間奏・春の遠足
誰かが、弱い事こそが俺の強い理由なのだ、と言った。
そんなバカな。それなら僕は、スポーツ万能、多々才能、容姿端麗で勇猛果敢と言う事になるではないか。
……。自分で言っていて悲しくなった。
六時三十分ちょうど。不快な夢を見たせいか、昨日の夜をひどく遠く感じつつ、僕は洗面台に立って、歯を磨き出した。
高校生活が始まったのは、まだ先週の月曜日の事だ。それから今日までの間に、入学式があり、班分けがあり、新たな友人との出会いがあり、自然科学部の活動があった。加えて、久美の自殺があり、世界の入れ替わりがあり、僕の決心がある。
多分。今日の遠足が、そんな事からの区切りになってくれる。僕はそう、強く思い願って、いつもよりも少し早めに家を出た。
「……津田朋絵さんが、道に迷うて隣町に着いたっちゅう連絡が来たさかい、彼女を拾ってから遠足先に向かうで」
今日も、朋絵さんの方向音痴は冴え渡っていた。隣町に着くまでに、普通は気付きそうなものなのだが。ついでに、重郎のバス酔いも絶好調で、バスが動き出す前から頭痛信号を受信しているようだった。ただの気のせいだと思うが、辛そうな重郎を見ているとそんな言葉を引っ込んでいく。
「ぶえ……。朝のコーラが出てきそうだ……」
「……あの、出す時は、通路の方に出してくださいね。くれぐれも、私の方を向かないようにお願いします」
多香子さんは、いつ爆発するとも知れない重郎爆弾を抱えて、いくらか迷惑そうだ。通路を挟んで左側にいる明菜さんと、少し前の方にいる佐奈さんは、早くも目を閉じて眠る態勢に入っている。景色を楽しみたい派の僕からすると、何度見ても不思議な光景だ。
先生の合図で……正確には、先生の合図のコンマ五秒前ぐらいになって、バスはゆるやかに動き出した。
「…………」
こうなると、暇だった。多分、ずっとこんな時間が毎日続くのだろうと思って買い込んで、結局今まで読まれなかった小説が家に何冊もある。一冊ぐらい持ってきたら良かったなぁ、と思いながら、通路席から何とも不便な体勢で外を眺めていると、右の空席と僕の座っている席の隙間から、手が伸びてきて僕の右腕をとんとん、と叩いた。
「武田くん? ちょっと良い?」
「……ん、何?」
振り返ると、座席の背もたれの上から、これまで話した事のない女子生徒二人が、こちらに顔を覗かせていた。
「武田くんって、部活動何してるのかな? ……あ、私は、演劇部の近田ね。こっちが戸倉楓」
「べっ、別に、入って欲しいわけじゃないんだけどね!」
「……楓は今、ツンデレキャラの猛特訓中なの。本当は痛い子じゃないんだよ」
「う、うん。……ええと、自然科学部に入ってるよ」
妙な空気で話す二人に気圧されつつ、出来るだけ平静らしく答えた。二人は、その答えが不満だったのか、顔を見合わせて、
「自然科学部って、何するの?」
と声を揃えて僕に尋ねた。
「……えーと。テスト見せ合ったり、紙飛行機飛ばし合ったり、変な装置いじったり、あとはカラオケとかかな」
「へぇー。実は、演劇部が人数不足でさ。少数精鋭でも良いんだけど、四人じゃ選べる演劇の幅が狭すぎるから、今募集中だったりするんだよー」
「あれこれ言わずに、早く入っちゃいないYO! 馬鹿犬YO!」
「……楓は今、ツンデレDJキャラを模索中なの。本当は荒々しい子じゃないんだよ」
とりあえず、二人の目的は演劇部への勧誘のようだ。更に話を聞いていくと、来月の中頃に、演劇の大会があるらしく、それに向けて人数を増やそうと探し回っているらしい。
「……悪いけど、自然科学部は、一応毎日活動だし、無理かな」
「さ、寂しいよ……どうして?」
「楓はツンデレDJ、デレは冷たくされると出る、キャラを確定しようとしているの。本当は、淡白な子なんだよ。……じゃあ、気が変わったら、教えてね」
「うん。ゴメンね」
二人は、僕から目を離して二人の後ろの席にアプローチを始めた。
……。近田さんと、戸田さん。知り合いが二人増えたようで、二人には悪い事をしたと分かりつつも、とても嬉しく覚えた。
(…………?)
だが、何故か同時にどこか、違和感を感じるのだった。
隣町の交番で無事朋絵さんを拾い、僕たちのバスは他のクラスのバスに十分ほど遅れて駐車場へ停止した。
「時間がないさかいに、はよ割り当てのトコ行って、昼ご飯の準備してき」
倉口先生にそう急かされ、僕たち五班は一番駐車場から遠い炊爨場所へと歩き始めた。七組は割り当ての場所が二つに分かれていて、五班だけ一番遠い場所に当たっていたのだった。
「五班。しゅーごー」
到着すると、班長の僕をさし措いて、明菜さんが号令をかけた。それに素直に従ってしまう僕も僕だと思いながら、どうしてか一列に並べようとする明菜さんの近くに歩み寄る。
「今から料理を開始する。分担は……」
「あっ、私ご飯炊きたいです~」
「…………」
「あ、あの? ご飯、私が……」
「ダメだ」
明菜さんが、冷静に朋絵さんの希望を却下した。素晴らしい判断である。
「米担当は、佐奈に頼む」
「うむ、了解した」
「わわ、私は?」
「待機」
米担当佐奈さん、待機担当朋絵さんに続いて、調理担当重郎、盛り付け担当多香子さんが任命された。いつもの事ながら、重郎に押し付けられている任務が一番重い。ただ、一昨日の一件から微妙に気まずさを感じている僕は、それについて触れないようにした。
「僕と明菜さんは?」
「昴は監視と指揮担当。私は味見担当」
「……あー。なるほど」
平たく言えば、休憩とつまみ食いである。
「明菜さんが手伝いたいってさ」
「ん。それでは、代わって貰う事にしよう」
「……班長に裏切られた……」
独裁極まりなかったので、班長権限で明菜さんを米担当にして、佐奈さんを調理手伝い担当にした。僕は、他に仕事もなく手持ち無沙汰だったが、じっと、明菜さんが水量を慎重に量るのを見ているだけで、癒されるというか、時間の経過が気にならなくなった。
明菜さんの作業が終わり、僕が待機担当の朋絵さんに目を移すと、
「そうね。コンピュータ技術も、自然科学の一つと言えるわ」
そこには何故か優さんが居た。
「……どうして居るの?」
「あら、良い質問ね。食事を終えて、暇になったからよ」
「早すぎ……じゃない?」
「いえすっ! 家から炊き上がったご飯を持ってきて、メニューを握り飯にする事で、化学的に時間を節約することができるのよ。いっつみらこぉー!」
化学的では恐らくないが、付き合わされる他の班員が可哀想でならない。
「久美と、春花さんは?」
スルーに怒ったのか、無言で優さんが指した先では、久美と春花さんが重郎の手伝いをしていた。
「……嫉妬してます?」
「まさか」
朋絵さんの問い掛けに、僕はそう即答した。久美と重郎の仲に関しては、一昨日から考えて、祝すべきだと結論付けていた。元々僕にそういう気はないし、二人はお似合いだと思う。とは言え、完全に割り切れているという訳でもないのだが。
「春花さん可愛いですしね~」
「……え?」
「ね。朋絵と話していると、知的さの欠片もないでしょう? この雰囲気が心地良いのよ」
「む、むむ……何だか馬鹿にされてます?」
朋絵さんと優さんは、かなり相性が良いようだった。どっちも天然ボケキャラと言えばそうだから、多分そう言う所で通じる物があるのだろう。
「焼きそば、かーん! せーいっ!」
春花さんが叫んだ。
「まだ炊けていない……」
「先に、焼きそばだけで食べま……しょう」
お皿に盛り付けようとして、イカだらけの惨状に一度言葉を詰まらせながら、多香子さんがそう言って、皆を呼んだ。
「でもそれだと、ライスが余るんじゃねぇか?」
「あら。それなら、塩結び用の塩と旨味調味料があるわよ。それで食べましょう」
「それはありがたいけど、イカ焼きそばはあげないからね」
「……呪われると良いわ」
優さんは、非科学的な捨て台詞と調味料を置いて、珍しく走り去っていった。
久美と対角線上に立ちながら、明菜さんが恍惚とした表情を浮かべて、
「……イカイカしている。とても素晴らしい」
と呟いた。
「これってただイカ焼きですよね? そばはどこにあるんですか?」
「イカの下にありますよ」
見た目がボロボロで、食べる前の下馬評ではかなり低い評価だったが、食べてみると中々の味だった。胡椒と塩に、イカの旨味が絡み、そこに少しだけ入ったソースが香りを付けるという構成で、焼きそばでは全くなかったが、全員ご飯が炊けるまでに平らげてしまった。久美と春花さんの分は当然なかったのだが、多香子さんや明菜さんにちょっとずつ分けて貰って、二人は美味い美味いと騒ぎ回っていた。
ご飯が炊けておにぎりを作る段になって、優さんが帰って来た。
「いえす! 昆布を提供するから、焼きそばを食べさせなさい!」
「昆布は貰うけど、焼きそばもうないよ」
「なっ……。……穴二つ……」
さすがにおにぎりだけでは、無味乾燥として口が寂しかったのだと思う。でも残念ながら、人を呪った優さんに与えられたのは、またもおにぎりだった。
「ごちそうさまでしたー」
余りあるご飯を全部握って、全員で食べ切った。他の班がご飯を残したりしているのに比べると、かなり上品に出来たと思う。その実態は、かなりアレだが。
少し時間が残ったが、僕たちはそれぞれで談笑し合って時間を過ごした。
食後の腹ごなし用なのか、班の団結を高める為なのか、食事の後はクラス・レクリエーションだった。班別に配られた三つの紙に書いてある指令を、全部クリアするまでの時間を競うという簡単なものだ。
「よっし、やんぞー!」
確実に一班になれる筈だったのに、好奇心から五班に落ちてしまったという過去を持つ僕たちの士気は、かなり高かった。第一の指令『倉口先生を見つけよ』では、明菜さんが電話で呼び出すという強行策、第二の指令『虫を三種類捕獲せよ』では、蜘蛛の巣で三種類を一瞬で捕まえるという奇策をそれぞれ用い、他の班とは比べ物にならないような早さで第三の紙を開いた。
第三の指令は、レモンティーを買ってこいというおつかいモノだったが、これも奇跡と言うべきか、朋絵さんが未開封のレモンティーを持っていて、即座にクリアだった。
「……なんか詰まんねぇな」
始まる前あれだけ興奮していた重郎も、どの班よりも先に集合場所へ向かう頃になると、さすがに冷め切っていた。優勝の証として小さなスナック菓子を貰っても、僕たちの心は晴れなかった。
(…………)
優勝すれば良いという訳ではないのだと、僕は改めて思い知らされた。
「…………」
「…………」
「……どうして居るの」
家に帰り着いた僕を出迎えたのは、僕の部屋のベッドに不機嫌に腰掛ける、誼絵さんの姿だった。




