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武田君のモテモテ物語  作者: さらさら
一.野木久美
20/23

野木久美①・19

「とりあえず、車はどこか行っちゃったってさ」

 僕が部屋に戻って十五分、女中さんから二度目の連絡を受けた春花さんが、皆にそう言った。その言葉回しはもう、元の春花さんだ。さっきの春花さんは何だったのだろうと思う。

「向こうが本気だったなら、今出ても危ないかも知れないし、泊まってく?」

 本気だったなら、という所が強調されたように感じたのは、恐らく気のせいではない。春花さんは本気で、狂言であると確信しているのだ。

「……私達は、とりあえず帰ろうかと思いますー」

「私もそうする」

 誼絵さんと、明菜さんが立ち上がった。

「ふへー。皆、ありがとね。気をつけて帰ってね」

「じゃあ、昴さん。久美さんの事、よろしくお願いします~」

 その口調から察するに、明菜さんも朋絵さんも、狂言説に考えが行っている様だ。女中さんに案内されて三人が出て行くのを見届けてから、僕は重郎に、メールを打った。

『何か、隠してること、ない?』

 重郎からの返信は来なかった。ふと、彼の方に目をやる。重郎は、手で、廊下に出ろと合図していた。僕はトイレに立つフリをして、立ち上がった。

「……俺が、隠し事をしてると思うのか?」

 二人きりの廊下で、重郎はそう言って真剣な顔で僕と向き合った。こうして見るとかなり格好良い。重郎の顔は、昔から整っていた。

「隠してるかも知れない、って思う」

「……そうか。んじゃあ、隠してても、仕方ねえかもな」

 殺伐とした雰囲気。しかし、重郎に敵意はないようだった。むしろ、哀れむような、後ろめたそうな、そんな表情をしている。

 一度深呼吸して、重郎は言った。

「俺と、久美は、付き合ってる。二年前からだ」

 ……。思わぬ情報だった。耳を塞ぎたくなるとか、そういう物ではない。だが、それにしても、余りにも、驚かされた。二年前となると、中学校二年生の頃だ。下手をすると一年生の頃も含まれるかもしれない。

「隠してたのは、俺も久美も、決して悪意からじゃない。けど、中学ん時のお前は、不安定すぎた。だからどうしても、言えなかった」

 僕は、中学校の頃の自分を想起して、頷いた。目立った友達は、二人を除いて他におらず、成績の伸びの悪さにナーバスを抱えた事もあった。

「……で、もう一つ、言ってなかった事がある」

 ……。心の準備を整える。あの頃から、まだ一ヶ月と経っていない。二人が、僕を慮ってあえて言わなかった事を、今から聞くのだ。

 二人が付き合っていたという事。それすらも、今の所消化出来るか分からないのだから。

「…………。うん」

 決心して、相槌を打つ。

「久美は、引っ越す予定だったんだ。家族の都合で、どうしてもって話だった。久美は、昴が泣いて引き留めるのを見るのは、耐えられないって言った」

 つまり。そこで、僕の頭の中で、全てが繋がった。実際には一部分、符合しない要素を孕んでいたのだが、少なくともその時の僕は、全てを理解したような感覚を覚えた。

 自殺は、狂言だったのである。僕は、久美の死体を見ていない。狂言の目的は、“死んだ事にして、引っ越す時に誰とも会わないように”。引越しを憂いでいたのだから、入学式以後数日続いた久美の無精力にも、説明が付く。

 ……だが。その事実は、矛盾がないと同時に、久美が僕に仕向けた残酷な仕打ちを物語ってもいた。取り残された僕は、久美が自殺したという事実を、一生背負うところだったのだ。

「俺は、久美が苦しむのを見るか、昴が壊れるのを見るかの二択で、久美を救う事にした。……裏切ってゴメンな」

 重郎の苦しい、無力感に覆われた心情も、容易に想像出来た。だから僕は、良いよ、と言って、重郎の肩を叩いた。

「……多分、今日のは狂言じゃないと思うんだ」

「え……?」

「俺が久美から聞いた全ての事情を合わせても、今日、こんな狂言をする理由が見つからないからな」

 重郎の言葉に、僕は安らぎかけていた思考を再び回した。狂言でない、とは、つまり。

「皆が、危ない?」

「……俺は、そう思う」

 重郎がそう言ってうつむくのと、春花さんが全速力で駆けながら僕たちの下に来るのとは、ほぼ同時だった。




「津田姉妹ちゃんは、上手く逃げたみたいだけど……」

 春花さんの報告を、青ざめた久美、まだうつむいている重郎と共に聞いた。

 車は、大通りを一周すると、家のすぐ近くに帰って来たらしい。僕たちの警戒を解くための罠に、まんまと引っ掛かったという事だ。とっさに逃げた朋絵さんと誼絵さんは捕まらなかったようだが、明菜さんが車に強引に乗せられて、連れ去られた。

「…………」

 久美は青ざめているだけでなく、小刻みに震えてもいた。見開いた目は、恐怖と、そして謝罪の意に染まっている。どこかで、見た事があるような気がした。

 着信音を切っておいた携帯が、バイブレーションで電話の受信を伝えた。慌てて開く。電話は、優さんからの物だった。

「もしもし」

『大丈夫? トラブってるんじゃない?』

「……え、分かる?」

『分かるわよ、そのくらい。怪しい車が走り回ってるし、春花の家は取り囲まれてるし』

 やっぱり、取り囲まれているのか。久美の様子と言い、車の挙動と言い、どうやら狂言ではなかったようだ。

『で、何事なのかしら?』

「それが……」

 僕はとりあえず、分かる範囲の事を簡潔に話した。世界云々の話は、長くなるので除いて話したのだが、優さんは大体の事情を飲み込んでくれたようだった。

『大窮地ね、それって。警察は何と?』

「警察?」

『……誘拐事件なのよ?

 ああ……。どうやら、僕たち四人は、かなり冷静さを失っているようだ。僕は重郎に、警察に通報するように言った。賢明にも、重郎はすぐに頷いて、携帯電話を開いてくれた。

「今電話したよ」

『……はぁ』

 溜め息と共に、電話は唐突に切れた。優さんはやはりどこか、せっかちな所があるなぁ、と小さく笑って、僕は同じく通話を終えたばかりの重郎にその首尾を尋ねた。

「何台か車、回してくれるってよ」

 不当に少女を拘束している可能性がある車が、まだ現場近くに停留している事から、急いでその確認に来てくれるのだという。心強い。だが、明菜さんの無事有事を考えると、まだ不安は取り切れなかった。

 知らない間に部屋を出ていたらしい春花さんが部屋に帰ってきて座ると、部屋は重々しい沈黙に包まれた。二分ほどその空気が流れ、遠くにサイレンの音が聞こえた頃になって、部屋に走りこんで来た女中さんが、急報を告げた。

 明菜さんが、解放された。添えられるべき理由も経過もなく、女中さんはそう僕たちに伝えた。重郎が、ポカンとした顔をする。

「良かったぁ……」

 久美が、本当にホッとしたという風にそう言った。更に続けざまに、

「そろそろ行かないと、ね。お父さんだけじゃなくて、皆にも迷惑掛かっちゃうしさ」

「い、行くって……どこにだよ?」

 久美の父親の拳銃の話を知らない重郎は、哀れにもうろたえ、久美に訊いたが、久美は答えなかった。

「どうせ、ずっと逃げてらんないもんね。最初から、そうしないとダメだったのかも。大丈夫。誤解だもん」

「……久美」

 僕はその意味を悟って、行かせまいと久美の腕に手を伸ばした。あと一息で、掴める。そう思った途端に、僕の手から、白い円筒は離れていった。

「ごめんね」

 叫びながら、僕たちの制止を振り切って、部屋を駆け出て行く。その後姿に、僕はいつか感じた、遠く届かない守るべき存在の影を見た。

 フラッシュバックする、その映像に気を取られている暇はなかった。今ならまだ、間に合うのだ。僕は、真っ直ぐ窓を眺めているだけの春花さんと、まだ茫然自失としている重郎を置いて、その後ろを追い掛けた。




 二人の距離は、縮まっているような、広がっているような感じがしつつも、その実あまり変わってはいなかった。明菜さん達が出てから開け放されていたらしい大門をくぐり、道に出る。どうやらちょうどパトカーが到着したところだったようで、すれ違って呼び止められる。無視する。ありがたい事に、道にはそれらしい、怪しい車は一台も見当たらなかった。

 後ろから、声を掛けたくなる。大声で呼び止めたくなる。だが、そんな事をしても、久美が止まる筈はないのだ。今はただ、追いかけて、腕を掴む。赤信号に遭遇するまでに、それを達成しなければならない。急ぐ久美は、信号を無視するかも知れないからだ。

 だのに、距離は縮まらなかった。運良く、二つ、三つと青信号で道路を渡ったが、幸運がいつまで続くとも分からない。久美の家までは、まだ二つの信号があるから……。

(あ……っ!)

 目の前に、大通りが見えてきた。赤い光が僕の絶望を誘う。

「久美!」

 決心は揺らぎ、僕は久美の名を叫んだ。

 久美は……立ち止まった。立ち止まって、振り返り、僕に駆け寄ってきた。僕は、それを、両腕で受け止める。

「……やっぱり、一人じゃ不安かな」

 僕の腕の中で、息も切らさずに久美は言った。

「もしかして、私が殺されちゃいそうになったら、スバは身代わりになってくれる?」

 久美は、震えていたが、泣いてはいないようだった。その代わりなのか、僕の頬に涙が伝っていく。

「それはどうだろ。だけど、ちゃんと守るよ」

「……本当に?」

「大丈夫」

 今こそ。久美からの信頼を得る、久美に心から信じて貰える、絶好のチャンスなのだ。僕にはそう思えた。

 久美を救う。必ず。

「行こう」

 僕はそう言うと、青に変わった横断歩道を、初めて僕から久美の手を引いて渡った。

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