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Dungeon Maker -revision-  作者: 蝉時雨
《死薔薇の園》編
32/36

第一章<31> その剣は

バイト先の社員さんと「もしどこでもドアが世界に普及したら」で討論している場合ではない。


 剣戟の音を追ってユキトは迷路のような空間を駆ける。煩わしい。刈り取って更地にしてやりたい。そうはいっても何が起こるか解らない以上、律儀に道に沿うしかない。

 とある角を超えて剣戟が鮮明になる。姿を捉えて落胆した。

 ドミニクがいるのが見えた。ということは《継ぎ接ぎお化けフリッケライガイスト》の一派か。どうでもいいっちゃあどうでもいい。

 敵は二体。今まで遭遇したのとは違う。見たところガキみたいな姿をしている。背中から鋏生やしたガキなんか聞いたことないが。多分、あれが《庭師ガーデナー》なんだろう。他のヒトガタと違ってそこそこ強そうだ。

 で、あのでかいのはなんだ。遠目から見てもドロッドロのヘドロみたいな身体だ。そのくせ速い。ああ、今一人潰された。鎧を身に纏う人間を轢き潰す時点で膂力も大したものだ。むしろ《庭師》なんかより強いんじゃねーの。さながら番犬といったところか。

 暫し眺めて思案する。

 助けはいらんだろう。求める手合いでもない。ドミニクもあれでSランクだ。あれくらいなら放っておいても構わない。関係ないし。

 ただ先は急いでいる。

 僕はあそこを通りたい。

 手助けではなく駆除、といったところか。それでいい。向こうもそれで折り合いをつけるだろう。ダメならその時だ。

 一気に駆ける。

 とりあえず近くにいる《庭師》から刈り取ろう。

 だんだん全体の輪郭が解ってきた。何が伸びているかと思えば腕か。先端は鋭利な刃。それが交差して鋏を形成している。さながら蟹といったところか。えらく俊敏だが。

 接近に気付いた。後方に跳んだ。いい反応だ。思ったより早い。あくまで思ったよりは、だが。

 残念だがそこはもう射程圏内だ。

 刀を抜き放つ。一瞬の殺気が刀身に乗る。全神経を腕から刀に掛けて集中させる。まるで肩から先が一本の刀になったように感じる。振り切る。いや、断ち切るイメージだ。目の前の空間を絵画と捉えるならば、それをナイフで切り刻むように。

 飛燕流神速剣術《翔華》。

 飛燕流きっての飛び道具みたいなもんだ。

 後方に跳んだ奴は不正解だ。ここはしゃがむか応じるべきだった。まあ、《翔華》に応じるなどそれこそ飛燕と同格でなければ出来っこないが。

 《庭師》の右肩が背中から生える腕と一緒に身体から離れていった。さしもの《庭師》も予想外だったか、体勢を崩す。その一瞬で十分だった。ユキトはすでに距離を詰めていた。否、飛び上がっていた。

 落下するように急襲。その姿は燕などではなく、さながら猛禽のように――狩る。

 飛燕流神速剣術《燕尾》は零距離であらゆる面から切り刻む。ただし防御無視。ただ速さと凶悪さは他と一線を画する。すなわち必殺だ。

 そして必殺ゆえに《庭師》の末路はもう決定している。亀裂が走り血が湧き出す。肉擦れの音とともに、肉の塊と化して地面に落ちた。

 ただユキトはそれを確認しない。一瞥も与えない。すでに次の獲物に目が向かっていた。

 腐った身体。四肢は強靭。溶けた皮膚から覗く筋肉からもそれは解る。頭部はまるで犬だが、あれは果たして犬であっているのだろうか。体格で言えば《暴風狼ゲイルハウンド》よりももう一回り大きい。腕のほうが若干長いようで、その体躯はどこか狒々のようにも見える。

「――なんでもいいけどね」

 唇を濡らす。

 刀を構える。抜刀状態で剣を後ろに引く。腰構えの状態で立つ。もともと間合いを悟られぬようにするための対人――しかも一対一の勝負に特化した構えである。

 一対一に違いはないが相手は化け物だ。ユキトの構えは周囲から見れば失策。しかし先代飛燕が見ればきっと「嫌みだし、性格が悪い。外道」と言うに違いない。ほっとけクソ爺。アンタが発端だろうに。

 腐肉を撒き散らし猛然と襲い掛かる化け物。

 近くまで来るとよく解る。かなりデカイ。なにより凶悪な臭気から発せられる驚異的な圧力。あれがまずでデカさに拍車を掛けている。

 剛腕を振りかざし、ユキトを叩き潰そうと振り上げた。

 ユキトは前に出た。

 退くでもなく、ただ前に出た。

 刹那、地面が亀裂が走る。

 叩き付けられた怪物のかいなはユキトのすぐ真横を陥没させていた。きっと綺麗な手形が出来ていることだろう。

 敵が目測を誤ったわけではない。きっと生きていればちゃんと当たっていた。生きていれば、の話だが。

 隠し剣《緋鷹の爪》。

 もとは棘王流の剣術で。対外試合で先代飛燕が当時盛隆を極めていた棘王の秘剣を勝手に見様見真似で模倣し、さらにそれを昇華させてしまった嫌がらせの戯れ剣術だ。これを蘇芳の前でやったら間違いなくキレる。

 あれ以来棘王はこの隠し剣を完全に封印どころか無かったことにしてしまったのだから、怒るのも当然といえば当然か。あえてやってやるのも面白いかもしれないが、その楽しみはいずれに取っておこう。

 地面と同じように化け物の身体がばっくりと割れて、ユキトに道を作るかのように両脇に倒れたが、目もくれず刀を納めて歩きはじめる。死んだからか、本格的に腐った皮膚やらが地面にヘドロのごとく溶けだしていた。臭いし気持ち悪い。こんなものを踏みたくはない。

「――助けたつもりですか?」

 声を掛けられる。飄々とした声だったが、どこか怒気のようなものが含まれている気もした。いや、違うな。動揺、か。どちらでもいい。

「邪魔だから蹴散らしただけだ。問題があるか?」

「まるで暴君の言葉だな」

 禿頭の男が睨みつけてくるが、ユキトは気に留めず鼻で笑い飛ばした。

「違うな。死神だろう? あんたらが付けたんだ」

 相手の眉が微かに動いた。腰の短剣に手を伸ばしたが、ドミニクが制した。ユキトは両手を挙げておどけて見せた。

「おおこわ。冗談だよ」

「貴方の冗談は心臓に悪い。少しは自覚して欲しいですね、死神さん」

「蘇芳にも言われたよ、それ」

「一応、感謝をしておきましょうか」

「言ったろう。邪魔を排除しただけだ。助けたわけじゃない」

「そうですか」

 肩を竦めるドミニクの態度はいささか癪に障ったが、それで刃を交える気もない。不毛すぎる。向こうはそれで折り合いをつけた。ユキトとしてももう話すことはない。

 ただドミニクはこちらをじっと見つめている。薄気味悪い。

「なんだよ」

「いえ、テオラ・デボスタの惨劇を演出した男には一見にして見えないなと思いましてね」

「なんだそれ」

「貴方にとっては瑣末なことなんでしょうね。いいえ、引き留めて申し訳ありません。先を急がれてはいかかですか、白い死神さん?」

 ドミニクの言葉はいまいち釈然としなかったが、確かにのんびりしている暇はない。

「帰りには気をつけるんだな」

「ええ、貴方に刺されないよう気をつけますよ」

「そうしてくれ。雑魚が飛び回ると邪魔だ。うっかり斬りかねない」

「貴様……」

「いいよ、ランヴォル」

「……御意」

 忠犬を制するドミニクを一瞥して、歩き出す。背中に視線が突き刺さるが瑣末なことだと切り捨てる。あの一派にどう思われようが気にはならない。

 大体、ここをたむろしてるだけで解る。

 一足先にとんずらする気だ。

 そういう連中だ。ドミニクも実力でのし上がった訳じゃない。そういうこすい真似して得たSランクだ。神速の細剣レイピア捌きだかなんだか知らないが、飛燕の足元にも及ばない。絨毯の騎士はそれらしく絨毯に包まってればいい。

「しっかし……くっせー……」

 身体に染み付いた臭いに顔をしかめ、鼻を押さえる。

 さすがにもうダメだ。上着を脱いで、捨てることにする。勿体ないが、こうまで汚れたらもう取り替え時だろう。他のこともこうあっさり出来ればいいんだがな。

 よし、と呟き軽く屈伸をしたところで何かを耳が拾った。

「……今の、悲鳴?」

 まさか、だ。

 振り払うように首を横に振る。

 だが足は速まっていた。

 嫌な予感がしたのだ。


◇◆◇◆◇


「いやああああああああああああああああ……!!」

「立ち尽くすな嬢ちゃん!」

「シエル! シエル!」

「クソ、こっちだっつーの……!」

 アルグは悲鳴をあげ立ち尽くす赤毛の少女の腕を引いて、後ろに下がった。そこへ《庭師ガーデナー》が強襲してくる。

「だらっしゃーッ! レディを守る騎士ナイト様だッ!」

 威勢のいい掛け声とともにシモンが割って入る。

「ってうおおおう! ちょ……ま……どぅあ!?」

 すぐに形勢が逆転して逃げ惑っていた。この阿鼻叫喚の惨状でよくもまああそこまでシュールな空気を作れるものだ。感心してしまう。

 とにかくこの隙に血溜まりに臥した少女のもとへ駆け寄ると、ほわほわしていた少女はこれまた血相を変えていた。それはまあ、当然か。

「シエちゃん! シエちゃん……!」

「揺らしちゃダメ! 傷が酷いわ……とにかく止血を、というか安全な場所まで……!」

「安全と言われてもな。ユフィちゃん、これはいささか無理があるぜィ」

「解ってるわよ馬鹿熊!」

 ユフィンリーも余裕がない。ちょっと傷付いた。

 周囲を見れば、地獄絵だ。悪魔は腹を抱えて笑っている。笑いつつもアイゼンの繰り出す鋭い斬撃をまるで意に介さないかのようにかわしている。幸いにして攻撃の頻度がそれほど高くないのは余裕の証拠か。それとも奴の力はクールダウンが必要だからか。考えるのは後だ。

 焦ってはならない。決して、倒れた少女になにも思わない訳じゃない。そこまで冷血漢になったつもりもない。そもそも割り切れるものではない。あいつからの預かりものなんだから。でも、こんな時だからこそアルグは落ち着く必要があるのだ。それがギルドの長というものだ。

 ユフィンリーはいい『お姉さん』としてギルドを治めているのだろうが、ギルドの長は時として最善を考えなければならないものだ。

「こっちで退路を作る! アルグ、悪いが私一人では無理だ!」

「少し待て、サルファ」

「待てってアルグ……まさかその娘を見捨てる気か!?」

「馬鹿言うな。俺がそんなことすりゃァユキ坊に合わせる顔がねェ。まず退路を分ける。体力ある奴ぁ回ってけ。あぶねえが……固まるよかマシだろィ」

 とにかく出来る限り残っている奴ら全員を生きて帰らせたい。正直考えが甘いかもしれないが、それでもやらなければ。

 重要なのは退路の確保と戦闘要員の確保だ。

 チョロチョロされると戦いづらい。混戦は死亡率は低いが事故率は高いんだ。だがパニック状態の奴らをまとめるには俺だけでは無理だ。アイゼンの力もいる……が、奴は戦闘に夢中だ。

 暴れ回る《庭師ガーデナー》はシモンらが請け負っているが、正直心許ない。まあ、しぶとい連中だから大丈夫だと思うが。

「クソ……!」

 考えがまとまらない。こんな時になにを迷っている。優先すべきはなんだ。俺は……クソ、ユキ坊悪い。約束したってのに、このていたらくだ。

 どうすればいい。

 どうすれば。

「――どういうことだよ……これは」

 身体よりも心が硬直した。

 その霞むような震えた声がすんなりと耳に届いたのは、案外近くに立っていたからか。それとも、心苦しさからか。

 ユキトが立っていた。その目はゆらゆらと揺れている。動揺を隠そうともしていない。そんなユキトを見た俺の喉はカラカラになってて、すぐに声が出なかった。

 青い顔で歎く少女がよろめきながら駆け寄る。

「っ……ユキ、ユキト君……シエちゃんの血が……血が止ま……止まらないのぉ……どうしよう……ぇぐっ……どうしたらいいの……うぅ……」

「リュカ……」

 泣きじゃくる少女の肩を支えることもない。一瞥したのち、ユキトはただ倒れた少女を見据えている。その表情はどこまでも冷えきっていた。だがアルグには見えた。ユキトは血が出そうなくらい歯を食いしばっている。だから胸が痛い。俺の責任だ。

「……ユキ」

「アルグ」

 声を掛けようとして遮られる。だけど目はこちらを見ていない。怒っているか。当たり前だ。信じてくれていたのに。俺が裏切ったのだ。ここで斬られても仕方がないと思った。

 だけど、ユキトの口から出たのは全く違うものだった。

「僕は……僕は結局……こうやってまた……俺のせいで・・・・・……!」

「違っ……ユキ坊は……!」

「お笑い種だ……笑え。笑えよ。とんだ道化だ。畜生。畜生……畜生ッ!」

 ああ、この少年は俺を責めない。自分が悪かったのだと、全部をその華奢な背に背負い込む。そうさせたのは俺だというのに。

 この年で俺は……半分くらいしか生きてないこの青年に、なにもかもを背負い込ませるのだ。道化は、俺だというのに。

「……殺す。あいつだけは……絶対に、今、殺すッ……!」

 明確な殺意の言葉と同時にユキトの姿がぶれた。出だしが解らなかった。一瞬でもうすでに駆け出していた。一陣の風のように。

 慟哭のような唸り声をあげながら、獣のように疾走する。もはや本能だけで動いているみたいだ。最強にして最凶とまで言われたユキト……《白い死神》がそこにいた。

「お? おおぅ? ネズミ……? ネズミなのかーぃ……?」

 通り過ぎられた誰もが気付く。それぐらいの殺気を撒き散らしている。笑い転げていた悪魔ですらそれに気付いて、ユキトに目を留めた。いや、速さが異常で奴も解っていない。

 ユキトは一直線に悪魔に向かっている。だから向かって来るなにかがいることだけ気付いたのだろう。

「殺す……殺すッ!」

「なんだぁ? ゴキブリ並の速さだぞオイ? どこの……」

「な……お前」

「どけえええええアイゼェェェン!!」

「だ……ぐえ!?」

 ユキトは飛んだ。アイゼンを踏み台にして荒々しく、そして華麗に。

「お前がああああああッ……!」

「はいぃぃぃぃ……?」

 頭部の大きな丸い眼球がさらに開かれた。唖然としている。

 鷹が獲物を狩るがごとく螺旋を描きながら急降下する。銀の閃が軌跡を描き、ユキトは地面に降り立った。

「おま……」

 なにかを言おうとした悪魔の右肩から先が血飛沫を噴き上がらせながら、ぐちゃっと地面に落ちた。左の肩甲骨から反対の脇腹までも血が噴き出し、悪魔は片膝をついた。

「な……ななななぁんじゃこりゃァァァァ!?」

「死ね」

 両断しようと振りかざしていたユキトが横から迫ってきた驚異に誰が声を上げるでもなく気付き、後ろに飛びずさる。

「ちっ……邪魔をするなッ!」

「エーリオくぅぅん……!! 今はじめて感謝しちゃったよぉぉゥ!!」

「閼……閼閼閼閼閼ァァァァ」

 剛腕による破砕の連撃と斬撃を同時に繰り出して来る《庭師ガーデナー》。しかしユキトは目もくれない。邪魔だと言わんばかりにすべて払う。

 アンバランスな体躯が生み出す隙を縫って、脆い部分を刻んでいく。

「俺の邪魔を……するんじゃねぇッ!」

 跳躍しつつ顔面を蹴って一回転する。後退と同時に剣で顔面を切り裂いた。すぱっと顔面が割れ、後ずさりしてよろめく《庭師ガーデナー》に追い撃ちをかけ、間合いを詰めた。

「飛燕流……」

 後方から前方への急な体重移動で前に大きく屈んだ体勢のユキトは、腰まで引いた刀を左手のみで渾身の一閃を放った。

「――《鬼断きのたち》……ッ!」

 間合いはまだ離れており、いくら手を伸ばしたからといって届く距離ではない。踏み込みも前ではなく、直下に木が根を下ろすような踏み込みだった。

 だが、《庭師ガーデナー》の身体が横に二分された。

 その後ろの茂みの壁までもばす、という音ともに裂けた。気味の悪い人面を象ったような花が裂け、地面に落ちる。

 これがたった二分足らずの動きとは思えない。人間業ではない。

 どうしようもなく、今のユキトは死神だ。

 テオラ・デボスタの惨劇でもユキトはあんな顔をしていた。狂気と殺戮に彩られた歓楽街と、第一区の阿鼻叫喚は未だ記憶に刻まれている。生と死だけの区切りで剣を振るうその姿に戦慄すら覚える。止めなくてはならない。このままだと彼はまた過ちを繰り返すことになる。どうにかして抑えなければ。

「サルファ、ちょっと頼むぜィ」

「アルゲルド……なにを」

「ユキ坊を……止めねェといけねェ。これ以上、あいつから失わせちゃいけねンだ」

 少女の容態を見るに、止血しなければもって二十分か。三十分もてば奇跡だ。少なくとも、放っておけば死んでしまう。

 剣鬼と化してしまっているユキトを止める自信はほとんどないが、信じよう。まだ人の心が残っていることに。

 腕の一本ならくれてやる。

 だから、目を覚ませ。

 お前の剣は誰かを守るためのものなんだろうが。


◆◇◆◇◆


「クソがァァァァ!」

 叫びながら思う。

 クソは俺だ。

「なぁーんなんだお前はよぉー! ほんとなぁーんなぁーのよぉー!?」

「おおおおおおあぁぁぁぁッ……!」

 殺す。

 一片の肉すら残らないほどに刻み、刻んで、刻み殺してやる。

 ああ、変わらない。結局なにも変わっちゃいない。

 また間違い、失い、後悔する。

 何度繰り返せば気が済む。

 これは八つ当たりだ。この身体をつき動かすどす黒い原動力は自身に向けるべき怒りだ。不甲斐なさが腹が立つ。悲嘆も狂気も、これではまるで道化としか思えない。

 俺も、目の前の敵も。

 一つ目のいびつに膨れ上がった体躯を持つ悪魔。醜い、吐き気のする姿だ。だがその威圧感は間違いなく爵位持ち。悪魔の中でも軍団を統べることを許された存在。悪魔の中の異端。あるいは俺と同じようなものなのかもしれない。

 だからなんだ。

 関係あるか。同情も共感も感傷も、いらない。あれは敵だ。

 相容れない以上殺すだけだ。

 悪魔だろうが竜だろうが変わりゃしない。

 生きてるなら大体は殺せる。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ……!!」

 慟哭のような雄叫びとともに駆け抜けるユキト。

 その横合いから飛び込む者がいた。

「止まれユキ坊ッ……!」

「どけッ、アルグッ……!!」

「どかねェ!」

「押し通るッ……」

「――なれば引き戻すまでだ」

 さらに横合いから斬撃が襲う。この太刀筋は……蘇芳か? 疾走する身体を急停止し、ユキトは転げるようにして回避する。すぐに立ち上がったが、アルグが間合いを詰めていた。

「ユキ坊!」

「く……」

 いくらユキトでもSランクの猛者を二人相手にしてあしらうのは難しい。アルグは強い。その巨体のわりに合わず速いのだ。しかも捨て身に近いタックルをされればかわすのは困難と言える。

 斬るか……?

 刹那、そんな考えが過ぎる。

 そして自分のクソさ加減に呆れた。友人すら手に掛けることを考えてしまう自分の浅ましさ。一体俺はどこまで堕ちれば気が済む。

「……んで……なんで止めるッ……」

 嗚咽のように零れたユキトの言葉に、アルグは一瞬悲しげに歪め、そして胸倉を掴んで顔を近付けた。ごつい身体に似合わないつぶらな瞳に自分の顔が写る。

「お前さんの剣は誰かを守る剣だろィ! まだあの娘は助けられる! お前さんが……お前が助けるんだよ!」

「俺は……」

「お前さんはそのために力を尽くしたんだろィ!?」

 本当に。

 俺は浅ましい。

「俺……は……まだ間に合うのか……?」

「当たりめェだ! だから……」

「――避けろ!」

 蘇芳の叫び声とほぼ同時に肌がちりちりとして、それが危険信号であると頭が理解する。いつもならその場で回避運動に移れるはずの身体は、この時は動かなかった。

 悪魔は注に立ちながら醜悪な笑みを浮かべていた。掲げた握りこぶしが怪しく光る。なんとなくだが、ヤバいと直感した。なのになんで身体は動かない。

「こぉーんの下等種が……死になさいッ」

「く……」

「ユキ坊……!」

 胸倉を掴んだアルグの腕はそのままユキトを突き飛ばした。簡単に飛ばされ、地面を転がる。息が一瞬詰まって咳込んだが、すぐに体勢を整えた。

 目の前の地面が陥没していた。

 すぐ近くで横たわるアルグの巨体。

「ぐお……くそったれ……」

「アルグ!」

「心配……ねェよ……ユキ坊。それよりも……お前さんのやるべきことが……ボードを、サルファに……」

 肩から血が溢れさせるアルグの額には脂汗が浮かぶ。きっと激痛だ。見れば解る。それでも笑みを向ける。

 ユキトは悔しさに歯を食いしばった。

 まただ。

 選択を誤るたび、誰かが傷付く。何度そんな光景を見ればいい。

「畜生ッ……」

「いつまで腑抜けるつもりだ白蓮! そこにいると邪魔だ! とっとと髭熊を連れて下がれ! 蒼樹、雅呂鵜ッ」

「了解」

「応」

 蒼樹ともう一人が蘇芳の両脇を抜ける。左右からの挟撃で悪魔を下がらせ、さらに蘇芳が踏み込む。「――ちぃぃぃぃ邪魔するな下等種ゥゥゥ!」「悪魔と殺り合えるなどそうない! 楽しませろ……!」悪魔の剛腕をかわしながら、喜悦からかさらに剣速を増す蘇芳。呆れるしかない。

 だが戦い方で解る。

 蘇芳にいくつか貸しが出来てしまった。

「ユキト君!」

「アドレイ」

 しゃがみ込んでアドレイがアルグの身体を押さえた。

「手伝おう」

「……そのまま押さえてくれ。アルグ、傷を縛る」

「おお……」

 布を取り出し、傷口をきつく縛る。腕がまるまる千切れているので、止血には至らない。早く治療しなければアルグも死ぬ。

「動けるか?」

「一応な……やべェな……ハハ、オナれねェ」

「帰って奥さんに頼め。サルファ!」

「ああ」

「これ、ボードだ。出口までのルートが最短で記録してある。悪い。遅くなって」

「君は頑張ったよ」

「……色々間違ったけど……まだ間に合うよな」

 サルファは優しげに首を振った。

「間違ってないさ。選択とは選んだ道を君が正しいものにしていくものだよ。君が願えば、間に合うに決まってる」

 ああ。

 そうなのかもしれない。

 でも願うだけじゃダメだ。

 力不足だった。

 僕には力がない。

 悔しい。

 最強と言われても、大事な人すら守れなかった。選んだ道を正しいものにするだけの力がなかったんだ。それが悔しい。

 驕っていたのだ。

 僕の驕りが、鴫浪を……そしてあいつを死なせた。

 失ったものはもう取り戻せないものばかりだけど、サルファは言った。まだ僕は間に合う。アルグが、為すべきことを思い出させてくれた。

 これ以上、失うのはごめんだ。

「あとは頼む」

「任せろ。誰ひとりとして欠けさせはしないさ」

 拳を合わせる。

 大きな拳だった。

 あれが仲間を守ってきた男の手だ。

 ……敵わないな。

 僕はこうなりたかった。そうすればきっと……。

 いや……たらればを言ったって仕方ない。今はそんな時じゃない。迷いも後悔も今は後回しだ。終わってからいくらでも悩めばいい。

 シエルの方に近付く。やはり血は止まらない。放っておけばそう長くもたないだろう。苦しそうにしている。苦しませているのは僕だ。

「出血が治まんないの。ヤバいわ」

「……うん、遅くなってごめんユフィ」

「それはこの娘に言ったげて」

 手を伸ばしかけて、思い直して引っ込めた。僕がこの娘に触れる資格はない。ただ僕はこの娘を失いたくない。この娘だけじゃない。僕を「ユキト」足らしめる全てを失いたくはないのだ。

「…………さい……」

「え?」

 不意に、シエルの唇が震えた。

「ごめ……なさい、ユキ……くん……」

「…………」

 微かに聞き取ったのは、謝罪の言葉。

 なんで僕なんかに謝る必要があるんだ。ないだろ。悪いのは僕なんだから。

「時々譫言のように呟いてたわ。ごめんって」

「……ああ。馬鹿だな」

「誰が?」

「そんなの」

 刀を握り、ゆっくりと抜き放つ。これからこの剣を握るのは《剣雄》白蓮じゃない。ユキトだ。

 ――誰も守れないのにか?

 誰が決めた。

 否定し続けてきたのは僕自身じゃないか。嫌なことを味わい続けてきた《剣雄》が心の中で否定していただけだ。

 ああ、僕だって色々失ったさ。

 でも他ならぬ僕自身が僕を否定して、誰かを守れるわけないだろう。

 だから馬鹿なのは――

「僕がに決まってるだろ」

 悲劇のヒーロー気取りはもう終わりだ。

「ユフィ、あとは任せる」

「お礼は?」

「今度飲みに行こう」

「酔わせてナニするつもりねっ」

 楽しげだな。

 余裕が戻ってくれたのか、いつものユフィだ。なら心配いらない。

 そのユフィがちらと目配せをしたので、その視線を追うと、アニエとリュカの不安げな眼差しにかちあった。その顔は擦り傷が目立つ。よく見れば全身、少なからずどこかしら傷を負っている。胸が痛かった。

「ユキト……」

 そんな泣きそうな声すらも。

 いたたまれなくて、気付けばアニエの頬の傷に触れていた。

「痛むか……?」

「え……」

 頬から手を離し、頭を撫でる。綺麗な赤毛がくすんでいる。「――ちょ、やめ……」震えるような声で、上目遣いでねめつけるアニエから手を離し、肩を竦めて、リュカの頭に手を置いた。ポンポンと軽く叩き、今だ涙目の彼女に出来るだけ笑顔を作った。

「リュカも、悪かった」

「わたしはいいよぅ……」

「シエルは助かる。絶対だ。だからお前たちも退け」

「ユキト君は……?」

「僕は……」

 やることは一つだ。

 ここは奴の世界だ。無断で降り立った僕らが恨むのはお門違いなのかもしれない。だがそんなものは関係ない。大事な人たちが傷付いて、腹を立てないなんて土台無理な話だ。

 どこまでいっても僕の剣は殺人剣だ。誰かを守ることは出来ないのかもしれない。それでも守りたいものがある。そしてこの殺しの剣でしか出来ないこともある。

 ならばそれを果たすのみだ。

「僕はあの黒いのにお仕置きをしてくる」


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