#001:Beach
バイクのエンジンを切ってキーを抜いた。
黒のショートヘアー、下部分が癖のおかげで外に跳ねている。本人はそれを公にコンプレックスとしてはいるものの、言われたところで何を気にするわけでもない。どちらかというと隻眼に関してウサギだのなんだのと貶されると頭にくるらしい。
ならコンプレックスは目だろう――それは髪で誤魔化している。と、本人は言っている。実際のところ、目を馬鹿にされると叫ぶので意味はない。
それが全国を駆ける配達屋――汀・ミナヅキである。
「うおっはよーございまー」
屋根だったのであろうトタンを蹴り倒し、汀は扉をぶち壊した。どうせ戸締まりなどとは無縁のアパートなのだ、扉一つで何が起こるというわけでもない。雨風さえ凌ぐことができれば住まいというものは成り立つのだ。
べこ、とか踏みつけた扉が音を立てたが、ここは敢えて見ないでおこう。
たくさんのコードと古臭いパソコンを蹴り飛ばし、時には踏み、汀は奥へと進む。後で靴跡のことは言われるのだろうか、と考えながら、肩に提げた鞄をかけ直した。
崩れたのか、最奥の部屋へ繋がる扉は七、八台のパソコンによって塞がれている。ガタガタ言っているのは部屋の主が中から押しているのだろう。
どうやら重くて開けることができないらしく無言ではあるものの、相当焦っているらしい。
証拠に扉の向こう側の人物は非常に忙しなく扉を叩いたり、押したり、終いには蹴っているではないか。ある意味物凄い恐怖に値する。
「うわーん! 誰かーっヘルスー……あ、違ったヘルブー!」
「ヘルブ。スペルは《HELVE》。道具、武器などの柄――正しくはヘルプだバーカバーカ」
敢えてプの部分を強調し、汀は扉を蹴る。
その衝撃を直に受けたらしく、向こう側の人間は
「ふぎゃう!」
と一つ、叫びとも呻きともわからない声を上げた。
汀の台詞と行動でその存在に気付いたのか、余計に部屋の主は戸を叩いて自己主張し出す。いちいち大きい声を出すな、高いから。と、言う暇も与えず、彼女は――情報屋、望実・ヌクイは荒げた声で騒ぎ出した。
「そこにいるのは汀だね、汀・ミナヅキ、みーちゃんだね!?」
「みーちゃんヤメレ」
「あああああ! お願いっ多分にそこでドアの前を塞いでるパソコン共を退かしてここを開けて頂戴! 全くなんて恩知らずな機械達なの? 後でぶっ壊して――じゃなくって! 開ーけーてーぇえ!」
生理現象にでも耐えきれなくなったのだろうか――などと、非常に失礼なことを考えながらパソコンの本体、ディスプレイ、キーボード等を面倒なので足を使い退けていく。
その辺に転がしておけば後々文句を言いながらも望実が片付けるのだ。退けてやっても良いが片付けてやる義理は持ち合わせてなどいない。
やたら重い四角い機械の山を扉が開く程度にまで脇に押し込める。
途中、本体の硬い角部分がディスプレイにめり込んだのを見た気がしたが――
「錯覚だ。目の錯覚……最近寝ずに配達頑張ってるもんだから、ちょっと気分が悪くって幻覚見ただけだって。……あれ? それもヤベェなオイ。あ、開くぜのぞ」
「トイレェエ!」
「おぶ!?」
勢い良く開いた分厚い扉と、汀の振り向いた顔が凄まじい包容をする。
ドアノブが腹に食い込まずに済んだのがせめてもの救い、不幸中の幸いか。しかしどちらにしろ、顔面に直接攻撃を受けたのだ――鼻が痛い。潰れたくらいに痛い。鼻血は出ていないようで安心したが、痛い。
犯人を怒鳴りつけてやろうと思考が回った時には既に、彼女は一瞬でトイレへと駆け込んでしまっていた。
水が流れる音が聞こえ、トイレットペーパーを回す音が響き。再度水の流れる音がしている、その間にも汀の怒りはどんどん膨張していく。閉じ込められているのを助けてやったというにこの仕打ちは一体なんだ。日頃の行いは良いはずだ。
……割と。
「あっはーすっきりしたァ、生き長らえたー。いやぁ全く、女を捨てるとこだったよ」
ケラケラ笑いながら出てきた金髪少女にもう一段、怒りの感情を上乗せた。
「あんがとねみーちゃん。……と、鼻なんて押さえてどうしたの。鼻血? 花粉症? 鼻炎? 蓄膿症?」
「……言うことあんだろ? つーかみーちゃんヤメロ」
「え? ああ……あー! 汀、あんたディスプレイに皹入れたね!?」
「謝れやボケェエ!」
少々腐って脆くなっている扉を蹴り飛ばす。と、板仕様の扉は汀の足をいとも簡単に貫き通していた。
一瞬の空白。
現状を理解することに、汀と望実の二人は予想以上の時間を有し――叫ぶ。望実が。
「なぁにやってんのオォオ!? お前もう破壊神で良いですからァ! そんで鼻潰しちゃってごめんなさい!」
「まだ潰れてねェよ! てーか謝るのはオマケか? ついでなのか? それから破壊神っておま……軽くヘコむんですけど」
「で、何の用? 破壊神」
最早ツッコむ気力も失せたのか、汀は余計な溜め息の後、鞄を前に引き寄せてチャックを開ける。やたら量の多い封筒を掻き分けて、一枚、やたら青白く目立つノートサイズの封筒を取り出す。
妙な膨らみから、中には段ボールで保護された何かが入っていることだろう。彼女の職業柄、それはきっとコンピューター関係のものでCD-Rやフロッピーディスクなどと言ったところか。
汀としては何ら興味もない、仕事上差出人と宛先人のプライバシーを守らなければならないという二つの事から、中身など知る由もないのだ。
知って、死んだ連中もいたりする。
現在の日本に反発する――俗にレジスタンスと呼ばれるもので、過激派に分けられる組織間を往復するなど、配達屋にとっては日常茶飯事だ。その点で言えば汀自身も犯罪者に成り得るのだが、そう易々と捕まるなどと思ったら大間違いである。
備えは万全、それなりの装備――というか武装は怠らない。
銃刀法なんざくそくらえ。……世も末だ。
「ホレ、お前宛て。珂南から」
危ないかな、殴られるかもなと思いつつ、分厚い封筒を望実に向かって軽く放る。
反射神経に廃れた彼女でも余裕で掴み取れるくらいのそれは、確実にトイレの前に立つ彼女の腕の中へと収まった。
珂南・カタヤマと書かれるそれには、汀が宛先人にである望実と差出人の珂南、両人と知り合いであることから住所は書かれていない。
無闇に簡素なそれをズタズタに引き裂いてゴミも床に散らしたまま、望実は中身を確かめた。段ボールとナイロンで作られたクッションの中、押し込められていたのは、やはりというかなんというか――CD-ROM。
最近の彼女等は《情報屋》と《レジスタンス》の情報交換というよりは、友人同士でのゲームソフト貸し借りといった状態になっている。
微笑ましいと言えば微笑ましいのだが、いかんせんエンジニア同士での共同作成で出来上がるものだから内容が怪しい。
後ろから覗き込んでみれば容赦なく撃たれる、と言ったところか。
それからは見ようとも思わなくなったのだが。怖いし。
「おおうば!? さっすが珂南ちー、最高!」
「キャラ崩壊してんぞさっきから。さて、俺ァまだ仕事あっから消えるわ――と。お前は何か配達モンとかあるか?」
「んや。仕事用意してあげれんでゴメンね。代わりにただで……交通情報でも教えてあげるよ」
「あー……頼むわ。ケータイ、最近じゃナビもまるで駄目になってからな」
機嫌が非常に良いらしい彼女、長い金髪を纏めて左に流し、閉じ込められていた部屋へと引っ込んでいく。
淡く青い光にのみ満たされたその部屋の真ん中――埃を被るパソコン達にあらゆる箇所を埋め尽くされた箱の中で、望実は設置された椅子に腰掛けた。
ディスプレイの上に積み上げられたCD-ROMを達磨落としの如く一枚だけ引っこ抜くも、案の定積み木は音を立てて床に散らばった。
「あーあーあー、お前ホントA型だよな」
補足。A型の人間の特性として、片付けは上手いが一度散らかると極限まで散らかすらしい。
「ぬ。片付けなんてやってる暇がないの」
「引きこもりのくせに……」
「中央から北側の路地、八十パーセントは交通止めくってるね。《アンノーン》が出たみたいで警察庁の連中か後始末してるっぽいね」
話を逸らしたな、と横目で見てやれば僅かに顔を逸らされたのは気のせいか。否、気のせいでない。
「最近多いな、発症率が一番高ェのってやっぱ都市部だろ? 東京、新宿、渋谷、原宿――人がやたら多く集まる場所だ」
「結局はそういうもんなんだよ、病気なんてのはさ。人から人に感染するものは人を介して広がるからこそ過密地域を満たしていくの。媒介がないとウイルスや菌なんてその辺に浮いてる空気でしかないもん。……ま、とりあえず汀も気を付けて。《アンノーン》にも警察にも」
「用心するに越したことねーか……中央通りから北側を避けて通りゃ、今んとこ問題は殆どねーんだろ? 情報無料提供、感謝すんぜィ」
一歩踏み出していた足を引っ込め、汀は部屋を出ていこうと歩き出す。
その際に望実から見送ろうか、と声を掛けられたが丁重に断っておいた。そっちも仕事くらいあるだろうと適当に理由を付けて。
「じゃーあなー、次会う時まで生きてろよ」
「ウサギちゃんもねー」
わざと、だろうか。帰り際、いちいちこの女は地雷を踏んでくれる。
「誰がウサギじゃボケ!」
腹いせに壁に穴を空けてから次へと向かうことにした。
依頼人の意向で差出人の名前は不明な、一般的な細長い封筒。表面には宛先側の人物名と住所が綺麗な字で描かれている。
住所を確認し、舌打ちをした。
見てみればここからそう遠くはないが、場所が問題である。簡単に推測して――宛先はここ大通りの北側。《アンノーン》の処理が現在進行形で行われている地域だ。
次に回しても良いのだがそうもいかない。
多分大丈夫だろう、などと妙な自信に背を押されながら、汀はバイクに跨った。裏を通れば検問に引っ掛かる確率も断然低くなる。
「たく、食ってくのも楽じゃねーなー」
宛先は《葵・アマハラ》。
どこかで聞いたことのあるその名に嫌な予感を覚えながら、汀はボロアパートを後にした。
後ろに望実の怒声を聞きながら。