第一章<13> 死神の憂い
「本当に覚えてなかったの?」
ユキトは三人を待つ間、《聖なる薔薇》の本拠地の門の前でコディアと話していた。唐突に、一ヶ月前のことについて掘り返される。少し歯切れの悪い回答が漏れる。
「え? ああ、うん。忘れてた」
「そう……ちょっとショックだなあ」
コディアは眉をハの字にして見せた。
「う……いや、だってあそこ結構な頻度で使うから記憶もごっちゃになりやすいんだよ。なんつーか、その、悪い」
「冗談だよ。でも、すっかり忘れてるわけじゃなくてよかった」
笑いを堪えながらそんなことを言う。からかわれたみたいだ。少しむっとして、だけどすぐに大人気ないと思い、平静を保つ。
「まあ、わりかし最近だったし」
ぶっちゃけあと一週間経てば間違いなく思い出せない領域にまで記憶は埋まっていただろう。あのタイミングでコディアと邂逅したのはある意味幸いだった。
ふと門に目を向ける。もうあれから十分ほど経つ。何を話しているんだか。ユフィンリーも余計なことは言わないでいてくれるだろうけど、しかしユフィンリーであることが不安を呼ぶ。良くも悪くも気分の女だ、あれは。
「気になる?」
「ん? あー……まあな。ユフィだし」
「さすがにあの人も空気くらい読めるわ。それより、あんたってあの子たちにどこまで話してるの?」
「何が」
「自分のことよ」
「…………」
情けないことに、黙秘権を行使した。
「どうせ全く話してないんでしょ」
「ああ」あっさり看破されたが。
「話すのが怖い?」
「どうだろうな。そうかもしれないし、違うかもしれない」
回りくどい言い方だ。解らない、が正確だろう。
「変なの」
「変なんだよ」
自虐的に肩を竦めてみる。
ユキトとコディアは顔を見合わせてくっと笑った。
「でも、いつかはばれるわよ? あんたの実力も、通り名のことも」
「そう……だな。その時はその時だ」
「もし、彼女たちが離れていったら?」
「さあ……いい加減慣れてるつもりだけど、悲しむかもな」
「意外と繊細なのね。でも、心配いらないわ」
コディアがすっと近付いてきた。手をゆっくりと伸ばし、ユキトの頬に触れる。冷たい掌の感触。
「あたしは味方でいてあげるから」
――わたしはユキトの味方だよ。
「……っ!」
駆け巡る記憶の断片が、まるで弾けた硝子の破片のように心を切り裂いて行った。激痛だ。それを消し去りたくて、でもどうしようもなくて、衝動的にコディアの手首を掴んだ。
「いたっ……」
小さな悲鳴。
我に返る。何をしているんだ、僕は。震えそうになる声をなんとか隠そうと、ユキトは掠れるような声で喋る。
「……ごめん。だけど、ダメだ。それは……嬉しいけど、絶対に口にしちゃいけない……。僕は……」
「ごめんなさい……そんなつもりじゃなかったんだけど……」
止めてくれ。
そんな悲しげな顔をしないでくれ。悪いのは僕だ。コディアは何も悪くない。これは僕の弱さだ。
だから――、
「何やってンの……?」
「……アニエ」
気付けば門が開いていた。今し方、話は終わったらしい。だけど、三人ともおかしなものでも見るようにこっちに視線を向けていた。居心地の悪い視線だ。
「あんたまさかホントに手籠めにしようとしてんじゃないでしょうね?」
「な……んなわけねーだろ」
「じゃあ、なんでその子の手首握ってんのよ」
「あん? ……あ」
言われてまだ自分がコディアの手首を握りつづけていることに気付く。
「おーユキト君大胆」
「ユキト君……」
リュカは面白がっているが、シエルは若干非難じみた目で見てくる。リュカはともかくシエルの視線は突き刺さるように痛い。
一番解らないのがなんで僕はこんな後ろめたさみたいなものを感じているのかということだ。言い訳も何もいらない。単純に少しいざこざがあっただけだ。しどろもどろに言い訳を探している自分はかなり滑稽だ。
ユキトはコディアの手首を解放し、それから何とは無しに両手を顔の高さに挙げた。
「あー……と。あれだ。手相占いだ」
考えつく限り最悪の言い訳だと言ってから後悔した。
完全に空気が凍り付いたし、全員がジト目でユキトを見ていた。とんだ針の筵だった。
静寂。痛々しいくらいの沈黙の帳が下ろされた。
それを破ったのは、アニエの嘆息だった。
「もうそういうことにしとくわ。この話は終わり。……で、この後どうすんの?」
「あ、ああ。とりあえず、まずは事後報告だろ」
「んじゃとっとと行きましょ。シエル、リュカ」
頭数にユキトは入ってなかった。スタスタと歩いていくアニエ。後ろ姿でも怒っているのは解った。その後をシエルとリュカが付いていく。シエルがこちらを一瞥したけれど、結局アニエの後を追った。
立ち尽くすユキトにコディアが覗き込むようにして言った。
「あんたは行かないの?」
「……行くけど」
◇◆◇◆◇
第一区は第九区に隣接している。それほど時間を掛けずに目的地に到達出来た。この区画は協会や銀行などの国が管理する施設が集中する。
協会の査定受付に行く前に、討伐された化け物を専門に査定する鑑定所のところに寄る。生首をいつまでも持っているというのは精神衛生的によろしくない。ぶら下げながら歩き回っていた僕の言う台詞ではないけど。
エンツェリア王国直轄討伐対象鑑定所《JMC》。
来るのは久しぶりだ。相変わらず閑散としている。
あれ以来、ここには来ていないはずだから、一年といったところか。すなわち一年間は討伐依頼など受けていないということだ。正直、それが金欠の原因とも言える。
地図製作の探索はどうしても長期のものとなる。今回のように続きからともなれば、既成部分の変更点を確かめながら未完成地点まで行かなくてはならない。
協会は過程より結果を求めるので、どれだけ労力を掛けたところで地図の出来や進行度が悪ければ報酬は少ない。なのですぐに結果の出る討伐がダンジョンメイカーの一番の収入源なのだ。そのせいで若干製図の全体的な進行は滞りを見せているのが現状だが。
一年間討伐依頼を請けずに来たが、実際めっきりと収入は減った。別の原因もあるのだが。要因としてはそれが大きく占めるだろう。
久方ぶりにJMCの扉を開ける。
鼻をつんざく臭いが漏れた。これが閑散としている理由だ。用がなければ絶対に近付きたくない場所。それが、Judgment Monster's Corpse――略してJMCだ。
「くっさ……!」
「うう、ひどい臭い……」
「げえぇぇ……は、吐きそう」
初めて来るらしい、三人とも鼻をつまみながら不平を漏らす。
ユキトも嫌だ。これは臭い。一年間来なかっただけで、ここまでひどいとは。ヘドロみたいな腐臭が充満する。目に染みる程だ。
しかし行かないと意味がない。ユキトは顔をしかめつつも中に足を踏み入れた。
様々な生物の一部が液体と一緒に中に詰められている。グロテスクな空間だ。趣味でもあるらしいし、ここの所長は頭がおかしい。
真っ直ぐ進むと古びた木の机に座っている、真っ黒のローブに身を包む女の姿が目に入った。髪は灰色。ユキトのような白ではなく、灰色だ。こちらを睨む瞳は鋭いというよりはやつれているみたいだった。
その手には先ほど並んでいたのと同じような、なにかの目玉の入った瓶を手で撫で回していた。相変わらず不気味とかいう領域を超えている。
「ひえっ。ま、魔女……?」
リュカが後退りながら少し怯えた声でそう言った。まあ、言い得て妙だ。絵本に出て来る魔女みたいなもんだ。このド変態は。
「ノックもなしに入ってきたかと思えば、今度は人を魔女呼ばわりじゃけー。随分な客じゃけの」
「その姿を見りゃ誰でもそう思うに決まってんだろ」
「ん……? なれは……もしかして死神け?」
「死神言うな。あんたも相変わらず変な喋り方だな、テレサ」
テレサ。苗字は知らない。年も知らない。見た感じは若いが。化粧気のない青白い肌を見ると、死人みたいな女。名前と現実が全く一致しない、ここで化け物専門の死体解剖を引き受ける科学者だ。
その道では有名人らしく、その死骸を一部分でも持ち帰れば、いつごろ、誰が、どんな武器で殺したかなどの情報を割り出せるという特技を持っている。凄いとは思うが、正直気持ち悪い。
「懐かしいのー。どうした。こいつらの神秘に目覚めたけ?」
テレサは目玉の入った瓶を撫で回す。ウヘヘとだらなしなく頬を緩める。
「目覚めるかよ。気持ち悪い。査定書貰いに来たんだ。ほれ」
どす、と目の前に包みを置く。それを解いて、中身を見せた。
テレサは一瞬で死んだ魚の目みたいな瞳を輝かせた。
「これは……金狼かえ!?」
「ああ。首と腕。上々だろ」
「一年ぶりに現れたかと思やぁ……なれは神け!?」
生き生きしてんなー。そのベクトルは非常に残念だけど。
「とりあえず、至急頼むわ。ここいると吐きそうだ」
「おうおう任せとけの! 切断面の鋭さからなれの刀でまちごうない! なれの包丁は万能じゃけー」
「包丁じゃねー。何分で出来る」
「もうでけたけの!」
「早っ」
「金狼は齢八年かの。人間換算で二十歳過ぎじゃけ。詳しいことはあとで調べるけ。なれの査定書は……ほれ」
血やら付いたままで触られた査定書は不気味だった。それをまるでゴミのように放り投げる。この女にとっては実際ゴミ同然なんだろう。「よっ」と地面に落ちる前に受け止め、それを確認。礼を言おうとテレサを見れば、もうこっちには関心すらないようで、金狼を嘗め回すが如く見ていた。そんなに時間が惜しいのか。
「……神を放ったらかしか。まあいいか。じゃあな」
「ウヘヘー……金狼のサンプルなぞ久方ぶりじゃけ〜」
聞いちゃいなかった。
嘆息しつつ踵を返す。もう用はない。とっとと出るに越したことはない。
◇◆◇◆◇
「げええええ……」
「死ぬかと思ったよ……」
アニエとリュカが近くの木に手をついて蹲っていた。結構我慢していたらしい。それならそれで外に出ていればいいのに。
シエルは辛そうだがまだ大丈夫そうで、JMCの門を見つめていた。
「あれがJMCなんだね……」
「ん。ああ、人より化け物の死骸が好きなド変態だ」
今ごろ気持ち悪い笑いを浮かべて生き生きと解体しているんだろう。死人面のくせに。想像してしまうと気分が萎える。
「へえ……あ、でもユキト君って意外に顔広いよね。思ったんだけど」
「そうか? 狭い方だと思うけどな」
「特に女の人の知り合いが多いよね」
なぜかすごい刺のある台詞だった。表情は笑顔なのに、瞳は笑っていない。少し怖い。
「そう、か?」
おかげで言葉が少し詰まった。
「だって、男の人の知り合い出会ってないもん」
「あー……そうかもな。別にいないわけじゃないぞ?」
「何人くらい?」
「ええぇ……何人とくるか……。何人だろ……」
もともとそれほど知り合いが多いわけではないのだが。顔見知り程度ならともかく、交流のある知人はせいぜいレイニーとシモンくらいだ。あと後で会う予定の熊野郎。
「数えたことないな……。まあ、おいおい出会うだろ」
「ふうん……」
納得したのかしていないのか、解らなかったけど、シエルはそれ以上は追及してこなかった。一応解放されたみたいで、胸を撫で下ろす。
ユキトは咳ばらいをして調子を整えた。
「さて、協会に行こうか」
◇◆◇◆◇
「あっ。ユッキー!」
「……ユッキーやめろよな」
協会の斡旋所窓口。エレベーターを降りるなり、ネアが右手をぶんぶん振りながらユキトを呼んだ。げんなりした呟きを漏らす。
「また女の人……」
ギンと周囲から殺気が向けられる。なぜか自分の後ろからも似たような視線を感じた。振り返るのが怖いので気にしないようにする。つーかホントにユッキーというあだ名は嫌なんだ。
「死神だ……」「あんにゃろう……なんで……!」「クソ疫病神が」「なんで女連れてんだ……」「あの**ッキン野郎が……」「なーにがユッキーだ」
こうなるのだ。
いつものことだ。まあ、いつもよりひどいが。多分、つーか間違いなく後ろ三人が原因だ。厄介事に巻き込む前に解散しないとな。
溜息を吐き出す。その背中を誰かがちょいちょいと突く。軽く振り返った。シエルだった。周囲の武骨な同業者の視線を浴びてか、遠慮がちにこちらを見上げている。
「あの……ユキト君って実は有名なの? すごい見られてるけど」
「有名というか……」
「とゆーか普通に悪口言われてるわよ?」アニエが口を挟む。「あんた一体何したのよ?」
「…………」
何も言い出せなかった。
なんで躊躇っているんだろう、僕は。どうせいつかは知ることになる。時期などこだわる必要もない。それとも僕はこの子たちといるのがそんなにも心地好く感じていたのか?
だったら。尚更、言わないといけないんじゃないのか。
「あ、いや、別に言いたくないならいいけど……」
「いや……また今度話すよ」
今度、か。
先延ばしにする台詞。使い古された常套句。
そんなもののどこに意味があるのか。
「先にすることをしてしまおう」
逃げてばっかりの僕の一体どこに今度などと言える信用があるんだろう。
自問自答したところで、答えが変わることはない。
憎悪、嫌悪、奇異、忌避の視線。その中を歩く。これが僕に向けられるべき視線だ。ある意味《聖なる薔薇》の構成員が僕を見る目は正しかった。
果てしないようにも感じられた道程。永遠とも思える時間を歩き続け、ネアの座る窓口に到達。視線が槍と変わるなら、すでに蜂の巣のようになっているだろう。それくらい周りの視線を受けた。
「お疲れだねー」
「あんたのせいです」
相も変わらず僕の心労などまるで無視だ。この人は。
「それだけお姉さんが魅力に溢れているってことよ」
「勝手に言っててください。……と、鑑定をお願いします」
データチップと金狼討伐の証書を渡す。
「えーと……メトス鉱山ね。あ、そうそう。あの時ユキト君無視して行っちゃったけどさ、ユキト君の登録直後に三人登録があったんだけど」
「あ、それわたしたちです……」
おずおずといった様子でシエルが手を挙げた。ネアはユキトの後ろからひょっこり現れた少女たちに気付き、目を丸くした。
「あら? あらあら。あなたたち確か二ヶ月前に登録した子じゃない?」
「あ、はい。そうです」
「可愛いから覚えてるわぁ。ユッキーに同行したんだ?」
「は……はい」
「へぇぇ〜」
嫌な笑みでこっちを見てきた。ホント嫌。
「なんですか……」
「あのユッキーがね〜。今夜はお赤飯かしらっ?」
「変な勘繰りしないでください」
「やーん照れてる〜。いやでもホント……このスケコマシ☆」
「いいからさっさと査定やれ」
「きゃ〜ユッキー怒った〜」
怖ーいとか言いながら、これまたいい笑顔で椅子をスライドさせて奥に逃げ込んでいくネア。これまた変な噂を流されそうだな。別に構わな……くはないな。レイニーやシモンが知れば間違いなくからかってくるだろう。
今後の予想がユキトの頭痛の種となって突っつく。思わず眉間を指で押さえた。
「まったく、あの人は――いてっ!」
膨ら脛のあたりに鈍い痛みが走った。しかもリズミカルにげしげしと――蹴られている。犯人はアニエだった。
「ちょ……痛い。痛い痛い。なんで蹴るんだよ」
「ふん」
そっぽ向かれた。会話を拒否されるとはね。なんなんだ一体。言いたいことは口で言えよな。ユキトは眉をひそめて後頭部を掻く仕草をした。
「……いて」
ちくりと腕が痛んだ。
視線を落とすと、シエルが腕をつねっていた。強くはない。弱くもないけれど。だけど、こっちを見る、その膨れっ面にはなぜか胸が痛んだ。シエルもしばらくしてユキトの腕をつねるのをやめて、アニエと同じようにそっぽ向いてしまった。
こっちもコミュニケートを拒むようだ。交渉の余地はないらしい。
「なんなんだ……」
憮然としつつも、すべてを溜め息に乗せてとっとと吐き出す。
そんなユキトの肩を、リュカが軽く叩く。その顔は腹立つくらいにいい笑顔だった。
「これがセーシュンの痛みだよー」
「蹴られてつねられるのが青春ね……」
意味が解らん。
つーか断固拒否だ。そんなもん。
でも、青春か。
もう二十歳になる身としては、どうなんだろうか。今までに青春と呼ばれるものは果たしてあったのか。
あったんだろう。きっと。些細な幸せと一緒に、僕の青春はあった。
そしてそれは過去でしかなく。未来にあるかなんて解りゃしない。ただ、見つかりそうもない。僕はもう真っ赤に染まった。そんな僕に望むべくもない。未来を夢見るなど。そんなもの、正体はただの――妄想だ。
「おんまたせーっ!」
空気を読まない高らかな声が飛んできた。しかしそんなネアも変な空気に気付いたのか、そっぽ向く約二名とユキトを見比べる。
「ん? あれ。夫婦喧嘩?」
「どうしてそうなるんです」
「浮気がばれた、みたいな」
「意味が解りません。つーか妻とかじゃないです」
「わたしが本妻だもんね」
「だもんね、じゃねーよ」
「で、査定の結果だけど……」
無理矢理な話の戻し方である。ホント会話に関しては霰弾銃みたいな女だ。方向に一貫性が見られない。わざとなのかもしれないが。
「金狼討伐は結構ポイントでかいわ。JMCの査定とユキト君のランク。あとは被害の未然防止の付加もあるから、ざっと八十万ってところね」
「は……はち……?」
「はちじゅう……まん」
「すごー」
まあ、二ヶ月そこらのダンジョンメイカーにしたら大金なため、三人が驚くのも無理はない。しかし接触禁忌の討伐で八十万なんて大金が貰えるのも、一重にユキトだからとも言える。
普通ならもう少し安値だ。接触禁忌といえども、敵が生物である以上は決して倒せないわけではない。過去このような化け物退治の最高報酬額は二百五十万。竜族討伐の時だけだ。
といっても、ユキトがダンジョンメイカーになるずっと前のことだが。
「まあ、妥当でしょうね。製図はどうです」
「前より断然いいわ。進行度もまずまず。時間的に一日も滞在してないわりに進んでるわね」
「そうは言っても雑ですけどね」
「十分。周りもっと雑だし。ユッキーの地図は丁寧だってうちでは有名よ」
「恐縮ですね」
「あらあら謙遜しちゃって。ユッキーの右に出る存在なんていないんだから、胸張ればいいのに」
「はは……」
「あのー……」
渇いた笑みを零すユキトに代わり、口を開いたのはアニエだった。
「やっぱりこいつ……じゃなくてユキトって強いんですか?」
「うん? ああ、あれ言ってないんだ?」
「ええ、まあ……」
ネアの言葉に曖昧な返事となる。
それをどう受け取ったのかは知らないが、ネアはあっさりと答えた。
「ユッキーはランクSだよ」
「Sって……凄いんですよね?」
「そりゃあ、最高峰だしね」
「最高峰……」
呆然とするアニエ。他の二人も似たような反応だった。まあ、そうなるわな。別にいつかはばれる。それなのにそれを先延ばしにしているユキトにネアは呆れたのかもしれない。
どうもじれったい男だ、僕は。臆病なだけか。
「ランクSなんて王都でも八人しかいないし、他の都市じゃあ一人いるかどうかってものだよ。ユッキーはその中でも最短かつ最年少でランクSに昇格したんだからべらぼーに強いわ」
しかしあっさりと言ってくれるな。
ここまで抵抗なく言われるといっそ清々しい。まあ、ネアからすれば他人事か。井戸端話みたなもんだ。
「まあ、そんな強いユッキーと同行出来たあなたたちは幸運ってことよ」
幸運ね。どっちかといえば不幸だ。
僕にとっても彼女らにとっても。
現に、あれは死んでもおかしくなかった。金狼なんて危険生物に対してあそこまでやり合うのだって、白夜と飛燕の剣があってこそだ。あのまま封じていれば、間違いなく金狼の腕にあの華奢な身体は跡形もなく消し飛ばされていただろう。
それが不幸でなくてなんと言うのだろう。
不幸中の幸いなさけだ。九死に一生を得ただけ。
次同じ状況に陥って、僕は再びこの子たちの命を守ることが出来るか。欠片も自信はない。結局飛燕の剣はどこまで行っても殺しの剣だ。
あいつだけが、それを守りの剣として扱えた。守人の役は正直あいつが一番適していたんだろう。僕が彼女のために出来たことなど、本当に少しだけだったから。
過ぎたことだ。あいつはもうこの世にいないし、守人になる可能性もない。そもそも今さらあの凰州のことなど思い出してもしょうがない。馬鹿馬鹿しい。過去は過去だ。変わることなどない。ただ胸に刻んでればそれでいのだ。
一つの事実が告げられ、これから目の前の少女の僕を見る目がどうなるかなど、これも過ぎ去ってしまえばなんの意味もない。直に他の噂も知る。《死神》のこととか。知ればきっと嫌悪し、離れる。いつものことだ。
――だっていうのに。
「……で、振込みだけど一括でユッキーに振込み? それとも――」
なんでこんな胸が痛いんだろう。
お陰で、ネアの話はこれっぽっちも頭に入ってこなかった。
意味が解らない。
気付けば、ユキトは無意識に胸を押さえつけていた。