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 前半の調査で、これまで知られていたこの周辺地域の歴史を大きく覆すものが数多く発見されたと、調査隊のメンバーは盛り上がっていた。

 特に、今は土台だけになってしまった巨大なピラミッドが載っていたであろう石の基礎は、おそらく紀元前のものであろうという驚くべき調査結果が出たのだ。

 マヤ文明が栄えた場所からかなり離れた場所で、似たような形式を持つ石積みを造る文明が、紀元前の頃から栄えていたとなれば、これは歴史学上、センセーショナルな事件だ。

 学者たちはますます張り切って調査範囲を広げて発掘を始めた。


 フィルもようやくその調査に少しだけ加担することを許された。

 待ち望んだ機会であったのに、彼の心は弾まない。

 自分に鮮烈なインスピレーションを与えた少年カイの生きる時代は、とても紀元前とは思えなかったからだ。何か間違った方向に進んでいるような気がするのだが、見習いの身でベテランの学者たちに異議を唱えるわけにはいかない。仕方なく、指示されたように発掘の手伝いをし、学者たちの導き出す仮説を真剣に聞く振りをして、それらにレポートにまとめた。


 フィルが最初に見つけた石はそこに転がったままで、削られた苔の間から少しだけその姿を覗かせているガブリエルは、現代人の愚行を冷ややかな目で見つめているようだった。



「裸の少年に美少女か。なかなか面白れえビジョンだ!」


 豪快に笑うロドリゲスを不快な顔でフィルは見た。


 フィルの振舞う料理に感嘆した学者たちは、夕餉のあと、彼の料理に対するお礼のつもりなのか、かわるがわるにやってきて、この調査から彼らの導き出した説を一方的に教授する。彼らの仮説はどれも正しそうで、どれも正しくない。しかし自分の唱える説が一番正しいと信じる学者たちは、「お前だけに教える秘密の情報だ」と言いたげに、勿体つけて持論を説いた。この調査団の中で、講演者はたくさんいるが、聴衆はほとんどいない。だからフィルは格好の聞き役だ。

 そんな先生方の講演会が延々と続き、疲れ果てたころにロドリゲスがホットウィスキーのカップを二つ持ってやってきた。

 フィルの持つ違和感や不満を受け止めてくれるのはロドリゲスしかいない。いや彼がおかしなことをそそのかしたお蔭で、貴重な発掘調査がどこか無意味に思えるようになってしまったのだから、彼がそれを受け止めるのは当然だ。ロドリゲスのせいで、毎夜あの少年の魂が自分に乗り移り、ビジョンを送ってくるのだから。


「笑い事じゃないよ」


 フィルはロドリゲスの態度に口を尖らせた。


「新人は素直なんだな。ビジョンをそんなに鮮明に見られる奴なんざ、そうそういないぜ。しかも自分がすっかりその少年になりきっちまって。俺が出会った中でいちばん素直でかわいい奴だ」


「うるさい! あんたはおかしな幻覚をみせる催眠術師かなんかじゃないのか? 僕の見たビジョンと学者たちが出した説とはまるで関係がなさそうだ。お蔭で先生方の貴重な話がまったく頭に入らない」


「関係ないわきゃないだろう。いいか、新人。歴史なんてもんは、いくつものエピソードが重なり合ったミルフィーユみたいなもんさ。何層にも何層にもそこに生きていた人間の生活が重なり合って出来ているんだ。

 思い出してみろ。少年カイが見た神殿は、新しいもんだったのか。おそらく何世紀も前に建てられたような古いもんだったろう。だからこそ、そこが聖地とされて巫女が住んだのさ。

 つまり奴らが調べている時代はこの土地の始まりの頃で、新人が見た時代はこの土地の終わりに近い頃なんだ。

 そうさなあ。海岸にヤドカリが使っていた貝殻が落ちているとする。学者がそれを拾って調べれば、その貝殻がどんな種類でいつごろ生まれたものなのかは見当が付くだろう。しかし、その貝に住んでいたヤドカリがどんな種類で何匹いたのかなんて、わかりゃしない。

 新人の見たビジョンは、そのヤドカリのビジョンさ。それを現代の科学で証明するのは不可能だろうな。奴らが貝を調べているのに、あんたはヤドカリの体験を追っている。それじゃあまるで噛み合わないはずだ。でもヤドカリの体験はあんただけが知る貴重なエピソードなんだ」


 ロドリゲスの話は理解できるようで、理解できない。ヤドカリの体験を知ったところで、今後何に役立つというのだろうか。残された貝殻を調べるほうが、ずっと有効だ。誰かがその貝を見て、「ほう、そんな珍しいものなんですか」と感嘆する。あるいはその貝殻と同じ種類のものを見つけて生態系や進化の研究に役立てる。物的証拠もない仮定の話に誰が耳を傾けるというのか。


「まあ、何の証拠も残っていないものを知ったところで無駄だと思うんだろう。そこから発展することもないからな」


 フィルの心を見透かすようにロドリゲスは言った。


「しかし、ここに幾世紀も様々な人間が暮らしていたことは分かるはずだ。そのエピソードに結びつく証拠が偶然見つかったとき、それが何を意味するのか見当を付けることもできる。他の場所で、その時代にこの地と関わった重要な証拠が発見されるかもしれん。

 新人は先入観が正しいものを見極めるとき邪魔になるといったが、先入観がないことで貴重な証拠を目の前にしても、それがいったい何を意味するのかさえ分からないこともあるんだ」


 フィルはふと、石積みの遺跡のはずれで忘れられたように転がっている『ガブリエル』の石柱を思い浮かべた。ほかに似たような彫刻が見つからない限り、あの彫刻がこの辺りの文化の特徴的なデザインだったとはいえない。あるいはそれは気まぐれに彫られたものなのか、落書きのようなものか、もしそうだとしたら、系統立てることができない『証拠』は、永遠に意味不明のままだ。


「それは先入観じゃない。強いメッセージだ。その記憶が消えないうちに俺に話すことで、新人の中に確かな記憶となって残っていくだろう。やつらは絶対に信じないだろうが、俺はそれが真実だってことを知っているからな」


 と焚き火の周囲で談笑する学者たちを見ながら言った。

 フィルの表情が緩んだのを見て取って、ロドリゲスは訊いた。


「それで、カイは巫女のところにまた行ったのか。鳥と一緒に空を飛んで!」


 今まで真剣に話していたと思うと、またからかうように大声で笑う。ロドリゲスがどこまで本気で自分の話を聞いているのか、フィルには分からなかった。深くは考えないことにして、フィルはその『夢』の続きを彼に語り始めた。


「違うよ。ソルエさまは朝早く、鳥笛を使って鳥たちを集めるんだ。

 朝、鳥たちが一斉に神殿に集まってくるのを見たら、神殿にやってきてほしいということだ。朝早くなら、老巫女もまだ目を覚ましていないので気兼ねなく会うことができた……」


 疑いを持ちながらも、少年カイになって過去の世界に遡るのは楽しい。その話をするとき、フィルはすっかり森の少年になりきってその世界に浸っていた。



 湿気は今よりずっと濃く、木々の匂いは強烈だ。鳥や動物たちの声も、鼓膜にびいんびいんと伝わってくるほど賑やかだ。裸の身体に小さな虫がたかってきて、ときどき皮膚に噛み付くが、そんなことはまるで気にならない。

 身軽な少年は木々の間を吹き抜ける風のごとく、森の中を走っていく。道を塞いでいる倒木も軽々と跳び越える。

 彼と同じ速さで、頭上の鳥たちも同じ方向へと向かっていく。その黒い影が、生い茂った木々の梢の間からちらちらと見えた。

 やがて森の向こうからやわらかな笛の音が響いてきた。その音に導かれ森を突き抜けると、天まで聳える苔むした巨大な石積みが姿を現した。


 彼女は石階段の中央辺りに立っていたが、カイの姿を見つけると弾むように階段を駆け下りてきた。

 そしてカイの持ってきた金板と道具を受け取ると、ふたりは揃って一番下の段に腰を下ろし、彫刻を始める。ふたりの周囲には小鳥たちが舞い降りてきて、彼らの手つきを面白そうに眺めている。

 

 ソルエの彫る彫刻は素晴らしかった。森の自然の一部のような暮らしをしている彼女は、金板に今にも動き出しそうな鳥や動物たちの絵を彫った。美しいラインの間をとんとんと打ち出すと、それらは今にも金板から飛び出してきそうに、活き活きとして見えた。

 カイも彼女に負けまいと、凝った絵を描こうとするのだが、それはいつも失敗に終わり、何が描かれているのかさっぱり分からなくなってしまう。

 するとソルエは笑ってそれを受け取り、もう一度平らに打ち直して彼女独特の絵をキリのラインで描いた。彼女の絵を受け取ってカイが立体に打ち出し、描かれた動物たちに命を与える。

 よく出来ましたというように、彼女は出来上がった彫刻を胸や頭に飾ってみせた。


 そうして、無邪気なふたりの『逢引き』は、毎朝続いた。



 ある日カイが持ち帰った金板を見た村の長老が、それを取引のある大きな部族へ持っていきたいと言い出した。


 はるか昔、彼らの村の近くで、光る粒が混ざる石が多く取れることを発見した祖先たちは、それが大きな部族や国で非常に重宝されるものだということを知った。その石から光る粒を取り出し、それらを融かし合わせて薄い板にし、それらに様々な図柄を浮かび上がらせたものを、大部族や大国の長たちは競って手に入れたがった。

 その光る粒を取り出して融かし合わせる技術も、それらにほかの鉱物を混ぜ込んで硬さを変える技術も、それらに独特の美しい絵柄を浮かび上がらせる技術も、鍛冶村の祖先たちが長い間かけて編み出したものだ。

 光る粒も金板の装飾も彼らの生活には直接必要のないものだが、それらを欲しがる国に持っていけば、引き換えに珍しい食べ物や道具が手に入ることを彼らは知り、狩りや採集の代わりにその技術を磨き続けた。

 深い森の奥で、限られた食物しか手に入れることができなかった小さな部族は、その技術のお蔭で今までよりずっと豊かな生活が送れるようになったのだ。


 特に村独特の美しい絵柄は好まれた。しかし、その絵柄を打ち出せるものは村でも限られていたのだ。それは持って生まれた才能に大きく関係しているからだ。そして、その中でも巫女ソルエは特に優れた才能を持っていたのだ。

 しかし、毎朝森の神殿に通っていることが知れたら、大変な罰が待っている。ソルエの彫ったものだということを言い出せないまま、その金板はカイの作品として大国との取引に使われることになってしまった。



「その後は……」


「いやその後のビジョンは見ていない。ただ子ども心に楽しかった思い出と、ソルエさまの彫ったものが自分のものとして取引に使われてしまったうしろめたさと、そんなものが混ざり合っていた。それだけだ。

 ただ、何か嫌な余韻が残っている。その先のビジョンを見るのが怖いんだ……」


 フィルの握ったカップの中のウィスキーが微かに震えていた。


「……余計不安を煽るようだが」


 ロドリゲスは急に神妙な面持ちになって、焚き火の方を見たまま言った。


「そんな楽しい思い出話を聞かせるために、カイの魂はここに留まっていたわけではないだろう。おそらく強烈な何かを伝えたいんだ。

 怖いかもしれんが、それを見ることができるのはお前さんしかいない。しっかりとカイの思いを汲み取ることだ」


 フィルはウィスキーを一気に飲み干すと、「わかってる」というようにロドリゲスの肩をぽんぽんと叩いて立ち上がった。そして無言で自分のテントに戻っていった。


 残されたロドリゲスは、彼にしては珍しく険しい表情で、じっと焚き火を見つめていた。





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