第一章<7> 淡く輝く鉱山【夜】
結局、ユキトたちがゆっくりできそうな場所を発見できたのは夜の十一時半――軽く一時間半後だった。泣けてくる。
道中にいくつか候補は見つけたのだが、アニエが却下した。やれ狭いだの暗いだの。鬱陶しい。お嬢様かこいつ。お前がそんなタマか。実際そう言ったらぶん殴られた。どうせ襲われたら嫌ーとかそういうことなんだろうがな。いやいや、こっちにも選ぶ権利がある。それは口に出さなかったが。
四人でランプを囲む。焚火をするには薪がないし、いささか無用心すぎる。なんだかんだで敵地のど真ん中なんだし。だから火は使えない。よって料理も出来ない。大した材料があるわけではないんだが。
ということで夕飯は携帯食料。超マズイ。味が無いのだ。泥団子といった方が的確だ。誰だこんなもん作った奴。
「うげぇ……まずい」
アニエが苦い顔をした。
「必要な栄養を捏ねただけだからな……安いがマズイ」
「味も追究してほしいわ……」
「ほんとだね……」
げんなりしたアニエにシエルが同意した。こればかりは僕も頷くしかない。だって本当にまずいんだもの。
――しかしだ。
「おかわりー!」
空気を全く読まない元気溌剌なおかわり宣言。
この娘だけは絶対におかしい。
信じられないといった目でアニエはリュカを指差した。戦慄すら覚えている。かく言うユキトも驚きで口が開いたままだ。
「あんた……それいくつ目?」
「え? んーとねぇ……七コ目?」
「よく食うわね……」
「おいしいよ?」
「ああそう……」
アニエがさっきよりげんなりした。というか疲れきった表情だった。
しかしリュカ……方向音痴に飽き足らず、味音痴とは。大丈夫だろうかこの少女。関係の無いユキトでさえ行く末が本気で心配になった。しかし両手に泥団子を持って嬉しそうに頬張る子リスのような姿に向かって「お前はおかしい」と言う度胸は無かった。
まあ。ここまで嬉しそうに食べる姿を見てれば、この手の泥団子も少しは美味しく感じれるだろう。そう言い聞かせて残りを頬張る。
やっぱりまずい。
もっとフルーティーな味にして下さいと嘆願書でもだしてやりたい。
「あ、そうだ。ハーブティーを持ってきてるんだよ。お口直しにどうかな……?」
シエルが思い出したように言った。アニエとリュカが「飲む!」「飲む〜」と即返答。リュカはともかく、アニエの表情の華やぎ方が尋常じゃなかった。よほどまずかったんだろう。
シエルがこっちを見てきた。
「ユキト君はどう……かな?」
「あ、ああ。頂くよ」
「本当!? す、すぐ用意するねっ」
「ああ、うん」
そんな急がなくてもいいんだけどね。嬉しそうなシエルを見ていると、水を差すのは野暮というものだろう。そう思い口を閉ざした。
ほどなくしてハーブの香りが洞穴の中を包み込む。
こぽこぽとコップに注がれていくのを眺める。シエルはアニエとリュカにそれを渡し、そのあとユキトの方に寄ってきた。両膝をついて、すっと目の前に差し出されたのは、湯気の立つハーブティー。
「どうぞ」
「ありがとう。いい香りだ」
「アンタにお茶が解るの?」
鼻で笑うという人様を小馬鹿にした物言いで水を差すアニエ。ユキトはむっとして言い返した。
「お前よりはな」
「なんですって!?」
「お前よりはな」
「二度も言うんじゃないわよ!」乗り出してくるアニエ。
「喧嘩はやめてよ二人とも」
「そーそー仲良く仲良くー。んーおいしー」
「ふんっ」
シエルとリュカの制止に、アニエはそのまま座り込んで顔をぷいと背けた。可愛くない。
「突っ掛かってきた方がふて腐れるなよな……」
「あん? なんか言った?」
「なんでもない」
これ以上は不毛だとさっさと折れる。シエルがこっちをじっと見つめていた。少し怖い。そそくさとハーブティーを喉に通した。
「……美味い」
「本当?」
「ああ」
「よかった」
そう言って浮かべた安堵の表情は魅力的だった。
こんな時間を過ごすことがまだあるとは思いもよらなかった。分不相応だ。甘い夢はこの脆弱な心を蝕んでいく。気付かぬうちに全身に回り、崩れ落ちるように心を壊していく。
ふとあいつの顔が脳裏を過ぎった。
あんな思いはもうしたくない。この夢に呑まれてはいけない。現実を直視しなくてはならない。白夜に目を落とす。僕は剣士だ。冷たい現実ただ剣を振るう。殺すためではなく、守るために。
「零すものか……」
「え?」
「なんでもないさ。ご馳走さま、シエル」
怪訝そうな表情のシエルにカップを返す。「どういたしまして」と微笑みながらそれを受け取ってくれた。手が触れた。小さな手。女の子の手だ。
「顔赤いぞ。調子崩した?」
「え、な、なんでもないよ」
「そうか?」
「そうだよっ」
「怒るなよ……」
「お、怒ってないよ」
あわてふためいて、腕を振るシエルを見て自然と笑みが零れる。
「笑わないでよぅ」
「ああ、悪い」
「まだ笑ってる……」
頬を膨らませて上目遣いで睨んでくるが、小動物のようで可愛らしかった。それが余計に笑いを誘う。
ああ、本当に分不相応だ。
彼女の表情全てが僕には不釣り合いだ。もったいない。もうそんな表情を向けられる権利は僕にはないのに。向けられるべきは嫌悪と憎悪だ。それが僕の罪と罰だ。
この少女たちを守るために、僕は今一度戻らなくてならないのだろう。
あの頃の、まだ鳥籠の中にいた頃の、もう捨てた名の剣士に。
《剣雄》に。
◇◆◇◆◇
思えば通り名みたいなものは結構あった。始めは《剣雄》。《ぼっち白髪》とか《狼被兎皮》は悪口か。今は……いや、もう考えるのはよそう。ユキトは頭を振った。
夜半。三人娘が寝静まった頃、見張り役として洞穴の端っこで座り込んでかれこれ二時間。どうにも普段考えないことが沸いて来る。変な引き出しでも開いたか。迷惑なことだ。古い記憶なんて、ほとんどが忘れたいことばかりだというのに。
普段と違う状況が余計なことを考えさせるのか。
「はあ……」
溜め息が漏れる。
一人の時は無心でいられたのに、人が増えるとこれだ。いや違うか。普段は考えないようにしているだけだ。
「気の揺るみってやつかね……」
「何がよ?」
「うお!?」
「人を化け物みたいに……失礼ねアンタ」
「アニエか……びっくりさせないでくれよ。トイレか?」
「アンタさ、デリカシーって言葉知ってる?」
半眼でユキトを見て何か諦めたかのように、ふう、と小さく嘆息するアニエ。
「隣いい?」
「ん……ああ」
身体を右にずらす。左隣にストンとアニエが腰を降ろした。肩が触れるか触れないかの距離。普通ならドキドキする距離だが、アニエ相手にそれはなかった。
「で、なんだ。眠れないのか?」
「そういうアンタはなんで起きてんのよ?」
「質問を質問で返すなよ。僕は見張りだ」
「あっそ。寝ないの?」
「寝たら見張りって言わんだろ」
クスリと小さくアニエが笑った。
「そりゃまあそうね……代わったげようか?」
「いいさ。それより――……っ!」
ユキトはアニエに覆いかぶさった。そのまま地面に臥せる。ジタバタしてアニエが変な声を出した。
「ひゃっ。え、ちょ、ちょっと!?」
「しっ……」
アニエの口許を抑える。
視界の端にに過ぎる影。長年の勘と経験が判断を下した。息を殺して影を追って目を凝らす。
夜半とはいえ光虫石がほんのりと照らす鉱山の中。ある程度は見える。そして淡い光りに照らし出されたのは、小さな人影。毛むくじゃらの小柄な子どものような姿。
土竜人だ。
「一体だけ……か?」
キョロキョロとしている。端から見ても急いでいるのが解った。何かを探しているのか、それとも何かから逃げているのか。ユキトには解らない。が、さすがにこれはどうでもよくない。
じっとその姿を見つめる。今度は小さな揺れを感じた。それと同時に土竜人の身体が跳ねる。途方もない威圧感のようなものが押し寄せている。それだけで既にユキトは解答を出していた。
探し物か逃亡中か、果たして目の前の土竜人は後者だった。
事は一瞬。
されど峻烈。
あまりに巨大な体躯。なんでそんなに速く動けるのか。単純に筋肉か。だとしたら正真正銘の化け物だ。図体だけでかい鎧殻蟲のほうがまだマシだ。
地面が爆ぜた。
比喩ではなく、本当に爆ぜた。いや抉られたといっ方が正しいか。
そこは土竜人の立っていた場所だった。そこには既に何もなく、ただ穴が出来ていた。その延長線上にしゃがみ込んでいるそいつは、すごく嫌な音を立てて、何かを貪るように食っていた。この場合の“何か”はあまり考えたくはない。
しかしとことん運が悪い。珍種といえる。
金の毛並みに人型の体躯。筋骨隆々としているため人型というだけであって人ではない。あんな人間はいない。体長は目測で三メートルと少々。平均的な身長の大人二人分というったところか。
食事を終えたのか、俯いていた頭を上げて左右を見る。その顔は犬……いや狼だった。連想するのは暴風狼。実際学者曰く亜種かなんかのようだ。それこそどうでもいい。
通称《金狼》。
正式な名称は確か牙狼鬼だったか。正直うろ覚えだ。通称のほうが通じるから正式名なんて飾りでしかない。
元は銀色の毛並みで銀狼と呼ばれているが、稀に金色のものが生まれることがあるのだという。あらゆる面で銀狼を凌駕し、殺戮者として君臨する。東方では鬼扱いされているらしく、悪鬼羅刹の代名詞になっているのだとか。
目の前にいるのは紛れもなく金狼。光虫石に照らされているだけなどという理由であってほしいくらいだが、明らかに金色だ。
「な……何あれ」
「金狼だ。なるほどな……納得だ」
「何がよ」
「土竜人が見当たらなかった理由だよ。やっぱり外敵の侵入だったみたいだ。しかしそれがよりにもよって金狼とはねえ……」
「強いのよね……やっぱり」
「倒したって話はあんまり聞かないな」
「勝てるの?」
「やり合ったことないしなぁ……目撃数自体が少ないんだよ。遭遇する方が珍しいくらいだ」
「呪われてんのかしら……」
「言い得て妙だな……まあ、奴さんは立ち去ってくれそうだな」
金狼がユキトらと反対方向に歩いていく姿を見て安堵の息を漏らす。
しかし一時的に危機が回避できただけだ。選択肢は二つ。すぐに動くか、明朝を待つかのどちらかだ。
戦闘は出来るだけ避けるべきだ。鎧殻蟲と同様に、金狼も接触禁忌指定の化け物だ。しかも鎧殻蟲より危険度は上だ。交戦経験はないが、今の動きだけで解る。あれは掛値なしにヤバい。
銀狼も金狼も夜行性のはずだし、ここは明朝を待ってすぐに脱出したほうがいいかもしれない。
「――……っと……ねえ、ちょっと」
「なんだ?」
「いい加減どいてよ。その……近い」
そう言ったアニエの顔は目前にあった。鼻と鼻が触れそうなくらい近い。そういえば組み敷く形のままだったことを思い出す。
「あ、悪い」
すっと起き上がって、手を差し出す。アニエはなぜか逡巡したが、その手を掴んだ。同時に引っ張り起こす。
「ん……どうした。顔赤いぞ?」
アニエの顔が赤いことに気付く。若干俯いてもいる。怪我でもしたのか、覗き込もうとしたら、
「な……なんでもないわよ!」
押された。
「うおっと……危ないな。心配しただけだろ?」
「ふんっ」
「怒るなよ。いきなり押し倒したのは悪かったけどさ」
「怒ってないわよ!」
「怒ってるじゃないか」
自然と苦笑が漏れた。
アニエがそれに対して睨みつけてくるが、それを受け流す。
「まあ、それはさておきだ。明朝にはここを出よう。探索は切り上げる」
「でも……」
「命あっての物種だ」
何か言いたげな様子のアニエだったが逡巡して、それから思案する仕種をして何か答えを出したのだろう、小さく頷いてこちらを見た。
「……そうね。解ったわ」
「うん。じゃ、さっさと休みなよ。僕は見張りしとくから」
頭に軽く手を乗せる。払いのけられるかとも思ったが、そんなことはなかった。さじ加減がよく解らん。
ユキトは再び座って壁にもたれた。刀を肩に立て掛ける。
その隣にアニエが腰を下ろした。肩が触れる距離。さっきと違い、アニエの体温を感じた。とても温かかった。それこそ自分にはもったいないくらいに。
「……どうした?」
声が震えそうになった。
「み、見張りよ」
「いや、それは僕が……」
「あ、アンタを見張るのよっ」
「……あ、そう」
とことん男として信用されていないようだ。
溜め息が漏れた。