第一章<4> 白夜鮮烈
敵は五体いた。一目見て戦士階級だと解る。身なりがいい。偵察隊というか精鋭部隊っぽい雰囲気だ。やはり何か物々しい。というか昨日今日とよくオークに遭遇する。不運だ。
特に真ん中のオーク。
アイツが隊長だろう。武具が一番いいものだ。周りに比べて小柄なほうだが、それ以上に実力があるのかもしれない。油断は出来ない。
隊長オークが前に進み出てきた。
「×××、××××」
「……」
やはり意味不明だ。何言ってるかさっぱり解らん。
「××××」
隊長オークが武器を手にした。両手斧だ。かなり刃がでかい。岩くらい斬る、つーか砕きそうだ。
まあ、さっきのオークと同じか。戦えと言っているのだろう。多分。
先ほど奴らの血肉を頭から被ったのだ。オークは鼻も利くだろうし、ユキトがやったことは想像がつくだろう。実際そうなると思ってここに来た。標的をユキト一人に絞らせるためだ。
ユキトもまた隊長オークに倣って刀――白夜の鞘に指を掛けた。ぐっと腰を落として構える。
「Gaaaaッ……!」
先に動いたのは隊長オークだ。斧を引きながら、爆発的な蹴り出しでこちらに向かってくる。
「気の早い畜生だな」
ため息混じりに言いつつ、ユキトは退くことなく前進した。この手の相手には防御は無意味だ。相手の力を力でねじ伏せるのが手っ取り早い。
Goa!
隊長オークが気迫の籠もった発生から斧を振るう。横薙ぎの一閃は思いの外コンパクトな振りだった。馬鹿ではないようだ。
ユキトはそれを跳躍で回避。隊長オークの頭上を跳び箱のように飛び越える。背後を取った。
「Gu……」
「遅いな」
隊長オークが振り返るよりも速く、ユキトは身体を回転させながら抜刀。ほぼ同時に隊長オークの首を刎ねた。
重力に逆らうこともなく真下に落ちた隊長オークの首。ガシャンと金属音が鳴り響き、兜からごろごろと首が転がってきた。
「どんなに偉くても畜生は畜生なんだよ」
血振りをして鞘に収めつつ呟く。そしてすぐに残りの四体を見やった。
「……」
ため息を吐いた。文化が違えば多少の齟誤があるらしい。
すでに奴らは武器を構えていた。やる気満々だ。
だがじりっと後ろに退いたあたり、ユキトを脅威としてみなしているようだ。
ユキトが首を刎ねるのには意味がある。敵が複数の場合、自分との力量差をはっきり解らせるためだ。それで適わないと判断してくれれば、撤退してくれる。
しかし今回の敵は撤退する気はないらしい。四体ならば勝てると思っているのか。まあ、実際きついだろう。
「……来るなら来い。きっちり全員刎ねてやる」
刀を再び抜き、中段に構える。正面のオークの正眼に切っ先を向ける。
GOruaaaa!
一斉に敵が吠えた。豚というか鬼みたいだ。本物の鬼はあんなものじゃないが。
敵が走りだす。ユキトはまだ動かない。じっと見極める。
一体が手に持った反り刃の短めの剣――あれは曲刀か――で袈裟懸けに切り掛かった。どいつもこいつも細かい振りだ。ユキトはそれを飛びずさって躱した。
ユキトの左側面に回っていた槍持ちのオークがすかさず突きを放つ。
「ちッ……!」
槍の柄を左手で掴み、引く力と同時に身体を回転させた。そのまま回転の力を利用して刀で横薙ぎに斬る。
がしゅ、と槍持ちの鎧の胸部を裂いた。中身までは無理だったか。小さく舌打ちをする。飛び込むように前転をして、槍持ちから距離をとった。
「×××ッ!」
槍持ちが叫んだ。何事かと思うよりも早くユキトは動いた。ほとんど本能だ。
目の前にオークがいた。手には隊長オークが持っていたような斧。それを大きく振り上げていたのだ。
ユキトが右に転がる、斧がギロチンのように叩き落とされた。破砕音が鳴り、土煙を上げる。大した破壊力だ。あんなもの食らったらミンチ決定だろう。
肝が冷えたがまだ生きている。ユキトの敗北は死んだときだ。だから別にまだ負けちゃいない。
そもそも家畜以下の豚畜生に負けるほど弱くない。
すぐに立ち上がり、飛び上がる。ユキトは空中でホルスターを開き投剣を三本抜いた。指に挟む用にして構えたそれらを、間抜けにもユキトを見上げるオークの顔面に向かって射出した。一本は兜に弾かれたが、二本が頬と左の眼球に突き刺さった。
「Gyyyyyッ……!?」
鋸で木を切ったみたいな嫌な悲鳴を上げる。その悲痛な叫びはしかし、すぐに鳴りやんだ。
一閃。
兜ごと頭を真っ二つにたたっ斬られ、汚いものを撒き散らしながら地面に伏せた。
――まず一匹。
斧持ちを屠り、ユキトはすぐさま別の標的たちに目を配らせた。あと三体。槍持ち、曲刀持ちと……あと一体はどこだ?
背筋に悪寒が走った。振り返りながら飛び下がる。
「な……」
ユキトは驚愕に目を見開いた。
オークはいた。武器は槍だったらしい。ということは槍持ちは二体だったのだ。だがもうそれはある意味オークではない。胸から鋭利ななにかを生やしているそれはオークだったモノだ。生体活動を止めたそれは生き物ではなくただの死骸だ。
もう死んでいるモノのことなど今はどうでもいい。特に害があるがわけでもない。
害があるのはオークを貫いているソイツだ。
黒と褐色の巨体。鎧のように堅い殻に身を包むソイツは鎧殻蟲《コロニービートル》と呼ばれている。
見るのは初めてではない。が、見たくはなかった。そもそも普通こんな場所に現れることはないのだ。奴はもっと広く薄暗い森の深奥にいるはずだ。それがなんでここに。どんだけ呪われてんだ。
オークの物々しい雰囲気はこいつのせいだったんだろうか。今となっては知る術もないが。というか端からない。
Buooooooo……!
鳴き声か。鎧殻蟲が嘶いた。オークどもが震え上がるのが解った。次の瞬間にはオークは武器を放り投げて一目散に背を向けて逃げ出していた。
「しま……っ」
その方向は馬車がある。逆に逃げろよクソ野郎。むしろ突っ込めよ。
悪態を吐き、追い掛けようとして振り返りそうになって、やめた。鎧殻蟲は種類が多い。だがユキトは何度か見たこともある中で解ったことが一つある。
ばしゅ、という発射音みたいなものが鳴り、ユキトの両隣をなにかが通り過ぎた。なにかは見たら解る。それは槍だ。正確に言うなら、鎧殻蟲が射出した極太の針だ。
地面になにかが突き刺さる音が連続で背後から聞こえた。見なくても解る。奴らは串刺しになっているだろう。
――そう。
大概の鎧殻蟲は動く標的を狙う。視力はよろしくないらしい。動く=餌と見るのであろう。
ゆえに奴らの対処方法は二つだ。
開き直って殺すか、案山子になって動かず奴が去るのを待つか。
前者は困難だ。鎧よりも堅い殻に身を包む鎧殻蟲を殺す方法などそう多くない。隙間を重点的に狙うのが定石だが、これは多人数でやらねばほぼ確実に死ぬ。
ならば後者か。
だがこのまま真っ直ぐ突き進まれたらまずいどころの騒ぎではない。オークよりも何十倍も厄介だ。馬がじっと出来るわけがない。
今、ユキトに迫られる選択は三つある。戦うか、奴が来た道を戻ってくれることを祈るか――ユキト自身がとんずらするかだ。
「……」
考えるまでもない。
端から答えは決まっている。
臆病者の自分にも意地はある。後ろにいる少女や商人たちの未来を「虫の腹の中」にしていいのか。こういう稼業でまともな死に方は出来ないだろうし相応の覚悟もしているだろうが、それでもこのの手が届くなら――
「……ふ」
綺麗事だな。
そう思うと自嘲に満ちた笑いが零れた。
贖罪のつもりか。馬鹿馬鹿しい。解っている。これはエゴだ。救えなかった者たちへの罪の意識を減らしたいがためのエゴだ。重荷を背負いきれない自分の弱さなのだ。
解っている。
解っているからこそ、反吐が出る。自分自身の弱さに。
本当にクソ野郎だ。
頭を振るように目を瞑る。ゆっくり目を開け、目の前の巨大な虫を見据えた。
「……今は目先のことだ」
悩むのはあとからでも出来る。悪態など奴を倒してから吐いても遅くはない。生きていれば奴の腹の上で存分に吐くとしよう。
Buruooooooooooooo……!
「……」
あくまで生きていれば、だが。
つーかなんだあれ。
鎧殻蟲の顔(らしき部分)の両端が、戸棚か何かのように開いた。そこから飛び出たのは太い触手のようなものだった。
それらがユキトの両隣を突き抜け、背後のオーク共に噛り付いた。
一瞬見えた触手の先端は、明らかに口だ。円の内周上にびっしり生えた牙。噛み合わせは悪そうな形ではある。なんにしても、あのぷにっとした触手は触手ではなく、離れた場所で殺した獲物を食らうための口ということなのだろう。
「……随分長い口をお持ちのようで」
茶化す気力はまだあるらしい。いいことだ。あんな奴開き直りでもしなければ戦う気さえ起こらない。
大きく深呼吸し、ユキトは柄に手を掛けた。
「――さて、昆虫採集の時間だな」
◇◆◇◆◇
「なんなのよあの男!」
苛立ちを隠しきれない様子でアニエが喚いた。ユキトと名乗った、白い髪の少年が馬車を離れてまだ十数分しか経っていない。単にアニエが短気ととるほうがいいだろう。
「まあまあ、落ち着きなよ。ユキト君ならダイジョブだって」
暴れ馬を扱うかのようにリュカが諫める。出会ってチームとして活動し始めてまだ半年もかかっていないというのにリュカのアニエ使いはうまい。
「だからって勝手に一人で行ってさ!」
「まあ、実力が違うし」
「年もわたしたちと変わらないっぼいし、すごいよね」
本当に、すごいと思う。シエルは自分の言葉に胸中で頷いた。
あの恐ろしいオークをいとも容易く倒したあの技量。シエルのように少し槍術をかじっただけのものではない、本物の剣技。恐怖すら吹き飛ぶほどに、美しさがあった。
あの一閃一閃が脳裏に焼き付いて離れない。理由は解らないが、とても魅了されたことだけは解った。
「シエル?」リュカがぬっと覗き込んできた。「どうしたの? ぼーっとして」
「ふえ? あ、な、なんでもないよ?」
「なんで疑問系なのよ」
アニエが溜め息を漏らす。シエルはどちらかといえば口下手だ。言いたいことを胸のうちに留めることも多い。ハキハキ物を言うアニエにはもどかしさもあるのかもしれない。
シエルはやはは、と笑ってお茶を濁した。
「アニエちゃんはユキト君が心配なんだよね〜」
「ばっ……そんなんじゃないわよ! あいつが勝手してるからムカつくだけよ!」
「ムキになっちゃって〜かわいい〜」
「かわっ……リュカッ!」
「あはは〜アニエちゃんが怒った〜」
顔を真っ赤にして震えるアニエ。下唇をぎゅっと噛んでいる。こういう話には滅法弱いらしい。シエルも人のことは言えないが。アニエには悪い気もするが、可愛いと思った。
でもなぜだろうか、少しだけ胸のあたりがもやっとした。しかしそれはすぐに消えた。気のせいだったのかもしれない。
よく解らないことはさっと忘れてしまおう。シエルはアニエの真っ赤な顔を暫く見物することにした。
もうそろそろリュカを止めたほうがいいと思い、手を伸ばしたところで、
Buoooooooo……!
地鳴りとともになにかの鳴き声みたいなものが雷鳴のように轟いた。
同時にバサバサと鳥が一斉に飛び立った。
「な、なに!?」
「すごい音だね〜鳴き声かな? なにかの」
「うん……」
三人が驚きつつ鳥の群れが飛び立った場所を眺めていると、突如馬の嘶きとともに馬車が揺れだした。バランスを崩したアニエが尻餅をついた。シエルとリュカはよろけたが、なんとか堪えれた。
「いっつ〜……ちょっと今度はなに!?」
アニエが動揺の声を漏らす。リュカもにたようなものだ。唐突のことでシエルもまた、かなり驚いていた。
だがシエルが一番驚いているのは単に馬車が動き始めたからではなかった。ユキトがまだ戻ってきていないのだ。それなのに馬車は動き出した。おそらく今の轟くような鳴き声が関与しているのだろう。いくら自分でもそれくらいは解った。
すぐさまモーノフの元に行こうとしたが、揺れのせいで躓いた。バタンと倒れこむ。「――っつ……」肩の辺りを打ったようで、鈍痛が走った。
痛みを堪え、だが立ち上がるのは無理だとそのまま這うようにして先頭に向かう。
「モーノフさん……!」
辿り着くや否やシエルは叫んだ。見上げるモーノフの横顔は恐々としていた。震えさえ見られる。そんなにも恐れるものなのか。
「モーノフさん!」
もう一度名を呼ぶ。モーノフは横目でシエルを一瞥しただけで、すぐに視線を前に戻した。
シエルが再び口を開いた瞬間、
「悪いが嬢ちゃん、後にしてくれ! 今は一刻も早くこの森を抜けねぇといけねぇ!」
「でもユキト君が……!」
「あの兄ちゃんはダメだ! もう今ごろは死んでる!」
「死んでるって……どうして確証もなしに言い切れるんですか!」
さっきまで楽しそうに話していたというのに、この態度。一時とはいえ仲間なのに。その仲間をあっさり見捨てるモーノフに憤りを感じた。
「あの鳴き声は鎧殻蟲の鳴き声だ! 鎧殻蟲相手じゃあの兄ちゃんでも無理だ!」
「コロ……なんですか!?」
「森の主とも呼ばれてる巨大な化け物だよ! 出会ったら最期だ! いくらあの兄ちゃんでも勝てるわけねぇ!」
「そんな……!」
だとしたらなおさらひどい。全てをユキトに押しつけて逃げ出すなど。シエルは俯き、きゅっと唇を噛んだ。拳を握り締め、それから緩めた。
「――止めてください!」
すっと顔を上げて、真っ直ぐモーノフを見据える。意を決した。鎧殻蟲が如何なるものかは知らない。それでも、シエルにはあの少年を見捨てるようなことは出来ない。それに恩もある。ゆえの決心だった。
「嬢ちゃんなにを……」
「わたしはユキト君を見捨てられません! 助けに……なるかは解らないけれど、それでも……!」
「死んでるかもしんないんだぞ!?」
「見捨てて後悔するよりはマシです……!」
絶対に引けない。出会ったばかりの、よくも知らない少年になんでこうまで必死なのか、シエル自身にも解らなかった。それでも、引けない。
モーノフは唇を引き伸ばし、シエルと馬車の前方を交互に見ていたが、頑なな意志に折れたのか、
「……ああクソ! どうなっても知らねぇぞ!」
馬車を停めた。
「三分だけ停めるが、それ過ぎたら俺たちはもう行くからな。目的地は自力で行けよ……あと、」モーノフは懐を弄り、袋を取り出した。「前金は返すぜ。あの兄ちゃんの分もな」
無造作に放られたそれは、シエルの手に納まると金属の擦れ合う音が鳴った。
「さあさあ、そういうことだからさっさと降りてくれ」
しっしっ、と厄介払いをするように手を振るモーノフ。シエルは立ち上がって、頭を下げた。
「あ、あの……ありがとうございます」
なぜそんな言葉が出てきたのかよく解らないけれど、なんとなくお礼を言うべきな気がした。モーノフは答えなかったが、シエルはもう一度礼をして、荷台の方へ向かった。すぐに自分の荷物を背負う。
「シエちゃん?」
「ちょっと、どこに行くのよ?」
「ユキト君を助けに行く」
アニエの問いに、短く答える。そして、モーノフから渡された袋をアニエに向けて放り投げた。アニエは反射的にキャッチし、手に収まったそれとシエルを交互に見た。
「これ……前金?」
「うん。モーノフさんが返してくれたの。でも二人の分も返されちゃったから、鉱山まで送ってもらうならまた払わないとダメかも」
「……」
「それじゃ、行ってくるね」
シエルが荷台を降りようと踵を返したところで、
「待てぃ」
「いたっ……!?」
後頭部に何かが直撃した。背後でじゃらんと音がした。
それは前金の入った袋だった。
アニエが投げたのか。打ち所とか悪かったら怪我しかねないのだが。シエルは後頭部を押さえてアニエを睨んだ。
「い、痛いよアニエ……」
「そりゃあ金属だもの」
「うぅ……」
「つーか、アンタ馬鹿?」
「ば、馬鹿じゃないよ……」
「馬鹿よ」
切り捨てるように言い放った。そこまで馬鹿ではないと思うのだが。シエルが悄気ていると、アニエとリュカが自分の荷物を背負った。
「え、ちょ……え?」
「ちゃんと喋りなよ〜」
にゃはは、とリュカが笑って事もなげに荷台から降りた。
「ほら、さっさと行くわよ」
「でも……」
「でも、なによ?」
「わたしが勝手に行くだけだし……」
「じゃああたしらが行くのも勝手でしょ? ねえリュカ」
「そうだね〜」
「大体ね、あたしたちはチームでしょう。あんただけ放っておけるわけないじゃない」
「またまた〜アニエちゃんはユキト君も心配なんだよね〜」
「んなわけないでしょっ!」
「あはっ、照れてる〜」
「照れてない!」
少し鼻がつんとした。出会って間もないけれど、二人は仲間なのだ。そう思っていたのはわたしだけではなかった。それがとても嬉しかったのだ。
それと、なんとなく。
なんとなくだけど、どうしてユキトが気になったのか解った気がした。
とても孤独な目をしていたのだ。寂しげで、でもそれを悟られないように無理矢理押さえ込んでいる目。だから放っておけなかったのかもしれない。
「ほら、行くわよシエル」
「レッツゴ〜♪」
彼にも知ってほしい。人は独りじゃないことを。人と人との繋がりの暖かさを知らないのだとすれば、知ってほしい。二人のおかげでわたしは救われた。だからこそ、知ってほしいのだ。
「うん……!」
シエルは二人の言葉に返事をすると同時に軽やかに荷台を蹴って、地面を踏みしめた。