第一章<30> その一言が
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アドレイ・アーグレットは果てぬ後悔に囚われていた。
抗議をするべきだったのだ。
ここまで来て、保身を考える必要などないのに。人間の、いや自分自身の底の浅さに嫌気すらさす。
《サー・レオパルド》。豹の名を冠する十三拝命円卓騎士が第六位。
こんなものになんの価値があるのだろうか。
彼は価値など見出だしていなかった。いや、見出だしてなおあっさり捨てたのだ。本当に、あっさりと。こんなものよりも大事なものが彼にはあったのだから。
《サー・レーヴェ》クレイドル・アーグネクリフ。
《金獅子》とすら称されたあの最高の騎士は、その称号を捨てその生涯を孤児のために生きた。生きる決意をした。
そしてそれを奪ったのは我々だ。
もう三年も前になるというのに毎日のように夢に見る。くだらない、貴族と一部の騎士の沽券のために散ったあの仲間たちの顔が、頭から離れない。
自分たちの撒いた種なのだ。
自分たちで解決するのは当然のことなのに。
人を守る騎士の道にいるはずの我々が、どうして無関係の人を巻き込み、不幸を撒き散らす。
――釣れないねえ。元は同僚じゃねーか。
ああ。それでも彼はそう言うのだ。
最後まで騎士として、自らの理想に殉じたのだ。
私はどうだ。
こうやっておめおめと生きながらえ、未だに流されるままだ。
死ねばよかったとあの時何度も考えた。今だって考える。どうして自分一人が生き残ったのだろうかと。
そんな思いを抱え、何も変えられず、変わらず、馬車に乗り込み、そして再び出会った。彼の忘れ形見。彼をも超える若き剣士。
恨みつらみ言いたいことは山ほどあるだろうに、かつて少年だった青年は一言も先生の死を我々のせいだと言ったりはしなかった。彼もまた深い懊悩を抱えている。その一因はやはり我々にあるのだろうけど、だからこそこれ以上言葉を重ねることなど出来なかった。
それに、彼は前を向いていた。TSSのアルゲルド・ディゼットロークとの会話を聞いていた。ただ、先を見据えていた。自分に出来ることを探すために。
私はとても恥じた。
彼は騎士ではない。だけど、私よりも騎士だった。
武士たる彼が、誰かのために剣をとっているというのに、騎士たる私は一体何をしているのか。
――誰か一人でも笑ってりゃ、どれだけ世界が不幸でも明日が続くだろ。俺は明日が来てほしいだけだ……ってことにしとけ。とどのつまりは単なるお節介ってことだがな。
私は貴方に明日を貰ったんだ。
だったら今度は私が繋げなくてはならない。
そんな簡単なことにさえ気付かずにいたのだ、私は。
でも遅くはない。
そう、思いたかった。
「――ヘェイ。ウェルカムトゥーマイホーム。よーぉこそいらっさーい。初めましてーかな? だよね? まあそゆことでヨロシコ。そしてグッバァイ」
あの悪夢に再び見えるまでは。
◆◇◆◇◆
「総代……」
「逃げられたか……被害は」
「甚大です。生存者は我々含め五名。壊滅的です」
刀を納め、汗を拭う。結局腕一本しか落とせなかった。どうにも刀身部分の強度が尋常じゃない。《水鏡月》は役立たずの銘刀とはいえ刀としては十二分に斬れるはずだが、それを受け止めたということはそれ相応の強度ということだ。《白夜》に匹敵するかもしれない。
にしても五名とは。十人以上がもう死んだということだ。不甲斐ない。舌打ちを漏らす。
雅呂鵜は向こうに佇み周囲を警戒しているが、他二名は明らかに顔面が蒼白で戦意を喪失していた。
「情けない……」
「申し訳ありません総代」
「お前ではない。気にするな」
「ですが……」
「くどい。すぐに動く。弔いではなく私の矜持だ。奴らを追う」
「了解」
背を向ける蒼樹の後ろ姿を見送り、それから虚空を見つめる。
まだまだ未熟だ。剣ならば、あの一撃で仕留めるべきだった。よく見えているようだ。なおのこと腹が立つ。
《棘王》の剣の深奥を叩き込んでやる。
そして仕留める。
白蓮などに遅れをとるなど御免だ。
◆◇◆◇◆
「――粗方片付きました」
「ご苦労様。身辺警戒に移って」
「御意」
血生臭い。
館に侵入して思うことはこれだ。
ドミニクはハンカチを鼻に当てた。本当に悪臭だ。気が滅入る。まあ、貴族連中の繋がりは大事だ。ここでこそ我慢の使い所である。
「嗚呼……臭い」
「同感です」
「彼を連れて来ればよかったかな。来たがってたし」
「協調性に欠けています。むしろ邪魔かと」
「そうだね。丁度あの《白い死神》みたいな感じだ。どっちが強いかな?」
「さあ……潜在的な面で言えば彼でしょう」
「いつか試してみたいね」
「無益な争いは嫌いなのでは?」
「好奇心だよ。それを満たすことは無益ではないよ」
「失礼しました」
「いいよ。それで……見つけたものはこれか。やんなるね」
「まったくです」
寝室と思しき部屋。
血に濡れたシーツからは、生臭い血と臓物の香りがした。背後で二人ほどが吐いていた。止めてよそこ入り口。
半眼でそれを一瞥し、再びベッドに目を落とす。
白目を向いたその顔は苦痛だったのか快楽だったのかは定かではない。口から溢れている血と頬に残る涙の跡からは苦痛だったのかもしれない。
引き裂かれた下腹部はぐずぐずで見るに耐えない。吐きたくなる気持ちも解らないでもない。というか結構トラウマになりかねない。しばらく女と寝るのに抵抗を覚える者も出るかもしれない。
そう、女だ。あらわになった双丘といい、くびれた腰などからもこれがかつては女だったと解る。
「ランヴォル。これどう思う?」
「女が何物かに犯され、殺された跡かと」
「そんなの見たら解るよ。そうじゃないだろう。もしかしてからかってる?」
「冗談です。申し訳ない。おそらくは悪魔でしょうが」
「うん。この悪魔は大層な一物をお持ちのようだね。自信なくなるよ」
「頭首こそ冗談ですか」
「ハハ。いや、ね。冗談でも言わないとこれは気分が悪い。さすがのぼくもね」
「それはそうですが、あまり時間もない」
「先にふざけたのはランヴォル、君だよ?」
「そうでした」
ひとしきり笑う。少しは気が紛れた。
「……でだ。これはどう分析する?」
「頭首と同じです。悪魔にもそういった趣向があるようです。引き裂かれているところを見ると生殖本能というわけでもなさそうですが。しかし極めて人間的な快楽的趣向は持ち合わせている。趣味はともかく」ランヴォルは間をおき、女の顔を見た。「……美的感覚も我々に近いのかもしれません」
「ムカつくね」
「ええ。とても」
化け物が人間のまね事とは。
反吐が出る。
しわの寄った眉間を揉みほぐし、地面に落ち床に転がる金属片を拾い上げた。剣と聖杯。エンツェリア騎士団の紋章。血のこびりついた金属片を布に包み、袋に詰める。
「収穫はあった。どうでもいい収穫ばかりだけど」
「好奇心を満たすことは無益なことではありません」
「それはぼくの言葉だよ」
さて、そろそろお暇するとしよう。館の主に戻られても困る。ランヴォルに目配せをして、待機していた者たちに指示を出させた。
部屋を出て、扉を閉める前にベッドを見詰める。
遺体を持って帰ることは出来ない。せめてもと目を閉じさせ、シーツを被せておいた。彼女がこれ以上の辱めを受けることのないよう願う。
一礼をして、扉を閉めた。
自分を待つ隊の者たちに笑顔を向ける。
「――さて、あとは帰るだけだ。気を張っていこう」
各々の返事を聞きながら、先頭に向かい歩みはじめる。
すでに女のことは忘れていた。
◆◇◆◇◆
「ぎえあああああああ!?」
悲痛な叫び。もう何度聞いたのだろう。シエルは耳を塞ぎたかった。
事態が飲み込めないまま、気付けばここは地獄のようになっていた。
人だったはずのものが転がっている。それがどこの部位だったのかも解らないほどに壊されて。
込み上げる吐き気。でも下腹部が恐怖で縮むような感覚。怖い。怖い。震えそうな身体を必死に制御して、シエルは駆け回る。
発端は黒いヒトだった。
そのヒトは決して人ではなかった。人の様相を成していなかった。
真っ黒の顔に縦向きの眼球がでかでかとあるだけ。くりんくりんと不気味に動くそれに、アニエはうげっと声を漏らしたほどだった。
傷付いた騎士の男の人は、逃げろと叫んでいた。それでも動けなかったのは、その言葉の意味が解らなかったのではない。もう逃げられないと、心のどこかで感じていたからなのだと思う。わたし自身がそうだったから。
不気味な佇まいのそのヒトは、恭しく礼をした。
ヒューフェイ・パード・レ・ブローニェ・バダルジレーニョと名乗った。さすがに長くて覚えづらかったけど、ギリギリいけた。
自らを五十六の軍団を統べる地獄の男爵であると称したそのヒトは、ひどく憤慨をしていた。
なぜ、自分のペットが死んでいるのか。誰が殺したのか。なんでわたしたちがこのヒトの庭に勝手に踏み入っているのか。
答えを聞く前に黒いヒトは動いた。
膨れ上がる身体。若干遠くで、正確な大きさは解らないけれど、普通の人と同じくらいの大きさだった黒いヒトは、たちまち数倍の大きさに膨れ上がった。
アンバランスなほどの胸筋と、長くそれでいて金棒のように太い腕。太股と膨ら脛は枝豆のように奇妙に膨れ、伸びていた。
そこからは迅速だった。
ジュという音がした。
シエルは何が起こったのか理解できず、ただとにかく音の発生源を探して、見つけて、そして言葉を失った。
陥没していた。
シエルから右に五メートルほど離れたところだ。
直径一メートルくらいの綺麗な円形に陥没していて、そこには真っ赤な池が出来上がっていた。
意味が、解らなかった。
なに? なんなの、これは?
そんな恐慌に陥る間に、わたしたちは蹂躙されていった。次々に殺されていく隊の人たちを、シエルは見ていることしか出来ない。逃げ惑うだけだ。
砕けそうな心が、何度も足を止めそうになる中、皮肉にも苦痛と絶望に満ちた悲鳴がシエルを正気に戻す。
「わ……わあああああぁぁっ!?」
背後からまた悲鳴。振り返ると、また見たこともない怪物がいた。
いや、ある。見覚えがある。膨れ上がった肉体と、背中から生える不気味な腕に覚えはないが、あのはちきれそうな繋ぎと、ベレー帽はさっきの――、
「呀ァ――戲ィ――――」
そう怪物だ。
結局、怪物だ。
ここは一体なんなんだろう。
アルゲルドさんは危険な場所だと言っていた。それでも来たのは自分自身で。でも後悔している。こんな地獄に来たことに。アニエとリュカまで巻き込んでいることに。
ユキト君は解っていたんだ。
だからあんなに反対したんだ。
でも、わたしが行くと言った。
自業自得なんだ。
ごめんなさい。ごめんなさい。謝りたい。ユキト君に謝りたい。
ちゃんと考えてなくて。大した知識も力量もないのに、一人前になったつもりで我が儘を言って、余計な心配までさせて。
会いたい。会いたいよ。
――呼べば来てくれるのよ。
ユフィンリーさんの言葉が思い起こされる。
呼んだら来てくれる。ユキト君は。
こんなわたしでも? 迷惑しかかけていないのに?
それでも会いたいなんて考える、我が儘なわたしが呼んで、彼は来てくれるのだろうか。
不安ばかりが渦巻く。
けれどそれ以上に会いたいという思いも大きかった。
会って謝りたい。
「――ど、どけ……!」
「え……?」
押される。
身体がよろめく。
黒い影が伸びてきた。
衝撃が走る。
腹部に異物が入り込んだような感覚がして、だんだん熱くなってきた。痛いほどに痛い。……痛い。
涙が出た。
「ユキ……く……ん」
ごめんなさい。
会って、謝りたいのに。
目の前が霞んで、なにも見えない。




