第一章<12> 百合の薔薇
王都に着いたのは真夜中だった。捕縛されて荷馬車に詰め込まれたのがお昼だったので、約半日といったところか。休憩は二十分ほど馬を休ませるために取った程度。ユキトにとっては地獄のような状況。
荷馬車から降ろされた時には顔面蒼白で死人のようになっていたという。コディア談だが。
今現在いる場所はもちろん王都。居住および商業区である第九区の一画。ギルド《聖なる薔薇》の本拠地である。その中の留置所に荷物を全部取り上げられた状態で放り込まれたのが昨夜。言いたいことは多々あったが、まずはコディアに連れだってもらい適当に内容物を吐き出した。それでようやく吐き気も落ち着いたので満足してしまい、そのまま眠りについた。すでにそこにプライドはなかった。
今はその翌朝ということになる。
朝食を持ってこられたのが大体七時。それから一時間くらい経っているだろう。なので今はおそらくは八時ごろか。ギルドのメンバーであろう女二人がやってきてユキトを留置所から出す。曰くお姉様のご登場らしい。お姉様、ね。
広いサロンのような部屋に出る。無駄に豪華。ここに来るのは二度目か。前と違って間取りが変わっている。そもそも前に来たのはいつだったかな……。ああ、あいつと来たんだ。くそ。嫌なこと思い出した。
部屋には十数名の同じ白い軽量防具に身を包んだ集団が剣呑とした様子で立っている。そこにはコディアとエリス、そしてニーナの姿もあった。コディア以外の全員がユキトを睨みつけている。
そしてその中に違う装備の女が三人。シエル、アニエ、リュカの三人娘だ。どうやらここに泊まったらしい。まあ、女の子に深夜の王都をこのギルドが歩かせるわけがないか。
「ユキト君……」
「い――生きてたんだ……よかった」
「やほー」
「よう、おはよう」
三人とも安堵の表情。心配してくれていたことに、少しの嬉しさを覚える。同時に罪悪感も。
背を小突かれる。早く行けということらしい。ユキトは視線を前に戻し、歩きはじめた。再度煌びやかな空間を軽く眺め、それから目の前のこれまた豪華絢爛なソファに座る女を見た。
とても美しい女であった。染めているのだろう紫色の髪を肩まで延ばし、豊満な胸と引き締まった腰を強調するドレスに身を包んでいる。
ユキトはその女の前まで連れていかれ、再び地面に叩き伏せられた。「ぐ……」くぐもった声が漏れた。
女は僕を下目に見据え、
「くるしゅうないわ」
「……何様だよ」
思わず言ってしまう。
「つーかなんだ、この茶番は。解放しろよユフィンリー」
《聖なる薔薇》のマスター、ユフィンリー・クロムロータスはにんまりと笑った。嫌な笑みだ。
◇◆◇◆◇
ユフィンリーは可愛い男の子や女の子が大好きな変態だ。「可愛いものを愛でるのは女の特権」とは本人の弁だが、僕に言わせれば十二分にただの大変な変態だ。
それが興じてかギルドなんぞ作りはじめた。ここではマスターはお姉様というらしいが、これまたほんの少し会わないうちに変な集団に仕立てあげたようだ。失笑。
ユキトは今、ユフィンリーの命で縄を解かれ、痺れた手首を解しながら胡坐のまま彼女と向き合って座っていた。
ちなみに即刻解散命令が出て、サロンに並んでいたギルドのメンバーはもういない。が、シエル、アニエ、リュカの三人娘と、コディア、エリス、そしてニーナはまだいた。コディア意外は怪訝そうにこちらを見ている。他のメンバーも実は扉の向こうから覗き込んでいたり。僕は珍獣か?
手の痺れも切れてきたので、ユフィンリーの方を向いた。
「久しぶりだなユフィンリー」
「あら、前みたくユフィちゃんて呼んでくれないの? 愛を込めて」
「呼んだことすらねーよ。つか、あんたに込める愛はねぇ」
「くすん……ひどい……愛するユッキーに虐げられて……」
「ユッキー言うんじゃねーよ。さすがネアと従姉妹なだけあるね。同じこと言ってら」
「わたしたちは恋のライバルなのよ。だからこそ通じ合ってるの」
「あっそ」意味不明だし、心底どうでもいい。「古参のメンバーはどうしたんさ。メリッサとか」
「うん? 今はちょっと遠征。《常闇剣山》まで」
「B級開拓地か。もうほとんど出来てなかったか? あそこの地図は」
「討伐よ。オルトロスが出たとかで依頼が出てたわ」
「へえ……」
《常闇剣山》は標高は高くないが常に厚い雲に覆われ、太陽が見えない。理由は不明。だが周囲に《巣穴》が多く点在しているので、それが原因と言われている。
《巣穴》というのは、一言で言うと説明が難しいが、有り体に言えば『この世とこの世ならざる場所を繋ぐ抜け穴』といったらいいかもしれない。暗黒物質と言われている黒い何かが吹き溜まっている場所だ。お陰でそこから変なものがたまに沸いて来るのだ。オルトロスもその一種。その姿は言うなれば双頭犬。もっと簡単に言えば、化け物だ。
ホント逞しい女性で塗り固められてるな。このギルドの、特に古参のメンバーを見ているといつもそう思う。
ユキトが感心して一人頷いていると、ユフィンリーが咳ばらいをした。
「それよりもユッキー。聞きたいことがあるんだけど」
「何さ」
「あの子たちは新しい彼女?」
三人娘を指差すユフィンリー。同時にシエルとアニエは顔を真っ赤にして俯いた。リュカだけは「いや〜」と緩んだ顔で後頭部を掻く仕草をしているが。
それを一瞥して、うぶだなーと思いながら、ユフィンリーに対して半目になった。
「……。三人いるだろーが」
「三股かなーと。夜は4P?」
「黙れ色情魔」
どこもかしこもネアそっくりだ。さすが従姉妹。
「つーか、あんたも新しい面子で固めてさ。茶番は勘弁してくれよ。お陰で酷い目にあった」
「顔見知りの子もいるじゃない。コディアとか」
「いや初顔合わせなんだけど」
「あれ、覚えてないの? 一ヶ月前、北の大通りで野蛮な悪漢に囲まれたコディアを助けた白髪の王子様。話しか聞いてなかったけどすぐ解ったわ。ズバリユッキー、キミだとね」
びっ! と人差し指をこちらに向けて来る。三文芝居。どこの名探偵気取りだ。ユッキーやめろ。にしても、
「僕がか……?」
最近の記憶を掘り起こす。LKストリートは第三区を貫く。レイニーの店もあるから多用するので、記憶も他の区画と違って曖昧になりやすい。
ちなみに王都には十一の区画がある。第零区から第十区まで。区画は居住区や商業区、工業区などといった形で分かれているので、王都では区画さえ覚えておけば暮らせる。
この区画整備は王都が行った善政の一つと大半の者は言うが、正直ユキトは気に食わなかった。
まあ、そんなことは今はいいのだが、しかし悪漢退治なんてしただろうか。一ヶ月前といえば確か、月一の消耗品の買い出しに出掛けたくらいだ。……ああ、思い出した。
「いや、あれは僕なんもしてないぞ?」
「え? でも群がる男を一睨みで散らしたって」
「別に睨んでないけど……」
一ヶ月前、消耗品買い出しも終わって第三区をぶらついていたとき、グースにでも寄るかと思い立ったのだ。その道中に同業者が四人ほど下卑た笑いをしながら女の子を囲んでいたので、適当に声を掛けた。それだけだ。
向こうも最初は凄んで来たのだが、こっちを見るなり「死神だー」と失礼なことを叫んで逃げて行ったのだ。まあ、そう呼ばれるのも仕方ないし、もういい加減慣れたからいいんだが、人を殺人鬼みたいに呼ぶのは勘弁願いたい。
「まあ、でもうちの女の子を助けてくれたこと、感謝するわ」
「お礼はここからの解放でいいぞ」
「これはこれーそれはそれー」
「お前悪魔か」
「わたしは小悪魔系よ」
「黙れ悪夢系。いい加減解放しろ」
「無賃乗車したじゃない」
「その分心身を痛め付けられたんだよ。もうそれでチャラにしようや」
「ううむ……ユッキーを女装させて楽しみたかったんだけどなぁ……」
「あんたの欲求がだだ漏れだぞ」
やっぱり悪夢系だ。
「ま、それは今度の楽しみにとっとくとして、ユッキーはこのあとどうするの?」
「とりあえず協会に行くつもりだが……何かあったか?」
「巨人の髭熊があんたを捜してたわよ。ユキ坊やーいって」
「……想像を絶する光景だ。解った、後で顔出す」
ユキトは立ち上がった。結局、ユフィンリーの目的はよく解らなかったが、僕を玩具にでもしたかったということだろう。伝言がてら。
順序が逆だろうに……。呆れて小さく嘆息。
「あ、ユッキー。ちょっと彼女さんたち借りるから、ちょい外で待っててくれるカナ?」
「語尾を可愛く飾る必要はないぞ。まあ、別にいいけど」
「ありがと。一言余計だけど。あともう一つ」
「……なんだよ」
「よく頑張ったじゃん」
「……早くしてくれよ」
ホント、ずるい女だ。
顔の熱さをごまかすように前髪を引っ張りながら、ユキトはユフィンリーに背を向ける。
「案内するわ。金狼も渡さないといけないし」
コディアがついて来る。ユキトは短く「ああ」とだけ返した。それ以上は無理だった。多分釣られて変なものまで出てくる。
見透かしたような台詞。不覚にも嬉しかった。再び血塗られた剣を握り直した自分を誰よりも嫌悪していたのは僕自身で。決して喜ぶべきではないはずなのに。でも、認められたみたいで、少しだけ、嬉しかった。
それでも、お礼の一つも言えない僕は最低のままだ。
なんで五文字が言えないんだろうか。僕は。
ありがとう。
僕はそれをいつかちゃんと言えるようになるのだろうか。
◇◆◇◆◇
「素直じゃないなぁ……ユッキーも。まあ、両手を挙げて喜ぶことでもないもんね。仕方ないか。ねえ?」
「ええと……あの……」
突然振られてシエルはしどろもどろになった。ユフィンリーさんはくすっと大人っぽい笑みを漏らすと、立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。少し動揺してしまう。
改めて見るととても美人だ。豊満な胸に細い腰、そして長い脚。芸術品のような女性。協会でダンジョンメイカーの登録をしてくれた女の人と雰囲気が似ている。大人のお姉さん、といった感じ。
「固くならなくていいのよ? 改めてまして、ユフィンリー・クロムロータスよ。よろしく子猫ちゃんたち」
そう言って右手を差し出す。あれ……子猫ちゃん? なんか変な感じだけど、ユフィンリーさんなりのジョークだろうとあえてスルー。
「シエル……です。えと、こっちは」
「アニエよ」
「わたしはリュカでーす」
適応の早い二人はもう慣れた様子だった。順々に握手をする。すごく柔らかい手だった。
「ユッキー……ユキトとは最近知り合ったの?」
「え、はい……その」
「今回の探索であたしらが被って登録したみたいで。それでたまたま馬車も同じになったから、成り行きで」
うまく答えられそうになかったシエルに代わってアニエが答えた。正直助かった。
「そうなの。それでも珍しいわ」
「何がですか?」
アニエがすかさず聞き返す。もう下手に口を出さないほうがよさそうな雰囲気だった。
「ユキトは単独のフリーランスだからね。パーティーはここ一年組んでないはずだし」
「ソロ……」
「まあ、いろいろあったのよ。わたしは何も話せないけど。まあ、この王都に居ればいつかは耳にするわ」
「ユフィンリーさんって、ユキト君とは付き合い長いんですか?」
リュカがいきなり口を開いた。戦闘は怖がるくせに、対人においては全く物怖じしない。ある意味羨ましい。
「四年かな、だいたい。あの子はダンジョンメイカーになったのはだいたい三年前だし……それくらいね」
ユフィンリーさんが言った言葉を咀嚼する。シエルはその言葉に違和感を覚えた。
「あの――三年前にダンジョンメイカーになったのに四年前に知り合ったって……」
「あーそっか。ユキトの出身地は知ってる?」
「え? 聞いてないです……」
「東方じゃないかな? 特徴的に。白髪紅眼は珍しいけど」
リュカが言う。
「概ね正解。凰州出身よ、彼」
「凰州……って、あの凰州ですか?」
「そ、あの凰州」
凰州は東方にある島国だ。小さな島国ながらも一つの国家を形成し、独自の文化を発展させている……らしい。
らしいというのは、凰州が鎖国状態にあるからだ。
何年も前から凰州は外国に対して閉鎖的になっている。開かれている港は一つだけで、限られた国と限られた品物しか貿易を行っていない。なので中の様子を知ることが出来ないでいるのだ。
凰州についてはいろいろな噂が飛び交っている。
昔、父が贔屓にしている商人が持ってきた絹の織物を見せてもらった時は、とても綺麗で、こんなものを作れる国はさぞや美しいんだろうな、と子どもながらに思ったのは今でも覚えている。
ユキト君はその凰州の出身。
「たまに凰州からの脱国者がいたりして、ここもそういった人たちが住んでる。ユキトも同じように流れ着いた口よ。一応五年前らしいわ。さすがに詳しくは知らないけど」
「脱国者って……凰州ってそんなひどいとこなんですか?」
「うーん……凰州人の知り合い少ないし、過去は詮索しないのがわたしの主義だからねぇ……よくわからないわ。でも、凰州人の難民が盗賊行為をしている話は無きにしもあらず。まあ、盗賊なんて万国共通だしね。凰州人がどうってわけじゃあないけど」
「えっと」アニエが右手を軽く挙げて、口を開いた。「その最初の二年は何してたんです? あいつ……じゃなくてユキトは」
「修業じゃないかしら。師匠がいたし」
「師匠?」
「ダンジョンメイカーとしての師匠よ。ユキトはもともとめちゃくちゃ強かったみたいから、戦闘は教える必要なかったみたいだし。……まあ、師弟ていうよりは親子みたいだったけど。あの二人」
「その人って……今は」
「死んだわ。開拓地で」
ユフィンリーさんは即答した。なんの躊躇もなく。それは冷徹だと思ってしまうけれど、同時にユキト君の師匠ですら死んでしまう、これがダンジョンメイカーなんだと改めて思い知らされた。
だけどユフィンリーさんはそれで口を閉ざさず、話を続けた。
「あの子の前で、沢山の人が死んだわ。それこそ、あの子の心がへし折れそうなくらい」
そう呟くように言ったユフィンリーさんの顔はとても悲しげだった。痛そうでもあった。悲痛。そんな表情だった。
しかし、徐々にユフィンリーさんの表情が優しげなものに変わる。
「だから貴方たちには感謝してるの」
わたしも含めて、アニエもリュカも言葉の意味がよく解らず首を傾げた。
「でも……感謝するのはわたしたちのほうで……」
そう。今回の探索は感謝することはあっても、感謝されることなどはない。あの場にユキト君がいなければ、きっとシエルたちは金狼の餌食だっただろう。それよりも前に、鎧殻蟲か、下手をすればオークにすら殺されていたかもしれない。
そんな、非力だったわたしたちに。しかもどうしてユフィンリーさんが感謝するのか。解らなかった。
「あの子を知る人はきっと皆貴方たちに感謝するわ。貴方たちはほとんど怪我もなく帰ってきてくれた。金狼という接触禁忌にまで指定された化け物と遭遇して。あの子が多分、初めて守れたと実感できる命……それが貴方たちよ。だから……」
ユフィンリーさんは、
「ありがとう」
そう言って深々と頭を下げた。
「そんな……わたしたち……!」
「頭上げてください。そんな大したことしてないのに……」
「そうだよ、逆に心苦しいよ」
ユフィンリーさんの行動に困り果てたわたしたちはなんとか頭を上げてもらおうとする。しばらくして、正直気分的には永遠よりも永く感じたけれど、ユフィンリーさんは頭を上げてくれた。
シエルはほっとすると同時に、その目尻に涙が浮かんでいることに気付いた。そして思う。――ああ、この人はユキト君がとても大切なんだな。
決して冷徹なんかじゃない。優しい女性なんだ、と。
ユフィンリーさんは目尻に溜まった涙を人差し指で掬いながら、再び開口する。
「仮に……仮にこの先あの子との縁が続くのなら、あの子のことを気にかけてあげて。貴方たちはあの子にとって救いのようなものだから」
「救いだなんて……」
「意味は解らなくてもいいわ。貴方たちが生きていてくれる。それだけであの子は救われるわ。だから……」
ユフィンリーさんは歩きだす。扉に向かって。まるでお伽話の世界に迷い込んだ少女が出口を見つけたみたいな、軽やかなステップを踏むように。
そして立ち止まって、振り返る。
その表情は。
「――ユッキーをお願いね?」
大人のお姉さんでも、ギルドマスターとしての顔でもない。とてもあどけない、無垢な乙女の笑顔だった。
わたしたちは、ユフィンリーさんに何かを託された。
確証はない。
でも確信はあった。
それはきっと大切なものだ。ユフィンリーさんにとっても、わたしたちにとっても。大事にしなくてはならないと思った。
シエルはだから、無言ではあったが大きく頷いた。
ユフィンリーさんはそれを受け取ってくれたみたいで、
「話はそれだけ。ありがとうね、付き合ってくれて」
そう言いつつ今度はまた大人のお姉さんといった笑みを浮かべて、「bye.」と手を振って去っていった。ちょっとかっこいいと思った。ああいう風になれる気は全然しないけど、憧れてしまう。
部屋に静けさが訪れる。シエルはもう一度ユフィンリーさんの言葉を思い返す。
王都に辿り着いて二ヶ月目にして、ようやく何かが始まりを告げたような、そんな気がした。