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 フィルが次のインスピレーションを得たとき、カイはすでに逞しい青年になっていた。


 棒のように細かった腕にはしっかりと筋肉が付いて太くなり、頼りなさげだった胸板は厚く頑丈になっていた。黒々と日灼けした身体は、以前見たビジョンよりも何回りも大きくなっている。一瞬、自分は別の人間のビジョンを見始めたのかと思ったが、その身体がカイのものであることは間違いないという実感は強く感じられた。


 彼は轟々と燃え盛る炎の前で、全身汗まみれ、煤まみれになりながら、炎の中の器を引き出そうとしていた。炎の中の器から長く伸びた取っ手も相当な熱さだが、カイはそれをしっかりと握り締めて一気に引き出し、真っ赤な光を放つ液体を傍らの容器に流し込んでいく。

 そこに充満する空気は非常に刺激に満ちていて、彼の鼻腔や喉の奥、こめかみを伝って、脳内までも刺激する。口と鼻には目の詰まった布を幾重にも巻きつけて保護しているのだが、それでも刺激に満ちた空気は布の目地を通り抜けて容赦なく彼の身体へと入ってきた。


 微かに漂う匂いでさえも嫌悪していたあのカイ少年が、今やその刺激臭を発する原因となっている炉の前で逞しく働いている。

 フィルが前回見たビジョンから何が起こったというのだろう。

 働く手を休めずに、フィルはカイの記憶の中を遡っていった。



 幼いカイとソルエが朝の逢引きをしていた期間はそう長く続かなかった。何故ならふたりが出会って一年も経たないうちに、老巫女が亡くなったからだ。老巫女の弔いが終わるとソルエが正式に村を護る巫女となった。


―― 村人は巫女の姿を見てはいけない。村に災いが起こる ――


 ソルエが見習い巫女のうちであればその掟には該当しないが、ソルエが正式に巫女の座に就いたら、その禁忌を破ってはならない。それに、小さな少年には、敢えて掟を破ろうという勇気はなかった。


 ソルエが彫った金板は少年カイのものとして近隣の部族の評判を集めていたが、ソルエがいなくては、カイにそれと同じ価値の物を彫ることはできない。

 カイはあくまでソルエとともに金板を彫っていたことは秘密にして、自ら『釜方(かまかた)』で働きたいと申し出た。つまり炎に鉱物をくべて金を溶かし出す仕事である。

 伸ばされた金板に模様を彫り出す『彫り方』は女や子どもにも出来るが、釜方の仕事は男にしかできない。カイの彫る作品を惜しむよりも、村では釜での働き手を欲しがっていたので、彼の申し出はすんなりと受け入れられた。それどころか、村の匂いに馴染めなかった軟弱な少年を心配していた鍛冶村の大人たちは、それを聞いて大喜びだった。

 

 はじめは毎日死ぬ思いだった。

 苦手な匂いもさることながら、身体の奥底まで灼けついてしまうような熱気でうまく息ができない。

 扱う道具も手の皮膚がただれてしまうほどの熱さ。何度も気を失い、何度も吐き気をもよおし、それでも彫り方にされてはまずいという一心でカイは耐え続けた。

 苦労を重ねた分、彼はやがて村でも一番と言われるほどの釜の扱い手になっていた。それとともに、その重労働を難なくこなせるような強健な身体も手に入れたのだ。


 その頃のカイは、自分の仕事に生きがいを感じていた。だからもうソルエと過ごした時間を思い返そうという気持ちもなかった。

 いや、思い出そうとすれば、少し後ろめたい気持ちを抱えながらそれでも楽しかったふたりの秘密の時間をありありと蘇らせることはできただろうが、彼にはそんな時間は与えられていなかったのだ。

 朝早くから釜を熾し、働き続け、後片付けを終えると日が暮れており、翌朝のために眠らなければならない。

 そんな毎日がきっと年老いて死ぬまで続いていくのだろうと、彼は思っていた。

 しかし、そんなカイの日常を一転させる事件が起こった。それはカイだけでなく、古くからの伝統を守って何百年も暮らしてきた鍛冶村の運命が一転する出来事だった。



 彼らのすべての運命が狂い始めたその日、朝はいつもと同じくやって来て、すべての釜に火が入り、村が動き出そうとしていた。

 村が慌ただしくなり始めた頃、たくさんの金物を抱えた男がふらふらと村の中に入ってきて、村の中央の広場にペタンと腰を下ろした。男は疲れ果てた表情でただじっと地面を眺めている。

 気付いた村人が、わらわらと男の周りに集まってきた。異様な男の姿に、慌てて護身用の弓矢や槍を取ってきた者もいた。


「なんだ、ヤシュじゃないか!」


「驚かすんじゃないぞ。得体の知れない輩かと思って、射殺すところだ!」


 ヤシュと呼ばれた男は、声をかけられても黙ってただ地面を見つめている。見たところ、怪我をして動けないわけでもなさそうだが。ただならぬ様子に、何人かが急いで村の長老を呼びに行った。


 年老いた長老が杖を突いて、ゆっくりとやってきた。するとヤシュは顔を上げ、長老の姿を見ると、涙をぽろぽろこぼし始めた。


「どうしたというのだ、ヤシュ。お前は西の大国まで金の品を届けに出かけたのではないか。持っていった品は、まったくそのままではないか」


「……大変なことになりました、長老。西の大国は取引を止めて、逆にわしらの村に攻めてこようとしています」


 長老は驚いてヤシュの肩を掴んだ。


「それはいったい、どういうことなのか。西の大国はこの村とはいちばん古くから取引のあった国だ。

 森に暮らすわしらは、西の海で取れる貴重な海産物や塩を、すべて西の大国との取引で手に入れてきた。あの国には伝統の文様や型があるので、持っていく金製品は他のとは別に作らねばならなかった。

 そのように手をかけても、わしらは西の大国との取引を大切にしてきたのじゃ。わしらの作る品物の価値をいちばん知っているのもあの国だったはずじゃ。向こうにとってもわしらの金製品は重要なはず。

 わしらの村を襲ったところで、何の得にもならないではないか」


 ヤシュは長老の問いに答えず、ただ泣きながら頭を振っていた。

 しばらくして嗚咽がおさまると、ヤシュは事の次第を話し始めた。


「わしが西の大国に行くのは久しぶりだったのですが、いつもどおりに都に入りました。都に入ると、どことなくものものしい感じがして、以前とは様子が変わったなと思いました。

 そのとき街の人から、つい最近前皇帝が亡くなり、新しい皇帝が即位したのだということを聞いたのです。しかし取引は以前と変わらないだろうと思い、そのまま宮殿へと向かったのです。

 しかし、私は入り口で兵に止めらました。鍛冶村の金製品を持ってきたので、宮殿の中に通してほしいと頼んでいると、皇帝の側近が現れたのです。

 側近は、今の皇帝が取引を中止することを宣言したというのです。その代わり、鍛冶村の民をすべて都に移住させようと考えていると。

 西の大国の傍に、もっと豊かな金鉱が見つかったそうなのです。原料はそこから大勢の奴隷たちが採ってきて、わしらには都でその精錬と製品作りに専念してほしいのだと。

 しかし、わしらには先祖からの土地があり、古くからの伝統がある。取引は西の大国だけではないので、それはできないと答えると、それでは武力で村を攻めて村人を捕らえてくるしか方法がないと。

 近いうちに返事を寄越すように長老に伝えてこいと、わしはそのまま追い返されたのです」


 ヤシュの話を聞いて、悲鳴を上げて泣き叫ぶ者もいた。長老はヤシュの肩を掴んだまま、崩れるように膝をガクンとついた。


「なんと横暴な……。武力に物を言わせて、無力なわしらを、まるで小鳥を仕留めるかのように……」


 話を聞き終わって、村人は一斉に騒ぎ始めた。


「たとえ皆殺しにあっても、わしらはこの村にとどまるべきだ。ほかの土地で奴隷のように生きていくなどまっぴらだ」


「子どもまで道連れにするのか? どんな扱いを受けても、生きていられればよいではないか」


 意見の分かれた村人たちが今にも争いになるかと思われたとき、長老が彼らの間に杖を突き出して引きとめた。


「それぞれの家の家長は、わしの小屋に集まるのじゃ。わしらの運命を決めるときなのだ。慎重に話し合わなくてはならない」


 長老の言葉で幾人かの男がぞろぞろと前に進み出てきた。その男たちに混ざってカイも長老に近づいていった。


「カイ、まずは年長者で話し合うことにする。若いお前にも意見はあろうが、外で待っているのだ」


 しかしカイはさらに長老に近づくと、耳打ちした。


「このことを、巫女さまにお伝えしたほうがいいのではないですか」


 長老はカイの言葉に深く頷きながら言った。


「そのとおりなのだが、わしはまず村人の意見をまとめなくてはならない。巫女さまのご意見も伺いたいが、村の意見をまとめるのが先決だ。巫女さまにお伺いを立てるのはその後だ」


「私が行ってまいります」


「お前が? しかし巫女さまに会うことができるのは、長老の私だけと決まっておる。それも特別な方法でじゃ。掟を破れば、村の運命は災いのあるほうへと傾いていってしまうのだよ」


「巫女さまのお姿を見てはいけないことは重々心得ています。決して巫女さまのお姿を直に拝見することはいたしません」


 長老は実直なこの青年の言葉を信じることにした。


「……わかった、カイ。くれぐれも頼むぞ」


 カイは真剣な表情でゆっくりと頷いた。






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