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武田君のモテモテ物語  作者: さらさら
一.野木久美
19/23

野木久美①・18

 目覚まし時計に、新しい電池を入れてみた。目覚ましのベルが鳴らないのは、電池の残量が少ないからではないかと考えたからだ。だが、鳴らなかった。

 次に、いっその事と、埃を被ったドライバーを持ち出して、分解してみた。なるほど、この部分が正常そうだ、と思える部分があって直したが、組み直してみるとネジが一本余る。目覚ましも結局鳴らないままだったが、時計が壊れるという事もなかった。元々要らないネジだったのかも知れないが、未来の時計故障の致命的な原因になるような気がした。

 もはや、と思い、時計を買い直した。目新しい青いフォルムに最初は目を奪われていたのだが、いくらかして僕の心は、他の事に埋め尽くされていた。

 新品であるはずのその時計すらも、目覚ましのベルが鳴らなかったのである。




 不良品に当たっただけに違いないのだろうが、不吉な事この上ない出来事にすっかり意気を落としながら、水曜日二時間目の芸術科目の教室へと向かう。

「……鳴子。しゃんしゃん」

 隣で、自分で持ってきたらしい赤と黄色の鳴子を、とても楽しげに明菜さんが振っている。芸術科目は選択制で、音楽と美術、それに書道から選ぶ事が出来た。僕は色々考えた結果、服が汚れたりしないように音楽を選ぶ事にした。これで音痴も治ってくれれば、これ以上ありがたい事はない。

「鳴子、好きなの?」

「音がうるさいから、鳴子は嫌いだ」

 七組五班の中で、音楽を選んだのは僕と明菜さんだけだった。他の四人は、全員美術を選んだようで、重郎が僕たちを冷やかしつつ、ハーレムわっしょいと叫んでいた。

「じゃあ、どうして鳴子?」

「好き嫌いはいけない」

 こうして二人で音楽の授業へ向かうのは、昨日に続いて二度目である。そして昨日で分かったのは、明菜さんと二人きりになると、会話が難しくなるという事だ。何だか、会話を楽しんでくれているのか、そうでもないのかが掴みにくい。悪い言い方をすると、言葉から感情がいまいちこちらに伝わってこないのだ。

「好き嫌いをすると、健康に悪いそうだ」

「んー。鳴子とかの好き嫌いは、別に関係なさそうだけど」

「そうなのか……」

 ただ、がっかりとするその表情が持つ感情は、ひしひしと伝わってくるように思えた。




 帰る前の短いホームルームで、担任の倉口先生から明後日に控えた遠足についての詳細説明があった。バスに乗って行くという事と、決める時間がないので席順は名簿順になるという事、雨天は延期になるという事などいくつかの注意点、それから明日の六時間目にあるロング・ホームルームで買出しに行く、という事がものの五分で伝えられた。先生のそういう能力には恐れ入るが、生徒の方は覚えるのが大変で迷惑極まりない。

「…………」

「わぁ、お隣ですねぇ~」

 僕が窓側、朋絵さんが通路側で、僕たちの席は隣同士だった。とてもラッキーな事なのだが、一緒に登校しているとか実は付き合っているとか、あることないこと噂になっている事を考えると、複雑な心境ではあった。いやでも、嘘が真、気が付くと彼氏彼女というルートもないとは限らないから、それはそれで楽しみではある。

「重郎さんは、バスが苦手なのですね」

「に、苦手じゃねぇやい、ちょっと吐き気を催して頭がぐわんぐわんするだけだっ」

「……典型的なバス酔いです」

 七組五班の中では他に、重郎と多香子さんが隣同士だったようだ。何やら二人で、わいわいと盛り上がっていた。物静かな多香子さんをもお喋りに駆り出す重郎の話術は恐ろしい物がある。

 ホームルーム終了のチャイムが鳴り、クラス中に机を後ろへとずらす音が響き終わると、早くも久美が教室の中に入って来ていた。

「スバー。今日は用事があるから、部活行けないって部長さんに伝えといてー」

「ん、分かった」

「携帯も忘れちゃったし……今日は厄日だぁーね」

 どうやら急いでいたようで、久美はたったそれだけの会話を交わして、教室を走り去っていった。




 自然科学部の今日の活動は、珍しく空気力学に関係した、紙飛行機大会だった。さすがと言うべきか、優さんの折った飛行機は、室内でも屋外でもかなりの飛距離と飛行時間を保ちダントツのトップで、続いて室内での滞空時間がぶっちぎりだった多香子さんが二位、屋外でもぐるぐると旋回し続けた佐奈さんが三位、後は一瞬で墜落した重郎の飛行機を除いて大体同じ様なものだった。

「やっと科学部らしい事が出来たわね」

「……紙飛行機大会が科学部らしいとお思いなら、かなり毒されているかと」

「…………。それもそうね」

 ここ何日と、大喜利やら珍解答やらが続いていたので、優さんの出る幕はなかった。だが、今日のように科学分野になると優さんの独壇場になるのだ。やはり、有名中学校の実力は恐ろしい。戦々恐々としながら、部活を終えた。

 今日は久美が居ないので、一人で帰路につく事になった。ちょっとだけ寂しく思いながら、妙に広く感じる道を歩く。

(……夕方だなぁー)

 家に着いて、自分の部屋の扉を開けた頃になって、携帯電話がかばんの奥の方で鳴った。慌ててかばんを置いて、チャックを引き、手を突っ込んで携帯電話を掴み、取り出す前に応答ボタンを押す。

『……昴だな?』

 スピーカーから、重郎の声が漏れてくる。

「僕じゃなかったら怖いと思うよ」

 と呼びかけつつ、僕は携帯電話を耳に当てた。

「それで、なに?」

『今からそっち行くからよ、準備しといてくれ!』

 プチ、ツーツーツー。昔からだが、重郎の電話は淡白だ。多分、面と向かって会話する事に、コミュニケーション能力の殆どが使われているに違いない。こと電話に関しては、コミュニケーション能力が僕レベルまで落ち込んでいる。

(準備って何だろ……)

 心構えという事だろうか。何の用かは分からないが、何か重要な事なのかも知れない。全く想像はつかないが。

 五分ほどして、宣言どおり重郎がやって来た。だが、軽く息が切れ、表情もどこか焦っている。何か緊急の用なのだと理解し、玄関口で話を聞く事にした。

「久美が、黒いヤツに追っ掛けられてんだ!」

 だが、重郎はただ、その言葉を繰り返すばかりだった。かなり、切羽詰っているらしい。何だかんだで冷静な重郎が、ここまで憔悴するのも珍しい。

(黒いヤツ、久美……)

 久美を追いかけるような黒い物。ゴキブリ……なら、重郎がわざわざ報告する理由が分からない。パトカーは白黒だし、ブラックメンは日本には居ない。

 そこまで考えて、僕はハッとした。久美の今の環境を考えれば、久美を追う黒いそれは……。

「まさか……暴力団系の人?」

「そ、そうだ! 何か知らねぇが、早くしねぇと久美が捕まっちまう!」

「電話は!?」

「分からん! けど、メールはさっき届いた!」

 僕は急いで、靴を履きながら久美に送るメールを打った。どこなら匿えるだろう。大きい建物、広い建物……。

「……春花さん。春花さんって確かお金持ちだったよね」

 高校に入って、最初に久美とした電話で、聞いたような気がする。まるで遠い昔のようだが、確かに記憶が残っていた。

 春花さんの家へ逃げ込むようにメールした後、今度は春花さんに電話を掛けた。三度目の呼び出し音が鳴るか鳴らないかというタイミングで、春花さんのやほーいという声が聞こえた。

「春花さん、そっちに久美が行くから!」

『あーうん。何か分かんないけど、久美っちピーンチって聞いたから、こっちから迎えを出してるよー。なにかあったの?』

「あとでっ」

 電話を切る。既に僕たちは、家を出ていくらか走っていた。電話の内容を気にして振り向く重郎に、僕は春花さんの家へ行くように叫んだ。重郎は、理由を訊く事もなく、そのまままた前を向き直した。どうやら、どこにあるかを知っているらしい。

 電話が鳴る。今度は、朋絵さんからだ。

『私も、誼絵と一緒に春花さんの家に向かいますので~』

 緊急事態でも、朋絵さんの声はどこか和む。とりあえず警察に電話して貰うよう言って、電話を切った。

 橋を渡っていくらか走ると、お寺のような外見をした屋敷が見えてきた。重郎があれだ、と言ってスピードを上げる。僕も、少ない走力をフル使用して屋敷を目指す。

「……お~、来た来た。中に居るから、入っちゃってよ」

 門付近で待っていてくれたらしい春花さんが、心持いつもよりも穏やかな抑えた声で、僕たちを出迎えた。そして僕たちに開いている大きな門を通らせた後、自分も中へ入って、厳重に門を閉じ閂を刺し入れた。

 春花さんに案内されるままに中庭を抜け、屋敷へと入る。外観とは打って変わって内装は洋風で、広い玄関の靴入れの上には、輝くように赤い花が、二輪だけ花瓶に飾られていた。他の所も、広さの割にどこか質素で、がらんどうとしているように感じられる。

 そうして案内された部屋には、見慣れたメンバーが大体揃っていた。居ないのは、多香子さんに優さん、そして佐奈さんだ。明菜さんは、朋絵さんから急報を受けて、一番最初に来てくれたらしい。

「……久美」

 勿論、そこには久美の姿もあった。既に息が整っている所を見ると、ここに着いていくらか経っている様で、その目には少々の余裕も見て取れた。良かった。これで久美がまた暗くなっていたりしたら、僕もだいぶ落ち込んでしまう所だ。

 久美が、黒い人たちに襲われた。考えられる理由は二つしかない。金曜日、久美を襲った男が、また何かの企てをしたか、あるいは久美の父親の拳銃の引き金が、何らかの理由で引かれたかである。

「あーっ!」

 突然、春花さんが叫んだ。驚いて僕たちが振り向くと、春花さんはテレビを指差して硬直していた。

「漸進タメガースが、また負けてるー! あぎゃー!」

 じたばた。春花さんは、そうとしか形容の仕様がない動きで、地団太を踏んだ。部屋の空気は一瞬、大きく淀んだ後、和やかなムードを取り戻す。

「立山ホーマーズが勝つのは良い事だ」

「むむ、明ちゃんは敵ぃ? 今日負けたら、乙子園三連敗になっちゃうじゃーん!」

 なるほど、と、久美の言っていた事を思い出した。底抜けに明るい、という評価は、的を射ていると思う。久美の表情は、また一段と明るくなった。

 しかし、そうしていたずらに時間を潰している訳にもいかない。何故か居る女中さんによれば、久美を追って来ていた車は、遠巻きにこちらを囲んでいるようだった。

「何があったのか、話してみろよ」

「いやぁ。家に帰って、携帯持ってちょっとショッピングーと思って出かけたら、こうなっちゃった訳で」

 皆の期待に応えて切り出した重郎に、久美はそう答えた。久美に悪びれる様子はないが、皆にもそれを責める雰囲気はないので、良い感じなのかもしれない。

 どうした物かと考えている僕の手を、隣に居た春花さんの手が引いた。少し戸惑いながら顔を見ると、どうやら話があるらしくいつになく無表情で、更に僕の手を引っ張ってくる。僕はそれに従って、集まっている大部屋から廊下へと出た。

「何の話?」

 春花さんは僕の言葉に返事をせず、代わりに僕の肩を強く押して壁に押し付けてきた。思わず身を捩じらせて逃れようとするが、その力は強く、ついに春花さんの手を脱することは出来なかった。

「な、何?」

 突然の春花さんの変貌に驚きながら、手を軽く上げて抵抗する気のない事を示す。そうやってやっと、春花さんは僕を押す力を弱めて、こちらを見上げた。

「重郎ちゃんにはメールで伝えたんだけどね。……これ、久美ちゃんの狂言だと思うの」

「……どうして?」

「片や二,三台の車、片や徒歩。どう考えたって、捕まるよね」

 確かに、そうだ。しかも重郎の言い方では、既に走って逃げなければならないような状態に追い込まれていたようだった。これでは、捕まらない方がおかしい。

「で。……スバちゃん、何か知ってるんじゃないかなーって。どうして、狂言なんてしないといけなかったのか」

 春花さんは狂言と決め付けているようだった。そのまま、また僕の肩を強く押してくる。

「……本当に、狂言なのかな?」

「狂言じゃないと思える理由、ある?」

「…………。……実はさ」

 僕はやむを得ず、これまでの事について洗いざらい春花さんに話した。本当は『久美の父親が銃を撃つと、久美が殺される』という点だけで良いのだが、そこだけ話しても春花さんは納得してくれないだろう。何より、肩を押す手と、僕を見つめるその目から早く逃れたいという気持ちが、僕の心を押した。

 春花さんは世界が云々という所で一瞬ハッとした表情をした以外は、終始真顔で僕の話を聞いていた。全部聞き終えた時、春花さんは心底感心したような顔で、

「嘘っぽーい」

 と言った。

「……ま。スバちゃんの成績からして、急ごしらえじゃこんな話出て来ないもんねー。一応信じとこっかな」

「何か、馬鹿にされてるような気がする」

「気のせいっ、せーいー♪」

 急激に肩への力を緩めると、春花さんは軽くステップしながら大部屋へと戻って行った。

 残された僕は、いったん落ち着いて、狂言という可能性を考える事にした。

(……もし、狂言だったとすれば)

 狂言だったとすれば、久美の目的は何だろうか。すぐに思い付くのは、今話したばかりの事である。つまり、『久美の父親が銃を撃つと、久美が殺される』事への反抗。……だが、それとこの狂言とは、どうやっても繋がらない。

(となると、狂言じゃない?)

 狂言でないとすれば、何らかの理由で久美の父親が発砲したから、と安易に説明が付く。無闇やたらに発砲するとは思わないが、前の世界において久美が自殺した時には恐らく引き金を引いたはずだ。

 ひた、と僕の脳裏に、濡れた足音が走った。何か、どこかが引っ掛かる。そもそも、そもそも、発砲すれば殺されるというのは、昨日始まったばかりの話ではなかったか……。

(…………)

 つまり。久美が自殺してしまった理由は、未だ解き明かされていない。全くの謎である。……それも、狂言だとしたら。つまり、自殺したのではなく、自殺したフリをしただけだったとすれば。

(……やめとこう)

 それ以上続けても、人間不信になるばかりで、成果はないように思えた。思考は、僕の仕事ではない。

 だが。僕は、真実の琴線に触れつつある事に気付いていた。

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