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武田君のモテモテ物語  作者: さらさら
一.野木久美
15/23

野木久美①・14

 六時間目、終わりのホームルームまで終え、僕たち七組五班は初めての掃除をする為に、社会科教室へと向かった。僕は二度目だが、一度目は心ここにあらず、という状態だったので、新鮮には違いない。

 社会科教室は、七組の教室から見えるような距離にあり、行くのも容易い。僕たちは社会化教室に入ると、思い思いに箒を取ったりちりとりを持ったりした。

「っていやいや、ちりとりはまだ早いからさ」

「そうです? ……確かにそうかもですねぇ……」

 朋絵さんはちりとりを近くの机に置き、掃除ロッカーからちゃんとした箒を出して掃除を始めた。僕もそれを見てから、近くのごみを一箇所に集めていく。

「……面倒ですね」

「多香子嬢は掃除が嫌いか。これは意外だな」

「社会科教室は、授業で使わないですから。掃いていて虚しくなります」

 大人しい性格から、掃除が好きそうな印象しかなかったが、多香子さんが一番に文句を垂れた。こう言う時に一番文句を言いそうな重郎は、中学校の頃から掃除好きで知られており、今日も無言で隅々まで掃きまくっている。その手さばきは、熟練者のそれを思わせるようなスムースさで、清掃員でも最上級のお給料を貰えそうなレベルだ。

「多香子も、重郎のように掃けば良い」

「……明菜さんは何をしてるの?」

「総指揮だ」

 リーダー命令で、雑巾係に左遷した。

 机を動かして、掃く。戻して、集める。また別の机を動かして掃く。そんな作業を繰り返している内に、皆の士気が思わず上がり、十五分ほど掛けて部屋中をぴっかぴかにしてしまった。

「これでぴっかぴか? 全然だろ。黒板舐めても大丈夫ってぐらいがぴっかぴかってもんよ」

 重郎の意見はもっともだが、達成感が損なわれるので聞かなかった事にする。十五分も掃除したのだから、それなりの充実を得たい。

 掃除が終われば、次は自然科学部の活動である。今日は誰も帰る気はないらしく、全員で化学実験室へと向かった。廊下は静かに歩くように、との学級委員長命令によって声は密やかだったが、その間中も会話は絶えない。素晴らしいことだと思う。

「…………」

「うわ。……どうしたの、優さん」

 そんな僕たちの高いテンションとは逆に、入室早々、目どころか顔まで死人のようになっている優さんに睨まれた。その迫力に少したじろいだ僕と僕に続いて中に入った七組五班の皆は、カエルのように硬直する。

「……盗まれたのよ……」

「何が?」

「あの実験装置……高かったのに……!」

 うわあ。誰が盗んだのか、見当がつく。あの小さい体でどう忍び込んでどう持ち出したのかは知らないが、誼絵さんも豪快な手段を思いつくものだ。ただ、朋絵さんはその事を知らないようで、優さんの睨みにも気付かず、悠々と中に入って久美と談笑を始めた。

「でも、動かなかったんでしょ?」

「分解して再利用……リサイクル! 私の、超科学的リサイクルの法が、何者かによって破られたのよ!」

 超科学的って、科学を超えて科学ではないような気がする。

 見えない仇に一人で罵詈雑言を浴びせ続けている優さんを置いて、僕たちは化学実験室の奥へと集まった。

「……大喜利、だな」

 誰もが忘れていた今日の議題を、佐奈さんが再び掲げた。金曜日の活動に参加していなかった多香子さんや朋絵さん、それから久美は、何の事か分からずに各々首を傾げたりしている。

「七組の五班……俺たちの呼び名、が今週のお題だったよな?」

「だっただった、優秀作品には……豪・華・商・品!」 

「おお~。何を貰えるんです?」

「……何かを?」

 春花さんが無責任に僕を見て来たので、僕はその視線を受け流すようにして佐奈さんと目を合わせた。

「……一番面白くなかった者が、一番面白かった者の欲しい物を買う」

「ほほ、欲しい物の条件は?」

 日ごろからお財布が軽い軽いと言っている久美が、一番に佐奈さんに訊き返す。

「千円以内、だな」

「よよ、よし来たぁー、私参加するー!」

 物に釣られて、久美は早々に参加を表明した。だが、その久美を制止するように両手を大の字に開いて、明菜さんが、

「賭博行為は日本の法律で禁止されている」

 と言った。

「うむ。過去の判例から言って、この程度の金銭のやり取りなら、遊戯の内として認められるだろう」

「そうなのか……。しかし、生徒手帳にも、お金のやり取りはしてはいけない、と書いてある」

 言葉巧みな佐奈さんに、明菜さんも粘る。その必死な姿は、僕が明菜さんを応援したくなるには十分だった。

「私生活ではそうだろうが、部活動の一環だからな」

「むぅ……」

 学級委員として、納得の行かない所が多々あるらしい。と言うか、一方的に明菜さんの方が正しい。だが、屁理屈を堂々と言う佐奈さんに、明菜さんも徐々に丸め込まれて行く。

「私は九九九スナックで参加する」

 僕の応援もむなしく、明菜さんはその内に、止める立場から進んで参加する立場に変わっていた。九九九スナックとは、小さい袋に包まれた煎餅の詰め合わせセットの事で、その小袋には一つ一つに、一桁×一桁×一桁の数式と答えが書かれている。いわゆる、勉強菓子ジャンルの商品だ。価格は千円弱。千円まであと一円。

「げ。……千円ギリギリじゃねぇか、それ」

「ロスは少なくする」

「さっすが明菜ちゃん、合理的ぃ~!」

「……なら私は、伊藤博文の描かれた日本紙幣、で参加するわね」

 手と手を合わせてハイタッチする明菜さんと春花さんを他所に、優さんが参加表明をした。伊藤博文の描かれた日本紙幣とは、日本銀行が発行している千円札の事である。その価値はちょうど千円。一円の誤差もない。

「あれ、参加するの?」

「当然。キャプテンが参加しないでどうするの。あなたも強制参加よ」

 副キャプテンとして当然の役目らしい。元々そのつもりではあったので、新しい目覚まし時計を狙って参加する事にした。大体七百五十円ぐらいだろう。

 その後、多香子さんが文庫本、朋絵さんが豚の貯金箱、重郎が明日の昼食、春花さんがカットキット……お菓子の袋を上手に切断する為の道具、久美がノート十冊、佐奈さんが徳用十リットルのルーラ・コーラ・ジュースで、それぞれ参加を表明した。

「……皆さん、参加するんですね」

「これが、自然科学の求心力なのよ。いえす!」

「自然科学関係なさそうですけど~……」

 いつの間にか佐奈さんが持ってきていたくじを引いて、発表する順番を決定した。

 そこから、要暖房な大喜利大会が始まったのだが、あまりにレベルが低かったので割愛する事にする。とりあえず、中でも格段にレベルの低かった春花さんが、まだマシというレベルだった朋絵さんに豚の貯金箱を買うという事となった。

「その貯金箱で、失われた自然科学部の資産を集め直すのね。良い心得だわ」

「え、違いますよ~」

「…………」

 優さんの冷たい視線も、朋絵さんには効果がないらしい。そんな流れを経て、今日の活動は終わった。




 校門を出た辺りで、後ろから追いかけて来た久美と合流し、僕たちは久しぶりに二人きりで下校した。夕焼けに少し足りないほどの、薄い橙色のかかった青空に太陽が燦々と輝き、夏が近付きつつある事を示している。まだ四月だけれど。

「ほんと、金曜日はありがとね」

 久美が、珍しく改まって言う。

「金曜日……あの後さ、何か悪い夢見ちゃって」

「悪い夢?」

 問題事は解決したはずなのに、いつになくトーンの低い久美の声に、つい僕は訊き返した。久美の視線はまっすぐ、すぐ下に伸びた二つの影に向けられている。

「そ。昴が来なくて、私がずっと人質になって。その内、お父さんが拳銃を持って、向けて、引き金を引いて……。……んで、私が死ぬの」

「撃ち外してってこと?」

 久美は、首を小さく横に振った。

「色々あってさ。お父さん、上の人に拳銃使わないって約束してるんだよね。だから、もし撃って迷惑掛けちゃったら、制裁として私が殺されるって感じ」

「……何それ」

 まるで、意味が分からない。何故そこで、久美が出てくるのか。

 だが、久美は昔から変わらない笑顔を見せながら、言った。

「ま、とにかく、借り一って事さねー」

「うん。……貸し一で」

「借りは仇で返すから、そこよろしくぅー」

「重郎に返しておいてね」

「いえす、さーっ」

 すっかり誤魔化されてしまった。もう一度訊き直そうと思っている内に、僕たちが左右に別れる交差点に差し掛かり、短く言葉を交わして一人の帰路に就いた。




「……何で居るの」

 家の扉をくぐって、台所で洗い物をしていた母に声を掛けると、母は怪訝そうな、勘繰るような表情で、お客様が来てるわよ、と言った。誰だろうか、と思いながら部屋に入ると、日曜日と同じような位置と体勢で、誼絵さんが座っていた。ただ日曜日とは違って、長くも短くもないスカートを履いている為に、ちらりと見える太ももが少し眩しい。

「情報の共有のため。知っておいて貰わないと困る事もあるから」

 母があんな顔をしていたのは、二日連続で小さい女の子が家に来たからだろう。迷惑ではないが、変な評判が立つのだけは避けたい。朋絵さんに知られたら、そこから僕の高校生活、ひいては人生計画までが崩壊しかねない。

「朋絵さんに言っておいてくれたら、明日僕から行くのに」

「早いに越した事はないから。……まず、普通なら抱くべき疑問に答えるわ。何故、あなたにだけ記憶があるのか。気にならない?」

「んー……ならないかな」

「……そう?」

 誼絵さんは、少しだけ驚いた様子で僕を見上げた。

「受容力があるより先に、反懐疑的なのね」

「まぁ、うん」

「……答えは、たまたまよ。記憶が残るか残らないかは、運次第」

 結論から言って、どちらでも良い事としか思えない。そんな僕の表情を見て、誼絵さんは小さく溜め息を吐き、母が出したらしいお茶を口に運んだ。

「今は、この世界を脱す方法を考えているわ」

「……パラレルがどうとかって話?」

「そう。壊れやすいここから、安定した元へと戻らないと」

 金曜日に聞いた話だ。その件についても落着したのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。複雑な事というか、全く僕の想像外の話なので、あまりよくは分からない。

「今の所は、そんなもの。特に何かしろと言う事もないわ」

「そっか。……あ、そうだ。久美が自殺した理由、分かったかもしれないよ」

 むしろ、今、頭を満たしているのはその事だ。僕が久美の父親の話をすると、誼絵さんは静かに頷き、納得した、と呟いた。

「一度目の経緯は恐らく、父親が覚悟して発砲、その後その子を庇おうとしたけれど力足りず、思いつめたその子が身を投げた、ね」

「……何だかさ、おかしいと思ったんだ」

「今の所、矛盾らしい所はないと思うわよ」

「そうじゃなくて……」

 久美の事情を公言出来ない以上、他に心を打ち明けるべき相手はいないのだ。僕は誼絵さんに、自分の考えを話した。両親の事情とは言え、何故久美が死なねばならないのか。何故そんな事が、久美の知らない所で決められているのか。それで、良いのか。

「…………」

 僕が話している間、誼絵さんは無表情に、視線だけ僕に向けて静かに聞いていた。止めようともしなかったので、僕もつい感情的になって熱弁してしまい、五分ほど話してやっと冷静に戻った。

「……それで、あなたはどうすると?」

「どうすべきなのかな、って」

「改善したければ、その"上の人"に談判するしかない。あなたにそれが出来るの? どうやってもどうしようもない事に不満を持つのは、あまり賢明ではないわ」

 これまでになく厳しい言い方だったが、理に適っている。何より、何をすれば良いのか、明確に理解する事が出来た。

「……"上の人"に会う方法って、あるかな」

「人に頼っていてばかりでは駄目。自分の力で何とかすべきよ」

「誼絵さんの力を借りるのも、僕の力の内だし」

「……詭弁。分かったわ」

 久美は、すぐに死ぬという事はないだろう。だが、今の状態が、久美にとって望ましい物であるという訳でもない。大事、特に命に係わるような事は、当人の意思によって定められるべきなのだ。そして今、そこに久美の意思が入っていないというのだ。やる事は、決まっている。

 誼絵さんが、口を開いた。

「あなたの周りで、"上の人"に一番近い人は誰か考える。誰?」

「……久美のお父さん?」

「そうね。彼の力を借りるのが、最善策」

 自分でもいつかは考え付きそうな発想だが、やはり誼絵さんは早い。

「会えるかな、"上の人"に」

「目的を見失ってるわよ。あなたが会う必要は全くない」

 ああ、そうだった。僕が久美の父親を説得し、久美の父親が"上の人"を説得すれば良いのだ。

「時間は掛かるわね。それに、急いでも仕方ない事よ」

「うん。分かってるよ」

「そう?」

 誼絵さんは、珍しく可愛げに首を傾げて見せた。

 それから少しして、誼絵さんは荷物をまとめて立ち上がった。

「帰るの?」

「……あまり遅くなると、都合が悪いだろうから」

 どうやら、悪い評判が立つのを気にしてくれているらしい。それならあえて押しかけなくても良いのに、とも思ったが、素直に頷いておいた。

「これは別の話だけど」

 部屋を去り際、誼絵さんは振り返って言った。

「一度目の日曜日、私は鬼ごっこをしていたそうね」

「うん」

「それはありえないの。……つまり、私は何から逃げていたのか、という疑問が残るわ。それだけよ」

 扉が開いて、また閉じる。部屋に一人残された僕は、何とも言えない不気味さを感じた。

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