9 食材買い出し
俺たちは近所のスーパーに到着し、野菜売り場をぐるぐると見て回っていた。
カートを押す遥香は、半額シールを求めて目を光らせている。
俺はエコバッグ(予備付き)を手に、買い物メモを眺めていた。
「お兄ちゃん、ほうれん草が3束100円だって! 買おう!」
「いや、3束も使い切れねえよ。俺、冷蔵庫に1週間放置したキャベツすら消費できてないんだぞ」
「じゃあ、今日は野菜たっぷり鍋にしよっか! お肉も入れて、ビタミンもタンパク質もばっちりだね〜♪」
「おお、頼もしいな。俺の健康管理まで任せてると、妹というより管理栄養士だな」
「うふふ、お兄ちゃんがしっかりしてくれれば、こんなに心配しなくてもいいんだけどね〜」
俺がぐうの音も出ない間に、遥香は次々と野菜をカートに放り込む。
そして、にんじんを手に取った瞬間、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「たくみん〜! こっちにもいた〜!」
「こはるん?」
エプロン姿のこはるんが、小走りでやってきた。
手に持ったカゴには、牛乳、パン、そして…なぜか光るキノコ(たぶん普通のエリンギ)が入っている。
「おつかい中?」
「うん! 店長に頼まれて、まかない用の食材買いに来たんだ〜♪」
「まかないか、今日も豪華になりそうだな」
「えへへ、今日はカレーだよ! 黒崎さんが“暗黒のシチュー”って言ってたけど、たぶんカレーだよ!」
「いや、シチューとカレーの壁は厚いよ!?」
そんな他愛もない会話をしていると、隣で遥香がキラキラした目をしていた。
「お兄ちゃん…この子、もしかして…!」
「ん? あ、紹介するよ。カフェのバイト仲間の白雪こはる。こはるんって呼んでる。」
「こんにちは〜! 白雪こはるです! こはるんって呼んでね♪」
「わぁ、かわいい…! 私、藤崎遥香です! はるかって呼んでください!」
「はるかちゃん、よろしくね〜!」
二人はすぐに打ち解けて、俺を置いて楽しそうに話し始めた。
「お兄ちゃん、こんなかわいい子と一緒にバイトしてるんだ…」
「いやいや、ただのバイト仲間だからな!」
「ふ〜ん。でも、お兄ちゃんが女の子と仲良さそうに話してるの、初めて見たかも!」
「そんなことないだろ? 俺だって普通に友達くらいいるって」
「あ、でもお兄ちゃん…この前、寝言で言ってたよ?」
「ね、寝言?」
「うん。“結衣さん…そのエプロン姿、反則ですよ…”って」
「え、誰その“結衣さん”って…?」
こはるんが、にこにこと笑顔を浮かべたまま、光るキノコ(たぶん普通のエリンギ)を摘まみ上げる。
「結衣さんってね、お兄ちゃんの写真サークルの先輩なんだよ〜」
「写真サークル?」
「そう! 結衣さんってね、サークル内でも“癒し系マドンナ”って呼ばれてるんだって。お兄ちゃん、いつも荷物持ちしてあげてるんだよね!」
「いや、それは結衣さんが撮影会のとき、機材が重いって言うからで…」
「ふぅん、“反則”だもんね?」
「いや、寝言だから! 夢だから!」
こはるんは一瞬、にっこりと笑顔を見せ、買い物カゴをぎゅっと握りしめる。
「でも、他にも言ってたよ。“結衣さん、その制服、猫耳オプションありですか…?”とか」
「俺の夢、どこでDLC買ったんだよ!?」
「ふふ、面白い〜」と、こはるんは軽く笑う。
しかし、手元の光るキノコは“じゅっ”と煙を上げている(たぶん普通のエリンギ)。
「ねえ、たくみん。結衣さんって、どんな人?」
「え、いや、普通に…優しい先輩で、カメラ越しに見る景色が好きで…」
「……そっか」
こはるんはエリンギをそっと離し、カゴを持ち上げた。
「じゃあ、私はおつかい終わらせて帰るね。お仕事があるから」
「あ、こはるん…」
「たくみん、バイト頑張ってね♪」
こはるんは軽やかに手を振り、スーパーの奥へと消えていった。
彼女の足元には、光るキノコが一つ転がっていた(たぶん普通のエリンギ)。
「お兄ちゃん、モテモテだね〜!」
遥香は完全に面白がっている。
「ほら、こはるんさんも結衣さんも、どっちもかわいいから迷っちゃうよね〜」
「だから迷ってない! ていうか、迷う状況にもなってないから!」
「じゃあ、お兄ちゃんは“猫耳オプション”も“しっぽアタッチメント”もいらないんだ?」
「そんな夢の世界みたいな装備、求めてない!」
「え〜、でも寝言では“結衣さん、そのしっぽ、ファー素材ですか…?”って言ってたよ?」
「俺、夢の中で何をオーダーメイドしてんだよ!?」
「もしかして、次は“もふもふ耳カチューシャ”とか“ふわふわ肉球グローブ”とか…」
「もうやめて! 俺の夢、どんだけ動物園向けDLC充実してんの!?」
遥香はケラケラと笑いながら、カートにほうれん草を詰め込む。
「お兄ちゃん、やっぱり“猫耳”派? それとも“しっぽ”派?」
「いや、そういうアンケートは実施しないで!」
「じゃあ、今度こはるんさんにも聞いてみよっかな〜。“しっぽアタッチメント、興味ありますか?”って♪」
「やめろ〜! そんなこと聞くな~!」
「ふふ、じゃあちゃんと“普通のエプロン”で満足してね〜」
「普通でいい! 俺は“普通”を全力で求めてるんだよ!」
遥香はエコバッグ(予備付き)に野菜を詰め込み、ニヤニヤと笑っている。
「でも、お兄ちゃんの“普通”って、だいたい普通じゃないよね〜」
「お前のせいだろ! 俺の夢の世界、DLCとか言われるぞ!」
「夢の追加コンテンツか〜! じゃあ、次は“異世界カフェ体験”とかどう?」
「異世界だけはやめて! もうこれ以上、現実と夢の境目が崩壊する!」
そんな俺の叫びも、遥香の無邪気な笑い声にかき消されていく。
エコバッグ(予備付き)を握りしめながら、俺はスーパーの出口へ向かった。
「頼むから、今夜の俺の夢…普通のサラダバーとかにしてくれ…」
——そう願ったけれど、次の日の寝言は、またしても「結衣さん、そのもふもふしっぽ、貸し出し可ですか…?」だったらしい。
俺の“普通”は、まだまだ遠い。