野木久美①・7
一人まだぶつぶつと文句を垂れている優さんを残し、僕たちは帰る事にした。不機嫌な科学者に触れてはいけない。
その帰り道を、僕は久しぶりに重郎と二人で歩いていた。高校生になって初めての二人きりで歩く時間に、クラスの事から知り合った友達の事、自然科学部の事など、僕たちは様々な事を語り合い、感想を述べ合った。
「んじゃさ、んじゃさ。明日辺り、カラオケでも行こうぜ!」
「あー、良いかもね。重郎のジャイアンリサイタル」
「うっせぇ! ちょっとは成長してるっつーの」
中学校では、マイクブレイカーの重郎は異常なほど有名だった。それはもう、一年生から三年生まで、校長先生からPTA会長までもが常識として知っているレベルである。文化祭での歌唱力コンテストでスピーカーを壊してからは、単にブレイカーと呼ばれて名実共に伝説となった。
「ま、新しくなった俺の技術に痺れると良いぜ」
「古いままの方でも痺れてるよ」
僕と久美に言わせれば、二度と聞こうとは思わない歌声だ。
結局、明日に行く事に決まった。久美と三人で行こうか、と言う話でまとまりかけていたのだが、重郎が自然科学部の皆も誘ったらどうだろう、と提案したので、親睦会も兼ねてそうする事にした。
「じゃあ、家に帰ってから皆に訊いて、後で連絡するね」
「おぅ。了解」
カラオケなんて、何ヶ月ぶりだろう。それも、新しい友達となんて、最高のロケーションだ。
家と学校とのちょうど真ん中ぐらいの交差点で、僕が真っ直ぐ、重郎が左にそれぞれ進んで別れた。
家に着いて、早速メンバーにメールしようと携帯を開く。そこで僕はやっと、重大な事実に気付いた。
(誰ともメアド交換してない……)
元々あまり携帯電話を使わない方だから、すっかり忘れていた。情けなかったが、仕方なく先に久美へと、カラオケへのお誘いとアドレスを訊くメールを送ってみた。メールアドレスの宝石箱と呼ばれながら中学校を通った久美なら、知らない訳がない。
僕がメールを送って五分ほどで、久美から返信が来た。本文には土日は共に忙しく行けないと書かれていて僕の寂情を誘った。だが、それ以上に追記として優さんを除く全員のメールアドレスが書かれていた事が、僕の興奮を煽った。さすがは、手が早い。全てのメールアドレスを登録して、久美に感謝のメールを送る。アドレスクイーンと明日からは呼ぼう。ゴルフが上手そうだ。
早速皆に、明日のカラオケについてメールした。最初に返信して来たのは、佐奈さんだった。
『奢れ』
なんと理不尽な。フリータイムでも千円ぐらいの出費になる。千円もあれば、豪華な昼食が二回は食べられるだろう。
三分の一ぐらいなら持ってもいいけど、と返した。
『なら行く』
そのままの意味で現金な人だ。場所と時間は後で連絡する、と佐奈さんへ返信したのと同時に、今度は二件のメールを受信した。
『信也じゃなければ、行けますよ~』
『深・夜!』
さすがは朋絵さん、酷い変換ミスだ。深夜に及ぶ事はまずないので、お昼頃になると思うけど、と返信する。
『なら、参加してみます』
時間と場所は後で連絡する、と同じように返信して待ち受け画面に戻ると、すぐに今度は電話の着信があった。ディスプレイされているのは、知らない番号。僕は、恐る恐る携帯電話を耳に当てた。
『いえすもしもし! ……あ、こちら優よ』
「……え? えっと?」
『科学的に、あなた達がカラオケに行くという情報を手に入れたのよ。ごく合法的にね。私も誘いなさい』
重郎との会話か、あるいはメールの内容が洩れていた。盗聴なんてものは都市伝説だと思っていたが、実在するのだろうか。少なくとも優さんだと、やらないとは言い切れない。現代社会の闇におののきながらも、特に断る理由も無いので、後で時間と場所を連絡すると言って、メールアドレスを聞いて電話を切った。
三連続のお誘い成功に心躍る僕だったが、その後、多香子さん、明菜さん、春花さんと三連敗し、ちょっと気を落としながら都合の良さそうな時間と場所を決め、全員に連絡しておいた。
明日が楽しみだ。四人ほど不在だが、それでも自然科学部員同士の親交を深めるには、十分すぎる舞台である。
(……よし)
ガッツポーズをしたこの時の僕はまだ、すっかり自分の音痴を忘れ切ったままだった。
夕飯を食べ終えて部屋に戻ると、机の上に置きっぱなしだった携帯に一件のメールが届いていた。
『昴さんは、何か動物をお飼いになっていますか?』
多香子さんからのメールだった。受信したのはつい二分ほど前のようだ。あまり、メールなんてしなさそうなタイプの女の子に見えていたのだが、思いの外積極的である。
『飼ってないけど、どうして?』
大方、犬好きだったり猫好きだったりするのだろう。そして僕が、犬派か猫派をこうして見計らって、敵か味方かを判断するのだ。
『いえ。そうですか、飼っていらっしゃらないのですか……』
僕が適当な想像をしている間に、つまりは三十秒もかからない内に返信が来た。メールのプロのような早さなので、明日からはメールウーマンと呼ぼう。男なのか女なのか分かりにくいのはご愛嬌だ。
『今度、お家にお邪魔しても良いでしょうか』
『いえ、やっぱりやめておきます』
僕が返信を打ち終えるより早く、多香子さんから続けてメールがやって来た。その早さはもう、神がかっている。僕のような素人では太刀打ちできない。
『来てくれないの?』
未だに見えてこない多香子さんの思惑を確かめようと、僕は探りを入れる一手として少し甘える様なメールを返した。これはつい先日テレビでやっていた女性の本心を確かめる方法で、心理学的にも正しいと証明されているらしい。ただ、問題もいくつかある。
『つい先日テレビでやっていたやり口ですね』
相手がこの事を知っていたら、何の効果も得られないと言うのも問題の一つである。それが、今まさに発生してしまった。
『理由はありません。ただ、一度お邪魔したいと思っただけです』
僕が言い訳をする暇もなく、多香子さんからのメールが飛んでくる。
『さて、私はそろそろ、他の事に集中します。おやすみなさい』
結局、僕がゴメンなさいとだけ打ったメールを送信できたのは、多香子さんの三連続メールの内最後のメールが来てからだった。
(印象悪いだろうなぁ……)
明々後日、月曜日が少し不安になりながら、僕は携帯電話を閉じた。