第一章<8> 淡く輝く鉱山【金狼】
明朝。とはいえ明るさの変わらない洞窟内で、朝かどうかなどと言ったところで実感が湧かない。人間は光を浴びないと身体に悪いらしい。まったくもってその通りだと思う。超肩が重い。まあ、それは光うんぬんは全然関係ないんだけどね。
見張るなどといって隣に座っていたアニエはものの十数分程度でノックダウンした。清々しいくらいに睡魔にやられていた。お陰で僕の肩は枕に大変身だ。動くのも悪いから極力じっとしていたせいで身体がギシギシだ。
「結局貫徹なわけだしな……」
よくあることとはいえ、身体が怠い。全身の筋肉が弛緩しているような感覚。それでいて頭は軽い。ボーッとしてまるでアホになったみたいだ。今の頭の中身は脳みそじゃなくて多分梅干しだ。
アニエの顔を覗き込む。少し乱れた髪を梳くった。
初対面時から心象が最悪だったから気付かなかったが、アニエも可愛らしい顔をしているのだ。鼻はそんなに高くはないが鼻筋は通っている。睫毛も長いし、ふっくらした唇などは魅力溢れる武器だろう。
性格さえなんとかなったら完璧なんだがね。
「……何をしてるんだか僕は」
我に返って眉間を押さえる。頭が回っていないのか。品定めのようなことをしている場合じゃないだろうに。
「おい、朝だ。起きろ」
頬を軽く叩く。
「ん……うん……」
アニエは口をもにゅもにゅさせただけでそれ以降びくともしなかった。何度も言うが寝ているとこいつは可愛い。このまま放っておくか……?
冗談を言っている時ではない。やっぱり頭が回っていない。顔を洗いたいものだ。
「うみゅ……おはよ……ございまふぁ」
奥の方からそんな、これまた気の抜けた欠伸混じりの声一つ。シエルかリュカかどっちかが起きたんだろう。
「う……ん〜っ」
伸びをしているのか、
「ふひゃぁ〜……」
大変羨ましい限りだ。こちらも凝り固まった身体をさっさと解したい。身体が動かせないからその場で返すことにする。
「おはよう」
「あ、ユキト君……見張りしててくれたんだ……ごめんなさいわたしたち先に寝ちゃって……」
声の感じからしてシエルのようだった。
「構わないさ。あとちょっと助けて貰えるか?」
「え、何?」
シエルの立ち上がる音と、それに続いてこちらに近付く足音。ほどなくしてシエルの姿が横目に写った。
すごいのけ反っていた。
「あ……アニ、エ……?」
戦慄して、こっちが驚くくらい目を見開いてこちらを、正確にはアニエを凝視していた。そんなに驚くことなのか。というか何に驚いているんだろうかこの少女は。
「あの、えと、ユキト君これ……」
「んーまあ、僕が邪なことをしないように見張るそうだったんだがな……先に寝たんだ」
「へ……へえ……そう、なんだ……」
「どうやったら起きる?」
「あ、ああうん。えと……」
シエルがしゃがみ込んでアニエに顔を近付けた。すぅ、と息を吸い込む。
「アニエ、ご飯だよっ」
「……」
え、何その起こし方。
それで起きる子いるの?
「うん……起きる……」
「起きるのかよ……」
僕の起きろとどれほどの差があるんだ。誰か教えてくれ。
自分の右手が顔を覆うのが解った。無意識になるものらしい。呆れのポーズって。
肩が軽くなる。アニエが頭を持ち上げたようだ。擦る目はまだ眠いのかとろんとしている。
「おはようアニエ」
シエルが目を細めて言った。笑っているのに笑っていない。むしろ怒ってさえ見えるのは気のせいなのか。
「おはよ……あれ? あたし……」
「僕の肩の寝心地はいかがでしたかお嬢さん?」
肩をぐるぐると回し解しながらユキトが尋ね口調で言った。
「ん……まあ……それなり……って――ああっ!」
「耳元で叫ぶなよ……」
「ああああんた……なななななんで……」
「よーく思い出して、よぉーく考えろ」
「まさかあたしの操を……!」
「動揺していることだけは解った。騒がず落ち着け。昼までにはここを出たいんだから」
「ここを出る……ああ、思い出した……金狼……」
記憶は正常に戻ったらしい。
「あんたよくもあたしを押し倒してくれたわね!」
「戻ってなかったッ!」
そのあと脛に蹴りを入れられた。理不尽である。
◇◆◇◆◇
「金狼……へえーそんなのいるんだ」
「危ない……んだよね?」
痛みもひいて、アニエよりぐっすり熟睡していたリュカを叩き起こして(文字通り叩いて起こした。思うがこいつらサバイバルには向いてない)、食事がてら緊急会議を執り行うことにした。言わずもがな、夜に目撃した化け物のことだ。
魑魅魍魎の上位に立つ生物――金狼。
あれの対応策などを含めた今後の行動を決めるのだ。ある程度決まっているが。
「交戦経験があるわけじゃないけどな。強いのは確かだ。《巨人の魂協会》は交戦経歴があったはずだ」
「何それ?」
キョトンと聞き返すアニエに対して逆にユキトは驚いた。
「知らないのか、TSS。王都ネイルの四大ギルドの一角だぞ?」
「ああ〜なんか聞いたことはあるわ」
「その程度の認知度……カワイソ」
「で、そのタイワンソーメンソバヤサンがなんなわけ?」
「惜しい気がするけど全然違う!」
タイワンってなんだ。ソーメンとソバはともかく。っていうかそれでもねーよ! 確かに略せばTSSだけどさ!
これ以上は埒があかないし、ボードを取り出して話を続けることにする。
「いや、確か奴らの交戦履歴は幹部三名と下っ端五名。計八名での討伐だったかな。結果は確か……」
ボードは地図の制作のためだけの物ではない。現在の受けている依頼の詳細や過去の経歴も記録できる。協会に対して開示を許可している依頼は内容が他者にも公表される。TSSは原則開示。参考にもなるから時々データを頂戴する。
パネルを操作してフォルダを開く。TSSの討伐依頼専用フォルダ。取り込んでいるのは接触禁忌指定との戦闘などが多数。その中に金狼との交戦履歴もあった。
「これだ。下っ端は一名重症に三名死亡。幹部一名も死亡。あとは軽傷。生き残ったのは三名。しかも軽傷者はTSSの総長と副長だ。こいつらの方が化け物だな」
「一応は勝ったのね」
「すごいんだね、タイケツソーキソバヤサンって」
「リュカ、もうそれ原形留めてない」
なんかのイベントの名前か。
ソバヤサンしか合ってねーし。つーかソバヤサンじゃねーよ。ソサエティだ。語呂合わせとけばなんとかなるとか思ったら大間違いだ。
わざとやっているのか。多分そうなんだろう。そうだと信じたい。
「それで、その金狼がここにいるんだね?」
脱線しそうになったところを、シエルが手を挙げて戻してくれた。涙腺が緩んだ。
「ああ、そういうことだ」
「このメンバーでやったら勝機はあるのかな?」
「いや、零だ」
シエルの質問に即答。こればかりは変わらぬ事実だ。このメンバーで臨めばまず勝ち目はない。誰かは必ず死ぬだろう。
「やって見なくちゃ解らないじゃない!」
アニエが抗議の声を上げた。リュカがそーだそーだと囃し立てる。面白がっている顔だ。腹立つから殴っていいだろうか。
「やらないと解らん奴を馬鹿というんだ。TSSの幹部すら死ぬんだ。しかも副長がいて、だぞ」
「それがなんなのよ?」
「TSSの副長は壁役なんだよ。しかも天才的な」
「タンカー?」
「自分の身体を盾として、前線で仲間を守る奴だ。強靭な身体と精神力がいる。盾があるとはいえ、化け物の攻撃を受け止めるんだ。並大抵じゃない」
TSS発足時のメンバーは八人だったという。その中で唯一の守護者。サルファ・アトモスフィル。《蒼い盾》などという仰々しい通り名が冠する通り、青色の盾を使う。天性の勘とその屈強な身体で仲間の窮地を救ってきたらしい。僕とは大違いだ。
どちらにせよ、そんな人間がいて、生き残ったのは半分以下。金狼の平均的戦闘力はつまりはそういうことだ。
「で、僕らには壁役がいない」
「当たらなければいけるじゃない」
「お前……ホントにあの時見てなかったのか? 土竜人を仕留めた金狼の膂力と速さ、あれ見て同じこと言えるか?」
「あの窪みだよね、それって」
リュカが指差した。
今さら見なくても解る。ユキトはシエルの入れてくれた紅茶を飲みながら頷いた。
窪みと言うより穴だ。同じか。いや深さが違うだろ。あれはへこんだとかそんあものではない。抉り取られているのだ。地面ごと刈り取ったのだ。土竜人を。
「解ったろ。勝ち目はない。遭遇、これすなわち死を意味する。ここまで遭わなかったのだって奇跡だ。その奇跡に縋ってとっととここを出ないと……マジで死ぬぞ」
ユキトの言葉に三人が息を飲むのが解った。
この三人はまだ見たことがないんだ。多分、本能で感じる恐怖とか、摘み取られていく人の命とか。そういうものを。
ダンジョンメイカーなんてのは突き詰めればその先は闇だ。真っ暗闇を歩ける人間はいない。どんな奴にでも平等に死が訪れる。それがダンジョンメイカーだ。だから命を賭けずに並々に生きようとする奴もいる。
間違いではない。ある種正しい。だが間違いでもある。だって皆闇の中で生きているのだ。慣れるしかない。もがくしかない。それをやめれば、ゆっくり歩いていれば、安全かもしれない。こけないかもしれない。だけどきっと後ろから追い付かれる。
死に。
それは全方位全角度から襲う魔の手だ。掴まれたら最期なのだ。だから、もがくのだ。恥をかいても。馬鹿に見えても。常に生き残る選択をする。
この時最も最良の選択は逃げることだ。金狼という死から逃げる。無様かもしれない。それでも、生きるために、逃げるのだ。
「……十分後にここを出る。用意しといてくれ」
カップを地面に置く。少しキツすぎたか。急場でこしらえたパーティーなのにリーダー面で偉そうに言っているが、もっと上手い言い方があったかもしれない。とは言え気の利いた台詞など……。
だが少しでも元気付けた方がいいだろう。考えないようにしているが、地図の出来からして進行度は芳しくない。これはネアに色を付けてもらえたとしても四人で分ければ半日分の食費で消えかねない。
「まあ、すぐ王都で違う仕事を探せば――ってどうした?」
三人とも、目を見開けていた。口もあんぐりと開いている。間抜け面もいいところだ。失礼だが。
「あのユキト君……」
「何?」
シエルが震える手でユキトを指差した。正確には、多分その後ろ。
「あれ……」
「あれ?」
その指を負うが如く後ろを見る。
間抜け面になった。
「うっそ……」
金の毛を纏う巨大な人の身体に狼の頭を持った生物が立っていた。
最高に泣けてくる展開だ。
神様。あんた最高だ。最高過ぎる。今度出会うことがあったらあんたの髪の毛引きちぎって蓮華の花に添えてケツの穴に生けてやる。ド畜生が。
超最低。