0話 継承の戦役
メーレスブルグの名を冠する新しい物語です。
継承の戦役より十二年前――。
ドラグ王国の先王カジミールは優れた君主であった。その治世において王国は安定し、民は豊かであった。しかし先王には一つの懸念があった。広大な領土を治めるには、自らの手が足りなかった。
先王は弟ヴラジミールに方面軍の指揮を委ねた。
ヴラジミールは誠実な人物であった。軍功を求めたわけではない。ただ兄の役に立ちたかった。それだけの人間であった。
その幕僚としてラドスラフが現れたのは、継承の戦役より九年前のことである。
有能な参謀であった。
ヴラジミールが向かう先々で、敵の連携が不思議なほど乱れた。周辺部族は団結できず各個に撃破された。ヴラジミールの軍功は積み上がった。ドラグ王国の版図は広がった。
しかし版図の拡大は思わぬ歪みをもたらした。
併合された領地から、人種も宗教も言語も異なる貴族たちが次々と議会に加わった。
かつては先王の人柄を知る者たちが集う場であった議会は、いつしか共通の言葉さえ持たぬ者たちの集合と化した。
継承の戦役より六年前。先王カジミールが急逝した。
自然死であったか、否かは今も定かではない。
王妃の産んだ嫡子アルブレヒトは若く、顔を知らぬ貴族が多かった。
折悪しく、王妃の懐妊の期間を巡る噂が広まった。根拠は薄かった。しかしその噂は丁寧に、静かに、各所へ届けられた。
誰も嘘はついていなかった。ただ、事実が最も都合よく並べられた。
議会は割れた。
軍功高く誠実と名高いヴラジミールを支持する声が日増しに大きくなった。
ヴラジミール本人がそれを望んでいたわけではない。しかし気づいたときには既に遅かった。
孤立したアルブレヒトは外国の力を借りることを選んだ。
マルクハイム王国とアルヴァン王国に救援を求めた。
――外国の傀儡。
その言葉がアルブレヒトに貼りついた。これもまた、丁寧に届けられた言葉であった。
継承の戦役より四年前。ヴラジミールが戴冠した。本人の意思とは、ほとんど関係のないところで。
継承の戦役、開戦。
アルブレヒトはドラグ南部の城塞に籠もり、旗を掲げた。
応じてマルクハイム・アルヴァン連合軍が国境を越えた。地元の兵も加わり、アルブレヒト軍はドラグ王都に向けて進軍を開始した。
これを迎え撃ったのはラドスラフ率いるドラグ国軍であった。
ヴラジミールはラドスラフに命じていた。戦闘は避けよ。アルブレヒトに真意を聞け。血を流す前に話し合いの場を設けよ、と。
しかしラドスラフはその命を、正確には実行しなかった。
ドラグ国軍は押されるように後退した。一歩、また一歩と。アルブレヒト軍は勝利を重ね、前進した。連合軍の戦線は伸びた。補給線は延び、司令部は前方へと移動した。
マルクハイム第三王子が総司令部を前進させたのは、勝利の勢いに乗ってのことであった。
護衛はハルトマン伯爵家の騎士団が務めた。
転機は、カナルの曳舟道で起きた。
ドラグの兵が一人の男を引き立てていた。マルクハイムの商船船長であった。海賊の容疑とされた。公開処刑は曳舟道で執り行われた。多くの兵士の目の前で。
その光景を見た連合軍の一部が、陣形を乱した。義憤に駆られた者たちが前に出た。制止の声が間に合わなかった。
その瞬間、一本の矢が飛んだ。
流れ矢であったか。あるいは意図された一射であったか。
マルクハイム第三王子が倒れた。
同時であった。後方連絡線が途絶した。報告が届かなくなった。補給が止まった。
カナルの方角から、多数のドラグ兵が現れた。曳舟道を走ってきた者たちではなかった。カナルの側道に静かに降り立った兵たちであった。伸びきった連合軍の背後に、側面に、次々と現れた。
連合軍は寸断された。各部隊は互いの位置を把握できないまま、それぞれに叩かれた。
アルブレヒトは九死に一生を得た。
側近の決死の働きにより包囲を突破し、アルヴァン国境まで退いた。
戦線はドラグとアルヴァンの国境付近まで後退し、そのまま停滞した。
アルヴァン国内にアルブレヒトの亡命政府が樹立された。
ハルトマン伯爵は護衛の任を果たせなかった罪を問われた。その詳細については、ここに記すことを要しない。
ヴラジミールが戴冠したのは、すでに述べた通りである。
――これが後に継承の戦役と呼ばれる争乱の経緯である。
なお、この戦役において最も多くを得た人物が誰であるかについては、歴史家の間で今も議論が続いている。
今回は、テレジアが暗躍する戦乱の物語ですが。主人公は別の人です。
注意:この世界は秘録と同じキャラが出てきますが、多国間の戦争を描く都合上、メーレスブルグの立場が少し違います。その事はご容赦いただきますようにお願いいたします。




