第6話 水の底へ
作業は夜中に行うことにした。
昼間は人目がある。ドラグの連中もどこかで見張っているかもしれない。橋脚の真下に人が潜っていれば目立つ。夜の方が安全だった。
日が落ちてから、一行は橋の下へ向かった。
オットーが先頭に立った。迷宮のような路地を躊躇なく進んだ。曲がって、潜って、また曲がった。やがて橋の構造の隙間から水面が見えた。石段が水際まで続いていた。人気がなかった。水の音だけがしていた。
「ここじゃ」オットーが言った。「あの橋脚の根元じゃ」
ゲオルグは水面を見た。暗くて底が見えなかった。水面に橋の灯りが揺れていた。流れがあった。緩やかに見えたが、橋脚の周囲では渦を巻いているはずだった。
「深さはどのくらいだ」
「今の水位なら……」オットーが首を傾げた。「四、五尋といったところかの。普通なら六尋はある」
ヒルデが横で計算していた。「四尋で約七メートル。五尋で九メートル弱」
「潜れるか」エーリックがゲオルグを見た。
「やってみないと分からない」
────────────────────────────────────
準備を始めた。
エーリックが太い縄を橋脚に結んだ。命綱だった。ゲオルグの腰に結んで、引けば引き上げられる長さを確認した。
ヒルデが蝋板を用意した。平らな板に蝋を均一に塗ったものだった。碑文に押し当てれば輪郭が蝋に残る。それを水面に持ち帰る。
「これを腰に縛り付けてください」ヒルデがゲオルグに渡した。「両手が使えるように」
「重りはどうする」ゲオルグが言った。「流れがある。潜ってもすぐ押し流される」
「それじゃ」オットーが路地の端から石を転がしてきた。「重りじゃ。ロープを結んで沈めれば、それを伝って潜れる」
エーリックが石にロープを結んだ。ゲオルグが確認した。石の重さを持ち上げて確かめた。十分な重さだった。
「順番としては」ヒルデが言った。「まず重りの石を沈める。ロープを伝って潜る。橋脚の根元に到達したら蝋板を押し当てる。輪郭が取れたら命綱を二回引く。エーリックが引き上げる」
「簡単に言う」エーリックが呟いた。
「簡単ではないわ」ヒルデが答えた。「でも他に方法がない」
オットーがニヒヒヒと笑った。「兄さんならできるわい」
ゲオルグは上着を脱いだ。
────────────────────────────────────
まず重りの石を水に沈めた。
ロープがゆっくり引き込まれていった。石が橋脚の根元に向かって沈んでいく。ロープが張った。固定された。
ゲオルグは水際に立った。水面を見た。暗かった。流れが足元を撫でていた。
深く息を吸った。もう一度。もう一度。肺に空気を溜めた。
水に入った。
冷たかった。しかし慣れていた。全身が水に包まれた。ロープを掴んで引き手繰りながら沈んでいった。
流れが強かった。橋脚に近づくにつれて渦が体を引いた。ロープがなければ流されていた。手を滑らせないように握り締めた。
暗かった。
水面の灯りが遠くなった。耳に圧力がかかった。下に、下に。ロープを手繰った。腕が痛かった。
何かに触れた。
橋脚の石だった。苔が生えていた。ぬるぬるしていた。手で探った。石の面を確認した。下に向かった。さらに下に。
肺が痛くなってきた。
焦らずに。テレジアのことを考えた。エルザのことを考えた。
指先に何かが触れた。
凹凸だった。
石に刻まれた文字だった。
ゲオルグは蝋板を取り出した。暗くて見えなかった。見えなくていい。押し当てるだけでいい。凹凸を確認しながら蝋板を石に当てた。手のひらで押した。全体に圧力をかけた。
肺が限界に近かった。
もう少し。もう少しだけ。
蝋板を引き剥がした。命綱を二回引いた。
上から力が来た。
────────────────────────────────────
水面に出た瞬間、空気が体に入ってきた。
ゲオルグは石段に手をかけて体を引き上げた。エーリックが腕を掴んで引っ張った。石段に倒れ込んだ。
「大丈夫か」エーリックが言った。
答える前に息をした。何度も息をした。
「取れた」ゲオルグが蝋板を差し出した。
ヒルデが受け取った。ランプを近づけた。蝋板に刻まれた輪郭を確認した。
沈黙があった。
「ある」ヒルデが言った。声が少し震えていた。「文字がある。全部ではないかもしれないけど……ある」
「読めるか」
「今は無理。ランプの光では足りない。でも……」ヒルデが蝋板を胸に抱えた。「明日、光の下でちゃんと見ます」
オットーがゲオルグを見た。
「ニヒヒヒ」老人が笑った。「やるのぉ、兄さん」
エーリックが黙ってゲオルグの背中に上着をかけた。
ヒルデはすでに蝋板の横で紙を広げていた。ランプを手に持って、蝋の凹凸を斜めから照らしながら羽根ペンを走らせていた。蝋板の写しと紙への書き写し。二重の記録だった。
ゲオルグは石段に座ったまま、しばらく水面を見ていた。
橋の下でカナルが流れていた。暗い水の底に、四十年間誰かを待ち続けていた石があった。
オットーが隣に座った。
「怖かったか」老人が聞いた。
「少しな」ゲオルグが答えた。
「わしも怖かったわい。四十年前」オットーが水面を見た。「渦に巻かれて、もう終わりだと思った。そこで見えたんじゃ。暗い水の中で、文字が光っているように見えた」
「光っていたか」
「そう見えた」オットーが笑った。「今度はどう見えた」
ゲオルグは少し考えた。
「暗かった」
「ニヒヒヒ」オットーが笑った。「正直じゃのぉ」
ヒルデが紙から目を上げずに言った。「写し終わったらイボンヌの店に戻ります。温かいものを食べてください」
エーリックが縄を巻きながら言った。「イボンヌが待ってるな」
「オットーじいさんの王妃候補が」ヒルデが呟いた。
「失礼な」オットーが言った。「正式な王妃候補じゃ。ニヒヒヒ」
水の音がしていた。




