマンチャミンだ!
鍛冶村の長老よ。遣いの者から話は聞いておろう。返事を聞かせてもらいに来たぞ」
サマンチャミン将軍のギョロリと大きな目が、静まり返った村をゆっくりと見回している。家の中から様子をうかがう人々は、将軍の目が自分の方に向けられるたびに凍りついた。
長老の家に隠れていたヤシュが、隙間からその姿を覗き見て、あっと息を飲んだ。
「長老、わしを追い返した皇帝の側近というのは、あの男です」
ヤシュは、睨みつけた相手を凍りつかせてしまうようなあの不気味な目を忘れることはできなかった。
村をゆっくりと一周見回したところで、将軍の視線は小屋から出てきた小さな老人に留まった。
「鍛冶村の長老か?」
「さよう。わしが鍛冶村の長老だ」
サマンチャミンは、その大きな体を長老の正面に向けると、小柄な老人の頭の上に顎を突き出すような形でぬうっと迫ってきた。長老は動じず、サマンチャミンの胸の辺りを見据えたまま、まっすぐ立っていた。
「話は聞いておろう。わが皇帝はお前たちの腕を買って、都での豊かな暮らしを約束してくださるとおっしゃるのだ。悪い話ではあるまい。断る理由はなかろう」
それを聞くと長老は、初めて顔を上にあげ、サマンチャミンの大きな目を睨みつけた。
「いや。その話は断る」
サマンチャミンは、片眉をくいっと上げた。
「断ると? お前ひとりの勝手な判断で村の人間が皆殺しになってもいいのか?」
「勝手な判断などではない。これは村人全員の意見だ。
わしらの黄金細工は、この土地でこそ質の良いものを作ることができる。自由を奪われ、囚われの身となっては作ることができないのだ」
「なるほど。これまで通りにここで自由に暮らさせてほしいというか。しかし、命がなければそれもかなわぬよなぁ」
サマンチャミンが口の端を上げて、ニヤリとした。
カイたちは、走りに走ってようやく村が見える場所まで来ていた。
しかし、もはや村は大勢の兵士に取り囲まれていて近づけない。仲間たちは足を止めて草陰に身を潜めたが、カイだけは籠を投げ捨てて村のすぐ近くまで走り寄っていった。
それに気づいた数人の兵士が、カイを捕らえようと向かってきた。
カイは急いで鳥笛をくわえ、天に向かって思い切り吹いた。
鳥笛の音が辺りに響き渡るのと同時に、サマンチャミンの右手が振り上げられた。
それを合図に、村の周囲を取り巻いていた兵士たちが、一斉に攻め込んできた。手近な小屋を蹴散らすと、出てきた村人をつぎつぎと捕まえる。どこへ逃げても周囲には兵士がいて出口はない。
村人たちは狭い村の中をぐるぐると走り回るしかなかった。兵士たちは向かってきた村人をやすやすと捕まえては押さえ込む。女、子供なら一度に両手に抱えて捕まえる。まるで罠の中の獲物と狩人のようだ。
サマンチャミンは横目でその様子を伺い、うすら笑いを浮かべながら目の前の老人の体を抱えこんだ。そしてその首に槍先を突き立てようとした。
(わしらは、もうこれまでか……)
長老は覚悟を決めて、固く目をつぶった。
「ぎゃああ!」
鋭い叫び声を聞いて、長老はふたたび目を開いた。
サマンチャミンが長老の身体を突き放して、両手で顔を覆った。その手の隙間からつうっと一筋血が流れている。サマンチャミン目がけて、空から何かが降ってきた。それを振り払おうとして覆っていた手を離すと、将軍の顔は片目がつぶれ、血だらけだった。
空から降りてきたのは鋭いくちばしを持つ大ワシだった。大ワシの最初の一撃が、将軍の目を潰したのだ。
そして今度は鍵爪を立ててサマンチャミンの体を襲う。将軍の体が鍵爪にひっかかって一瞬宙を舞い、地面に叩き付けられた。
いつの間にか空には、様々な種類の鳥が群れをなして舞っていた。鳥たちの影でふたたび夜に戻ったかのように、空が暗い。
鳥たちはつぎつぎと急降下しては西の大国の兵士に襲い掛かっていく。将軍と同じくほかの兵士も、目や顔や体のあちこちを突付かれて悲鳴を上げて逃げ回っていた。
捕らえられていた村人たちはその隙に逃げ出し、広場の裏手にある大木の陰に一塊になって身を潜めた。
「ひけ、ひけー! 森の中に逃げるのだ!」
傷ついた体を抑えながらサマンチャミンが兵士たちに命令する。兵士たちは散り散りになって森の中に逃げ込んでいった。
しかしそのすぐ後に、森の中から再び鋭い叫び声があがった。兵士たちの叫び声とともに、獣の咆哮が聞こえてくる。
おそらく腹を空かせたジャガーが血の匂いを嗅ぎつけてやってきたのだろう。恐怖の叫びはしばらくの間、森のあちこちから響いてきた。
村人は震えながら、騒ぎが止むまで耳を塞いでじっとしていた。
どのくらい時間が経っただろうか。村人がひとり、そろそろと大木の陰から出て様子を見てみると、森はいつもどおりに戻って静まり返っていた。
彼が手招きをすると、ほかの村人もぞろぞろと大木の陰から姿を現し、それを見て家に隠れていた人々もおそるおそる外に出てきた。
兵士たちはジャガーに喰われてしまったのか、それとも西の大国へと逃げ帰ったのか、まったくわからなかった。
動物たちは西の大国の兵士だけを狙っていたようだ。ざっと見たところ村人の中に怪我人はいないようだ。
ようやく木や家の陰から出てきた鍛冶村の人々は、広場に集まると家族の安否を確かめ合い、全員が無事であることを確認した。
村外れの森の中にいたカイたちも無事だった。カイたちは、村人が広場に集まっている様子を見て、安心して村に戻った。
長老はカイの姿を見つけると、笑顔で歩み寄っていった。
「カイ、よくぞ間に合ったなぁ。お前の吹いた鳥笛のお蔭で、森がわしらを守ってくれたのだ」
長老の言葉を聞いて、村人がカイと長老の周りに集まって歓声を上げた。
「カイ、ありがとう」
「カイのお蔭で、村は護られたんだな」
カイは慌てて否定した。
「それは違う。これはソルエさまと森の動物たちの力なんだ。
私は笛の音でソルエさまにお知らせしたまでだ」
と言って、鳥笛を高く持ち上げた。
「巫女さまというのは何もせずに森の中でただ祈り続けているだけかと思っていたが……」
「本当にわしらのことを見守っていてくださったんだなぁ」
いつの間にか太陽は天高く昇っていて、やわらかい光で鍛冶村を照らしていた。
鳥たちはまったくいつもと変わらない様子で、悠々とはばたいて森の神殿に向かって飛んでいった。