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マルチ商法に勧誘された時の話

※この文章は読み返してあまり出来よくないと感じ、没にする予定でしたが、書き直すのは不可能だったのでこのまま記念として掲載します。


 

 これは今から十五年近く前の話だ。私は工場でアルバイトしていた。二十代前半で、なんとなく鬱屈していた。

 

 アルバイトの内容はトラックに積み込む荷の整理で、配送から帰ってきたトラックの荷の片付けをしたり、ピッキングをしたりしていた。

 

 トラックの運転手とはほとんど話さなかったが、その中で一人、寡黙で、強面のスキンヘッドの中年男性がいた。

 

 きっかけは偶然で、バイト終わりに帰ろうと駅に向かうと、スキンヘッドの運転手がベンチに座っていた。うらびれた駅でまわりには誰もいなかった。私が階段を降りると、こちらを向いた運転手と目が合い、なんとなく雑談をする流れになった。

 

 どういう話をしたのか覚えていないが、話しているうちに「今度、バーベキューパーティーをするから来ないか?」と誘われた。私は暇だったし、若く、好奇心があったので「じゃあ、行きます」と答えた。私はよく知らないバーベキューパーティーに参加する事になった。

 

 結論から言えばそのパーティーがマルチ商法の勧誘だったわけだが、私がそれに気づいたのはパーティーに参加してしばらく経った後だった。これについては後述する。

 

 私は右も左もわからない社会に出たての若者として、よくわからないバーベキューパーティーに参加する事になった。当日、指定された場所に行くと、私を待っていたのは、私を誘った運転手と、サングラスをかけた中年の女性だった。

 

 私は車については詳しく知らないが、車は高級車らしかった。中年の女性はサングラスをかけて、運転席に座っていた。私は挨拶して、後部座席に乗り込んだ。その女性はいかにも金持ちという雰囲気だった。助手席には私を誘った運転手が座っていた。

 

 パーティー会場に行くまでに、ひとり道中で拾った。若い女の子だったが、私はそれほどの印象がない。

 

 車で移動している間、何か話したはずだったが、緊張していたのか、内容を覚えていない。車は走り続け、一時間弱で、キャンプ場になっている河原についた。河原はひらけており、川の水は澄んでいて、今思い出して良い場所だったような気がする(どこなのかは覚えていない)。

 

 キャンプ場につくと、集団で水遊びをしたり、バーベキューを食べたり、肉を焼いている人からハンバーガーをもらって食べたりした。大人の普通の遊びという感じだった。

 

 私は人見知りでどうすれば良いかわからなかったが、私を誘った運転手と、車を運転した中年の女性と一緒に行動していた。

 

 バーベキューパーティーについて事細かく書く事はほとんど意味がないのでこれくらいにしておく。ただ、今思えば、あそこにいたメンバーはみんなマルチ商法の仲間達だったのだなと思うと不思議な気持ちになる。

 

 普通の親子連れもいて、小学生か中学生の女の子なんかもいた。マルチ商法のメンバーの娘に生まれるというのはどういう人生行路になるのだろうか、と後で考えたりもしたが、その時はただ普通の家族の普通の娘さんという感じでしかなかった。

 

 それから中国人の女性と話したのも記憶に残っている。中国人と話したのはこれまでの人生でその一度きりだ。話していると中国人らしいというか、思っている事を正直に言い、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、態度がはっきりしていて、割り切れば中国人というのは付き合いやすい人達なのかなとその時考えたのを覚えている。

 

 さて、私がこのような形で昔話を引っ張り出したのは、上記のような雑事について書きたいためではない。私がこのエッセイで触れたかったのは、マルチ商法のグループの中核にいると思しき、ある夫婦についてである。

 

 その夫婦の名字は長い間覚えていたのだが今は忘れてしまった。ただその夫婦の奥さんの方は、私が乗ってきた車の運転をしていた中年の女性だった。

 

 この夫婦が特に印象に残ったのは、一通り食べたり遊んだりも済んで、みんなで椅子に座って雑談をしていた時だった。私は、このグループがマルチ商法だとはわかっていなかったものの、なんとなく特殊な、普通ではないグループ、というのはどことなく察知していた。

 

 メンバは総勢二十人か、三十人だったか、とにかくそれなりの数がいたのを覚えている。

 

 話が始まると自然とそのグループの中心となったのが、その夫婦だった。私は輪の端でみんなの雑談を聞きながら、この夫婦がグループの中核であり、心臓だと直覚した。

 

 私が覚えているのは、夫婦の、奥さんの方が「旦那よりも私が先に死にたい」と言った事だった。旦那の方はそれを否定して「いやいや、自分の方が先に死ぬよ」などと言っていた。私はこの二人が極めて深い絆で結ばれているのを感じた。

 

 ところが、この事は後から、このグループがマルチ商法をしていたという事実を知ると、単なる素敵な夫婦愛というものとは別個の意味を持つようになった。

 

 私が夫婦のやり取りを見て、また後から考えたのは、この夫婦は極めて強い絆で互いに繋がっており、また彼らは強いカリスマ性(これについては後述する)とリーダーシップで、マルチ商法の中核として機能しているが、同時に彼らは自分達のしている事が悪だとも気づいている、という事だった。

 

 あくまでも私の印象だが、この夫婦は、自分達が悪を為していると気づいていながらも、同時に悪という背徳的な、社会に背を向けた行為に邁進する事により、ますます悪にはまり込んでいるお互いを強く愛し合うようになっているのではないだろうか。


 自分達が悪を為して、世界に離反しているという意識が、世界から離れた互いを強く結びつけるように作用する。世界から離れるほどに、孤独な二人の仲は強まる。そうした関係に私は感じた。これはもちろん、グループがマルチ商法だと気づいた後で、私がその時感じた事を含め、後から総合的に下した判断だ。

 

 今、私はこの夫婦の「カリスマ性」について言及したのだが、これについても説明する必要があるだろう。

 

 私がこれまでの人生で、もっとも強いカリスマ性を感じたのはこの夫婦だった。私は他にも、天才的な才能を持った人や、特殊な資質を持った人と出会った事があるが、ことカリスマ性というものについてはこの夫婦は傑出していた。

 

 私は旦那の方と、みんなで輪になって雑談をする前に一対一でやり取りをしていた。その時はほんの数分話しただけだったが、私は相手に強い印象を持った。

 

 旦那は私に「将来どうしたいのか?」と質問した。私は「文章を書きたい、作家になれればいい」というような事を言った。それに対して、旦那の方は「作家になりたいのなら、色々な経験を積んだ方がいい」というようなアドバイスをした。

 

 このアドバイス自体はどうという事はない普通のものである。ただその時、私が感じたのは(この人は本当にこちらの事を考えてアドバイスしてくれているんだな)というものだった。その口調や態度からそう感じた。

 

 例えば、世の中の普通の人に人生相談などをしても、たいていは投げやりな適当な答えが返ってくるだけだ。ほとんどの人間は他人に興味はないので、他人の問題を我が事として真剣に捉える人間はまずいない。

 

 ただ私がその人と話して感じたのは(この人は本当に自分の事を心配して言ってくれているんだなあ)という事だった。それが表情や態度から伝わってきた。

 

 今思えば、こうした包容力で、あのマルチ商法のグループを彼がまとめていたのだろうと思う。

 

 みんなで雑談をしている時は私はそこがマルチ商法のグループだとは知っていなかったが、ただそれでも私は、ここにいるメンバーが夫婦のカリスマ性に魅了された人々なのだとその時には考えていた。そういうものを直感した。

 

 ※

 夫婦の夫に関して言えばそうした印象だったが、奥さんの方には、帰りの車の中で非常に強い印象を持った。それはやはり、旦那と同じタイプのカリスマ性である。

 

 その時の印象は今も強く自分の中に残っている。帰りの車は、行きで来たのと同じメンバーだった。奥さんが車を運転していて、残りが、トラックの運転手、私、若い女性だった。

 

 帰りの車の中で雑談をした。行きとは違って、私も緊張が解けていたのし、なんとなくみんなの心が開いていたので行きよりも話が弾んだ。

 

 そこでどういう話をしたのか、ほとんど覚えていないが、ただ四人で話す中で、私は自分の心が、主人に撫でられたい犬のようになっているのに途中で気づいた。

 

 私が頭を撫でられたい相手というのは、運転をしている奥さんだった。もちろん私はその日にその人と会ったから、気安い相手ではない。また相手も馴れ馴れしい口調ではなく、ごく普通のトーンで話しているだけだった。

 

 それでも話しているうちに、(気に入られるような事を言って、この人によく思われたい)と願望している自分に気づいた。ごく自然にそうなっていた。

 

 随分昔の話なのでこれについての分析は難しいが、その夫婦に共通するカリスマ性の源泉はなんだったろうか、と今考えてみると、二人に共通していたのは、相手の存在をまるごと受け止めるような、そうした会話術だったように思う。

 

 これに関してはなんとも説明しようがないが、普通の人は極めて外面的なキャッチボールを言葉で交わすだけである。相手はこちらに興味なし、こちらも相手に興味なし。仕方なしに共通の話題をみつけてなんとか盛り上がるといった風だ。

 

 それに対して、奥さんとの会話は、「ああ、あなたはそういう人なの、わかったわ」という感じで、こちらの存在がまるごと飲みこまれてしまうような感覚だった。「あなたがどういう人であろうが、とにかく、あなたはそうなのね」とはっきり相手の存在を認可してあげるというような雰囲気があった。

 

 それは旦那と共通した、ある種の包容力だったように思う。そうした雰囲気の為に、私は(この人に気に入られたい)という気持ちを抑えられなかった。

 

 また、その時の談話として私が微かに記憶しているのは、奥さんの方が「今度、みんなでフォアグラを食べるからあなたもおいでよ」と私に言った事だった。今考えるとそれはマルチ商法の勧誘だったわけだ。

 

 その時の私の印象はそういうものだった。私はあのようにカリスマ性のある人物にあの時はじめて出会ったし、その後にはただの一人も会っていない。

 

 ※

 バーベキューパーティーはそれで解散したのだが、これには後日談がある。後から、私は、私を誘った運転手と、もうひとり、グループにいた中年の男性の二人に、近所のファミレーレストランに呼び出された。0時くらいだった。

 

 軽い雑談の後、カタログが机に置かれて、中を開くと浄水器だの何だのが見えた。それで私はやっとこのグループがマルチ商法のメンバーだと知った。

 

 二人は私を勧誘しようとしていたが、私にとっては二人は全く怖くなかった。というのは、あのカリスマ性のある夫婦のどちらか一人でも来ていたら、私はおそれをなして逃げ出していただろうが、二人にはそのような力はなかったので、私はなんとも思わなかった。私は適当に断って家に帰った。

 

 その後は、工場のアルバイトにいつも通りに行ったのだが、私は私を誘った運転手に話をつけて、もう二度と自分はあのような会には出ないとはっきり言った。それを言う時には緊張したのだが、相手はあっさりと認めてくれた。それで私は、マルチ商法のグループとは完全に縁が切れた。

 

 ※

 こうした昔話を長々と書いて、私が何を言いたかったか、あるいは何を自分の中で整理したかったかと言うと、一般に新興宗教、カルト、マルチ商法のようなグループは、頭の弱いだめな人間が入るもので、ほとんどの正常な人はそこに入るはずがない、という世間的な通念に対する疑義を呈するためだ。

 

 その事とも通じるが、私は今でも心のどこかで、あの夫婦をリスペクトしている。あの夫婦は普通の人とは違い、会話をしていて、本当に自分の側に立ってくれていると感じたし、普通の人との表層的なやり取りとは違う何かがあった。

 

 それではあの夫婦は素晴らしいのかと言うと、そうではない。彼らはマルチ商法を行い、高級車を乗り回し、良い家に住んで、自分達は幸福だという姿を見せつけ、他人を騙す悪行をしていた。

 

 だから私の中では夫婦に対する印象と、彼らが実際にしていた事とが二つに分裂してしまって、収集がつかなくなっている。とはいえ、無理にこの印象を収集してひとつのわかりやすい、ステレオタイプな価値観で結論付ける事もないだろう。優れた才能が悪事に加担する事はあるし、進んで悪に身を染める事もあろう。

 

 おそらくは間違っているのは世間的な通念の方ではないのか。つまり、悪に加担するものは劣っているものだと無意識的に決めつけたがる我々の習性の方である。世界の複雑さをそのまま許容できればステレオタイプな価値観は必要ない。

 

 私が体感したマルチ商法に勧誘した経験とは以上のようなものだが、これでもって言いたい事は、こうしたグループというのをあまり甘く見ない方がいい、という事だ。

 

 私自身で言えば、あの頃の私は、奥さんのカリスマ性に「持っていかれ」そうになったが、とはいえ、そういう自分を意識して、(この人から逃げなければ)と思えるくらいの理性はあった。マンガが好きな人は、「ジョジョの奇妙な冒険」でディオから逃げ出すアブドゥルを想像してもらうといい。

 

 あの時の私は(逃げるべきだ)と思ったのだが、後から振り返ると、あのバーベキューに参加していた人の多くは夫婦のカリスマから逃げられなかったのだなと思う。そして、ごく普通の人がああしたカリスマ的な魅力に無意識的にやられてしまう、進んで彼らの精神的支配下になるという事は十分ありうる話だ。


 あえて分析するなら、彼らは私のように「逃げる」事すらできなかったのだろう。彼らは、自分達の精神が目の前の人に屈服しているという意識もないままに屈服してしまったのだろう。一方で若年の私は精神力ではあの夫婦に劣っていたにしろ、少なくとも屈服している自己を感じる程度の理性はかろうじて持っていた。それ故に彼らの呪縛から逃れられのだろう。


 こうした事は関係のない人は笑って見ていられるだろうが、私は多くの一般人は、単に弾丸が自分に当たらなかったという理由だけで、弾丸の威力を軽視しているような状態ではないかと思う。弾丸を弾き飛ばす力があるからそうしたものを馬鹿にしているのではなく、たまたま自分に当たらなかったという理由だけで、それらが自分とはまるきり関係のない、低位のものだと見下しているだけではないのか。


 ※

 マルチ商法に勧誘された話は以上で終わりである。私が書きたかったのは私が出会ったカリスマ的人格についてだ。歴史を考えても、カリスマ性というのがそんなに素晴らしいものだとは思えない。毛沢東やヒットラーはカリスマだったが、害の方が多かった。逆に天才というのはカリスマ性がない人も多い。カリスマに魅了される気持ちは私自身も体感したのでわかるが、それほど高く評価すべきものではないと思う。


 ちなみにこのマルチ商法グループは、一部業務停止命令が出たようだが今も存続している。マルチ商法のグループとしては巨大なもので非常に有名だ。彼らの健康が今も続いているのなら、私を勧誘したグループもまた活動し続けているだろう。


 注:おそらく、この文章を読んだ人は、「その夫婦が相手の立場に立っていると感じたというが、それはそう演技していただけでは?」と疑う人もいるだろう。


 しかし若年の私とはいえ、演技していたらすぐに気づいただろう。それに、ああしたカリスマ性というのは安い演技から生まれてくるものではない。ヒトラーのような人間が恐ろしいのは彼が自分の言っている事を本気で信じ込んでいたからであり、それ故にあれほど多くの人間が狂熱に取り憑かれたのだ。



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