野木久美①・12
久美の受けているかも知れない虐待について、その推察の過程も含めて詳しく伝えた。唯一、一回目の金曜日についてだけは話す訳にいかずその部分だけは飛ばしたが、朋絵さんはそれでも大体を納得してくれたようだった。
虐待防止センターにも、連絡を入れた。だが、本人からの申告でない以上は即日訪問とはいかないらしく、訪問は早くて三日後だと言われた。勿論、それまで待っている気は無い。明後日には、久美は自殺するまでに追い詰められるのだ。
(……?)
一瞬、何か違和感を感じる。だがそれも、それと同時に鳴り響いた携帯電話の着信音に、初めから何もなかったかのように掻き消された。
慌てて開いて、ディスプレイに表示された名前を見る。送り主は……滋野重郎。
「もしもし。何?」
『話は聞いてんぜ。突入すんなら、俺も混ぜろよ』
誼絵さんが上手く手を回してくれたようだった。何から何まで、本当に頼りになる。頼りにしていないとは言わないが、朋絵さんはその正反対で、今になってもまだほわほわとした雰囲気を止めていない。
『今一階に居るからよ。いつでも呼んでくれ』
「じゃあ、今すぐお願い」
『了解!』
二、三分で、重郎はエレベータから降りてきた。上がってきた士気を逃さないよう簡易に事情を説明し、部屋へ突入して久美を連れ出す計画を練った。計画と言っても、いたって単純な物だ。ただ突撃し、久美を取り戻す。
行動は、早ければ早いほど良い。重郎はそう言った。僕たち三人は、心の準備を整えた後、扉の前に立って呼び鈴を鳴らした。さっきと同じようなバタバタ、という足音と共に、扉が開く。
「……あら、さっきの方。久美はまだ帰ってないけれど……」
「いえ、今回はそうじゃないんです」
僕の言葉が終わるや否や、扉の陰に隠れていた重郎と朋絵さんが、扉を強く引っ張った。僕は急いで、チェーンに手を掛け、外そうと力を込める。だが、長く使われていなかったらしいチェーンは錆びて、外れにくくなっていた。僕がてこずっている間に、久美の母親も僕たちの意図を悟って、ドアノブを持って後ろに体重を掛ける。だが、そこは重郎と朋絵さんの力に届かず、扉は動かない。次に僕の指を狙おうとしてか、ドアノブから手を離したのと同時に、チェーンが外れた。
朋絵さんが扉を全開にして、重郎が母親を突き飛ばして中へと走っていく。僕もそれに続いて、廊下を進んだ。ダイニングらしき所へ入ると、久美の父親らしき男が茫然と立っていた。
「おい! 久美はどこだ!」
「…………」
男は黙って、奥のふすまを指差した。重郎と僕が、横一線になってふすまへ向かい、勢いよく開ける。中には、久美の姿があった。だがもう一人、男が居る。黒いサングラスをした男は、なるほど悪人面をしていた。
「うっせーな……あ? ガキ。んなとこで何しとんじゃ」
「久美を連れ出しに来た!」
「そーか、んじゃ無理だからよ。早く帰れや」
どうやら、この男が主犯のようだった。久美は口をガムテープか何かで塞がれ、それでも僕たちを見て、目と唸り声で逃げるように伝えてきている。僕と重郎は、強く首を振った。
この男が久美の父親なのか。しかし、だとすると、さっきの男は一体誰だ。
「あん? さっさと帰れっつーのが、分かんねーのか?」
男の声に耳を貸さず、僕は冷静になるよう努めた。まずは先入観を、取っ去る。そして状況を並べ直す。客観的に見て、今の状況は……。
「重郎」
「……ああ。さっきのが父親さんだな」
理由にまでは行き着けないが、恐らく今目の前に居る男は、久美を人質に取ってここに居るのだ。
全く話を聞かない僕たちに激昂して、男はナイフを出した。こちらに向けるのかと思ったが、男はそれを久美の目の前へと持っていった。
「帰れっつってんだろが、ガキ! 舐めてっと女が痛い目遭うぞ? あ?」
「……どうする、昴」
「……大丈夫」
僕がそう、小声で重郎に言ったのとほぼ同時に、僕たちと男が対峙している脇にあるふすまが勢い良く開き、そこから飛び出て来た朋絵さんが、男に突進した。男は突然の事に驚き、ナイフを朋絵さんに向ける。僕たちも、今だとばかりに男に飛び掛った。
「久美さん! 早く!」
最初に飛び込んだ朋絵さんが、揉み合いの中しっかりと久美の腕を掴んで男から離れる。そのまま、僕たちのせいで軽く腰を打ったらしい久美の母親の下へ走った。
「チッ! 鬱陶しいガキ草どもが」
だが、僕たちは、男を押さえつけ切れなかった。僕と重郎二人がかりでも、男の力は数段強く、気が付けば僕たちは二人とも、男にうつ伏せで寝かされていた。
「大層な事やりよったのぉ、あ? 楽には殺さんぞコラ!」
逃れようと、暴れる。だが、男の力には抗し切れない。段々と、ナイフが首元へと近付いてくる。僕は、目を閉じた。
ダァン!
その瞬間、聞いた事もないような轟音が、部屋中に広がった。
「し、素人がチャラチャラんなモン出すんじゃねぇ! 殺すぞ!」
僕の上で、男がかなり戸惑いながら、誰かを罵っていた。前を見る。そこには、アニメで見るような拳銃を構えた、さっきの男……久美の父親が立っていた。
「怪我はない? 君たちが時間を稼いでくれたお陰だよ」
「早う下ろせや! 早うせんと、こいつらの命はないぞ!」
再び、首元にナイフが突きつけられる。だが、久美の父親は柔らかく笑っていた。笑いながら、男に言った。
「チャカ野木って言ったら、有名なつもりだけどね」
「んぁ? ……。…………」
乱暴な口調だった男が、突然シュンとなった。ナイフが勢い良く外され、体が自由になる。僕は重郎と、顔を見合わせた。
「出てって貰えるかな、とりあえず。話は今度、ゆっくりと聞くからさ」
「へ、へへ……冗談はよしてくだせぇよ……」
男はナイフを鞘に戻して、ゆるゆると力なくふすまを通り、少しして玄関で音を立てながら出て行った。
残った久美の父親は、拳銃を右手に持ったまま久美に駆け寄り、その頭を優しく撫でて、僕たちに言った。
「今日はとりあえず、帰って下さい。久美は大丈夫ですから。……これは水鉄砲ですし。音は、あのスピーカーです」
引き金を引かれた拳銃から、勢いよく水が飛び出した。その背景には、学校にあるような大きなスピーカー。どんな理由があってか知らないが、大それた装置だ。
「……あ、久美。ジュース、置いとくね」
僕たちは大人しく、従って帰る事にした。僕は、何も言わない久美の前に缶ジュースを一缶置いて、部屋を後にした。




