第一章<3> 後悔先に立たず
なにを思ってあんなことを言ったんだろう。本当にどうかしている。血迷ったのだろうか。
そんな後悔にユキトは苛まれていた。
馬車に揺られて四時間ぐらいが経過した。開拓地指定にもされている、《大緑森林》の中を貫く一本の通商路を渡っている頃。時刻は十時半過ぎだ。目的地まではまだ掛かる。約一日の距離だ。今ならまだ間に合う。取り返しのつかないことになる前になんとかせねば。
だが今更なんと言う? やっぱり一人で行くよ、とでも言うか。だから君たちは帰ってくれと。随分身勝手な物言いだ。ユキトが言われた側でも相当憤慨しているだろう。
ならば譲って帰るか。この距離ならば徒歩でも王都に帰れる。だが数日後には僕は死体だ。死因は餓死。これ以上の不名誉は御免だ。だから帰るわけには行かない。というかこっちは生活がかかっているのだ。……いや、それは向こうも同じか。
それでも、だ。
この三人とチームを組んだら、僕は今までなんのために一人でやっていたのか。まるで無意味だ。僕は一体どうすればいい。
後悔に苛まれるユキトにさらなる追い打ちがかかった。というか、そろそろ限界だった。
「うげー……」
吐いた。
乗り物は嫌いだ。特に揺れるものは。滅びてしまえと思う。ああ、いらないね。まったくもって。
「だ、大丈夫ですか?」
「シエル、汚物に近寄っちゃダメよ。汚れるわ」
誰が汚物だ畜生。失礼にもほどがあるだろう。
「はい、お水」
リュカが水筒を手渡してくれた。気が利く子だが、鼻をつまむ姿は心が傷付く。「……ありがと」ありがたく受け取る。二口ほど飲んで、軽く口を拭った。
「乗り物弱いんだね〜」
「たぶん一生慣れないな」
「てゆか乗り物弱いくせになんで乗るのよ? 馬鹿じゃない?」
「馬鹿はお前だ。鉱山までどんだけあると思ってんだ。歩きじゃ四日はかかるぞ」
「誰が馬鹿よ!」
「アニエ、落ち着いて!」
掴み掛かろうとしてきたアニエをシエルが羽交い締めにした。出来ればずっと縄かなにかに繋いでいて欲しい。
しかし頭が回らない。少し外の空気でも吸って、考えをまとめよう。騒ぐアニエをよそに、ユキトは立ち上がって馬を引いているモーノフのもとまで行った。足取りは覚束ないが、なんとか辿り着く。モーノフもユキトに気付いた。
「よう兄ちゃん。なんだか楽しそうじゃねえか」
人の良さそうな笑顔で言ってきた。他意はないんだろうが、それでもばつが悪い。ユキトは苦笑いした。
「すいません、騒がしくて」
「いいってことよ。荷台の中に吐かなかったらな」
「それは……気を付けます」
「冗談だよ。いや、冗談じゃないがな。まあ、活気があるほうがこっちも楽しいぜ」
「そうですか」
モーノフはいい商人だろう。ユキトに必ずしも人を見る目があるとは思っていないが、そう感じた。
「にしても……どの娘が兄ちゃんのこれなんだい?」
少々下卑た笑いを漏らしながら、小指を立ててきた。意味が解らん。ユキトは首をかしげた。
「またまたすっとぼけちゃって。カノジョなんだろう? かーっ憎いねェ」
「違いますよ。つか、そもそも今日初めて会いましたし」
「つーことは今夜しっぽりずっぽりと……」
「……」
どうやらモーノフはいい商人ではなくエロい商人……否、ただのエロオヤジらしい。やはり自分に人を見る目は無いようだ。
黙っていたのを怒っていると勘違いしたのか、モーノフは少し済まなさそうな顔をした。
「冗談だって兄ちゃん。怒んなよ」
「え? あ、いや、怒ってないですよ。ちょっと考え事をしてただけです」
「どの娘にしようかってか?」反省はしないらしい。
「それはもういいです」
「ワハハハ怒んなって……ん? あれは……」
モーノフが前方になにかを見つけた。ユキトも視線を追う。
人影に見える。
だが人とは限らない。ユキトは意外に目がいい。だからあれが人でないことは解った。
筋骨隆々とした体躯。皮膚は深い緑。あれは人じゃない。人であってたまるか。
オークだ。
「なんでこんな場所に……」
「停めてください。気付かれました」
驚きを隠せないでいるモーノフに対して、ユキトは冷静に停止するよう指示した。さすが状況判断に優れた商人をやっているだけある。モーノフはすぐに馬車を止め、他の馬車にも指示を送った。
オークは五体いる。先日見たオークの仲間か。それとも別の集落のオークか。あの森からは遠くはないしどちらも可能性としてはあり得る。だがユキトが気になるのは、そもそも奴らは森からあまり出てこないはずであるということだ。日の光に弱いとか聞いたことがある。この時間帯に目の前にいる時点でその説はガセだ。
まあ、とりあえず仕事だ。
「では、契約通りに」
「おい兄ちゃん……」
「大丈夫です。僕はダンジョンメイカーですから」
馬車を飛び降り、前に進む。
「ユキトさん!」
後ろを見ると、荷台から三人娘が首を出していた。気付くのが遅い。本当に一緒に行く件は見なおすべきか。
「そこでじっとしてろ」
前を向き直る。アニエあたりがなにか喚いていたような気がしたが、まあ放っておこう。構っている暇はない。
目の前のオークは二体が戦士階級だ。三体は鎖に繋がれ、鎧を付けていない。襤褸布を腰に巻いているだけだ。その風体は一言で表すなら“みすぼらしい”。被支配側だ。いわゆる奴隷階級のオーク。
散歩かなにかか。悪趣味なことだ。しかしそれにしては空気が物々しい。ユキトたちが原因か。どうだっていいが。
「×××!」
三本の鎖を手綱のように引いている戦士オークがなにか叫んだ。まず、言語が違うから意味不明だ。
「××××……!」「×××!」「××、×××!」
三体の奴隷オークが餓えた猛獣のように騒ぎ始めた。要約するとあれか。「肉だぞー」「わーい」ってやつか。あってるかは解らないが。
戦士オークが手綱を手放した。
Gaoahhhhhhhh!
三体の叫びが不協和音を奏でた。だがしかし思いは一つのようだ。餌発見、といったところだろう。傍迷惑だ。
奴隷オークたちが駆け出す。まさに走り方が獣のそれだ。四つん這いで駆ける。涎を垂らしながら大口開けて迫ってくる。
「食欲旺盛なこって」
あくまで冷静に。
心は熱く、頭は冷たく。
師の言葉だ。
馬鹿馬鹿しい。ユキトはとっくに心も凍っている。ここは冷徹に、だ。
鞘に左手の親指を掛けて、鍔を押し上げる。するっと柄を握った右手で刀を抜き放つ。
白夜の出番だ。
右足を前に出し、刀を中段に構える。
Gauoah!
一体が先陣を切った。ユキトに襲い掛かる。
奴隷オークは餓えているがゆえに凶暴。
だが馬鹿だ。
一歩右斜め前へ。身体を入れ替え左足を引くと同時に振り下ろす。
奴隷オークの首がぼとりと落ちる。突進状態だった奴隷オークは首を失い、そのまま前のめりに倒れて転がった。数秒痙攣して、永久に沈黙した。
これで残り二体が浮き足立ってくれたら僥倖だったが、さすが理性が乏しいだけある。目の前の餌にありつくことしか考えていない。
雄叫びをあげて迫る。ユキトは右から迫ってきた奴隷オークに向かった。奴隷オークが大きく飛び上がった。馬鹿である。
懐に潜り込み、コンパクトに刀を振るう。間抜けの足をばっさり斬り落とした。
足を失い、着地に失敗した奴隷オークは地面とキスする羽目になった。その背中を踏みつけ、刀を突き立てようとした。
瞬間、横からもう一体が飛び掛かってきた。ユキトは後方に飛び下がる。踏み付けていた足なしオークに奴隷オークが飛び込む形になった。奴隷オークが立ち上がり、気にしたふうもなく再びユキトを追い始めた。ちらと見ると、足なしオークの頭がひしゃげていた。あれは死んだろう。
Goah!
腕をブンブン振るってユキトを肉薄する。確かにあの腕は脅威だ。おそらくかすっただけで骨が砕けるだろう。
ユキトは後ろに飛びずさり、刀を下から斬り上げた。オークの指が吹っ飛んだ。指だけだ。外した。
「ふっ……!」
意を決した。
腹に力を込め、しゃがみこむような形で奴隷オークの懐に潜り込んだ。頭の上を腕が通過した。
ユキトはそこから一閃を放った。鎧も付けていないオークの腹程度ならぶった斬れる。奴隷オークの下半身と上半身が分かれた。臓物が飛び散り、頭からそれをかぶる羽目になった。泣きそうだ。
「げぇ……きたねぇ……」
ぺっと吐き捨てながら嘆く。開拓地に潜る前から汚れるとは思わなかった。
「すげぇ……」
誰かが呟く声が聞こえたが、はて。なにか僕はすごいことをしただろうか。いや、臓物をぶっかぶったのは確かにすごいか。
まあ、まだ安心は出来ない。あと二体残っている。しかも奴隷と比べたらより厄介な奴らだ。
「××……×××」
よく解らん言葉を漏らしながら数歩進み出てきた。もう一体は後ろに待機している。
これは、一応認められたのだろう。戦うに値する相手として。
見た目とは裏腹に、奴らは武を重んじる。力こそ全てといった風習が強そうな奴らだ。不思議でもなんでもない。
ユキトも応じるように刀を構えた。
「×××……」
「ちゃんと喋りやがれ畜生」
Gahhhhhh……!
先手を掛けたのは戦士オークだった。雄叫びとともに駆け出す。腰に差した厚い肉斬り包丁のような太刀を二本抜き放つ。なんだあの武器。つか調理器具だろ。肉屋かお前は。
ユキトは刀を下段で構える。
下段とはすなわち水の構え。
流るるが如く。
防御の構えだ。
戦士オーク改め肉屋オークが右手の包丁を振るった。それを躱すと、反対の包丁で斬り上げてきた。案外馬鹿ではないらしい。矢継ぎ早に攻めてくる。ユキトは下段を保ったまま、それを体のみで躱す。
Goun!
渾身の横薙ぎ。だが力任せのそれは、ユキトからすれば絶好の機会。
下段から手首のスナップを使って、鎬を削るように肉屋オークの包丁を払った。力任せであるがゆえにいなすのは容易い。
体勢を崩した肉屋オーク。まだ諦めていないのか、それとも半ばやけくそか。反対の包丁を力一杯振るう。
その一撃はユキトの横の地面を叩いた。肉屋オークは完全に倒れこむ。
ユキトは払いから手首を返して上段に構えていた。
勝負あり、だ。
微かにユキトを見上げる肉屋オーク。その瞳はなにを思うのか。しったこっちゃない。それが死合だ。相手の思いもなにもかもをねじ伏せて――
止めを刺す。
首に刀を突き立てた。
血が勢いよく吹き出し、すぐに治まった。血は流れ続けている。時期に止まるだろう。もうこれは死んでいるのだから。
ユキトは血振りをしてから刀を鞘に収める。
ジリ、と音がした。
そういやまだいたんだった。
肉屋オークのお付きっぽい戦士オーク。放心状態に見える。どうしようか。
まあ、放っておくか。畜生を生かす理由はないが、殺す理由もない。ユキトは身を翻して馬車に向かった。
Ooooooooo……!
途端に咆哮。
ズシンズシン踏みならしながら戦士オークが襲い掛かってきた。
「ユキトさん!」
シエルが叫んだ。いや、気付いてる。普通に。
Oooo!
「素直に帰ればいいのに……さッ!」
振り返りざまに刀を抜き放つ。脇腹の近くを棒が通り過ぎた。つか槍か。まあ、別になんでもいいさ。当たってないし。ユキトはそのまま回転の力で首を刎ねた。
Gophu……。
空気が抜けるような声を漏らして、首と胴体の分かれてしまった戦士オークはバタリと倒れたきり動くことはなかった。
ユキトは戦士オークにそれ以上の一瞥を与えることなく、血振りして刀を仕舞った。そしてモーノフのほうに向き直って笑んでみせた。協会の受付嬢の営業スマイルを真似ただけだが。
「終わりましたよ」
◇◆◇◆◇
「いや助かったぜ兄ちゃん」
ワハハハ、とモーノフが豪快に笑った。いえ、と短く返す。
昼になり、一旦休憩を挟もうということで、隊商は見晴らしのいい場所に馬車を停めた。そこで改めてモーノフに礼を言われたわけだ。
部下の男たちもいろいろ持て囃している。くすぐったい気分だ。感謝されたことなど人生で数えるくらいしかない。ユキトに向けられる言葉など罵倒か呪咀ばかりだ。
「あのオークをバッサバッサ切り刻んじまうとはなァ。さすがダンジョンメイカーだ」
「それは……どうも」
どう反応したらよいのやら。別に傭兵でもあれくらいは簡単にやると思うのだが。最近は逃げる奴も増えてきたからどうとは言えない。
「なんにしても、積み荷が無事でよかったぜぃ」
命より積み荷の心配が出来るのはある意味豪胆な人だ。
「でも、本当すごいです」
シエルが口を開いた。なぜか顔に赤みが差している。酒飲んだんじゃないだろうな。
「すごくお強いんですね」
「……そうでもないよ」
誰も守れない自分はむしろ弱い。結局どれだけ技を磨こうとも、僕は弱いままだ。強いという言葉はユキトとは無縁のものだ。
気分が下降しかけたあたりで、太ももに鈍い痛みが走った。
「ってぇ! 何すんだ!?」
「うっさい! デレデレしてんじゃないわよ!」
「ハァ?」
この女マジでどうにかしてくれ。いきなり蹴ってきてデレデレしてるなどと言いがかり。そもそもお前別に僕の彼女とかじゃないだろ。なんで蹴られないといけない?
「たく……」
イライラを押さえ込むようにして水を飲む。酒でも飲みたい気分だったが、道程は長い。酔えば感覚が鈍る。
「にしても、なんであんなとこにオークがいたんだろうなァ」
モーノフがぽつりと呟いた。自問自答だったのかもしれないが、ユキトの耳に入ってしまったので、答えた。
「集落が近いのかもしれません。休憩が終わったらさっさと出発したほうがいい」
モーノフとその部下たちが息を呑むのが聞こえた。
オークの集落は至る所にある。確認されているだけで三十数ヶ所。そのうち討伐されたのは十一ヶ所。発見に討伐が追い付いていないのが現状だ。
オークは数が多い。移住性もあるらしく、気付けば違う森に巣くっている。未だ生態系が謎なため、どこに現われるかなどの予測はほとんど不可能。ぶっちゃけ森のゴキブリみたいな奴らだ。
実際、森に入るダンジョンメイカーの間では「オークが一体いたら百体いると思え」というのが通説になっている。
「そうだなァ……あと十分で出発だ」
部下たちがうぃすと返事した。ユキトも頷く。解ってないのは三人娘だけのようだ。
「なにかまずいの?」
リュカが耳打ちをしてきた。
「ああ。とりあえず準備しといたほうがいい」
「解った〜」
立ち上がるなりとことこと荷馬車に向かう。どうにも緊張感が感じられない。だが一応状況は一番読めるようでもある。なんとも掴み所のない娘だ。
リュカから視線を移しぼんやりと地面に置かれたカップを見やっていると、視線を感じた。そちらに目を向けると、シエルだった。
「……何?」
「何話していたのかなって思って……」
「いや、出発の準備したほうがいいって言っただけ。アンタも行ってきな」
「あ、はい。解りました」
「ああ、そうだ」
「な、何ですか?」
「敬語はいらないよ。年も大して変わらないだろうし」
「え……?」
「だから、敬語はいらない。堅苦しいし。僕はそれほど尊敬される人間でもない。名前もユキトでいいよ」
「え、あ、はい……じゃなくて、うん。ゆ、ユキト……君?」
「……まあ、それでいいか。準備しておいで」
「あ、うん」
早足に去るシエルの後ろ姿から目を逸らし、ユキトは頭を抱えた。
――何をやっているんだ僕は。
自分の行動にひどく嫌悪した。本当に何をやっているのか。今やらねばならないのは、親交を深めることじゃない。すぐにでも離れることだ。
僕は何を期待しているのだろう。馬鹿馬鹿しい。そうやってまた失敗するのだ。忘れたのか。いや、そんなわけがない。忘れられるものか。
「クソ……」
ユキトは憎々しげに吐き捨てた。クソは僕だ。
今すぐ帰したほうがいい。
それが皆のためだ。ひいては自分自身のためでもある。僕はもう傷つけたくも、傷付きたくもないのだ。
ただの臆病者だ。
別にそれでいい。
これ以上大事なものを失うのはゴメンだ。なら、もう作らないでいたらいい。失うものがなければ傷付かないで済む。
彼女らは帰すべきだ。いや、いっそ僕が帰るか。何も鉱山に固執する必要はない。お金も虎の子貯金を使えば何だかんだでなんとかなるかもしれない。
やはりそうしたほうが――
「……ん?」
異変を感じ、ユキトは顔を上げた。鼻をすんと鳴らす。風に異臭が含まれている。
腐った樹木のような臭いだ。決して愉快とは言い難い。
この臭いはよく知っている。ユキトはすぐに立ち上がり、馬車に向かった。
「モーノフさん、すぐに出発を」
「お、おお? どうした?」
「早く出発をしないと。オークが来ます。おそらくさっきの奴のお仲間ですね」
「なっ……」
「部下の方たちにもそう伝えてください」
「あ、ああ……」
「では」
ユキトは馬車から踵を返して歩きだした。やることはやらねばならない。それが自分にしか出来ないことならば、特に。
「お、おい、兄ちゃん。どこに行くんだ?」
ユキトは足を止め、振り返ってモーノフの質問に答えた。
「決まってます。仕事をするんです」