6 信じて、お願い
私、白雪こはるは、今ものすごく困っていた。
「待って〜! ダメだよ、お店に行っちゃ!」
小さなゴブリンがちょこちょこと店内へ向かって走り出す。
緑色の丸っこい背中が見えるたび、私は頭を抱えそうになる。
「も〜、私がちゃんと見てなきゃいけなかったのに!」
異世界では、誰もが恐れるドラゴンだった私。
「ドラゴンの時なら、こんなちびっこモンスター、一口で……」
いやいや、ダメ! そんなことしたら余計にバレちゃう!
「も〜、待ってってば〜!」
私は急いで店内に飛び込んだ。
だけど、ゴブリンの姿はどこにも見当たらない。
きっと、どこか狭い場所に隠れちゃったんだろう。
それよりも——店内の空気がいつもと違う。
店長は、にこにこと笑いながらマグカップを持っているけど、その手が微妙に震えている。
黒崎さんも、いつも無表情なのに、眉がほんの少しだけ下がっている。
そして、カウンター席では、たくみんが「いやいや、問題しかないでしょ!」と、いつもより何倍も大きな声でツッコんでいた。
「た、たくみん! どうしたの〜?」
私は無理やりテンションを上げて、場に割って入った。
たくみんがこちらを振り向く。
その表情は困惑と驚き、そして…少しだけ怯えているように見えた。
「こはるん!? なんか、スライムが魔石で支払ってくるんだけど!?」
「ぷるぷる〜♪」
カチコチに凍ったスライムが、椅子の上で満足げに鳴いている。
やばい、やばいやばい、これ絶対バレそうなやつだ!
「え、スライム? あ〜、これは、あれだよ!」
言いながら店長を見ると、店長はにこにこと笑顔を崩さないまま、目だけで「頑張れ」と合図を送ってくる。
黒崎さんも無表情のまま、私に視線を送るけど、その手元のリモコンは、さっきから何度も温度設定を上げ下げしている。
え、どうするのこれ!? 私だけ!? 私だけでこのピンチを切り抜けるの!?
「これはね、そう! 新しい、えっと…“ぷるぷるゼリー”なんだよ!」
「ぷるぷるゼリー?」
「う、うん! 最近流行りのね、えっと…“カスタムカラーチェンジゼリー”!」
「カスタム…?」
たくみんは眉をひそめて、まだ信じていない顔をしている。
「そ、そう! シェイクを飲ませると色が変わるの! ほら、インスタ映えとか、ね?」
「ぷるぷる〜♪」
スライムは満足げに体をぷるぷると揺らしている。
「ほ、ほら、めちゃくちゃかわいいでしょ? これは、えっと、特別なお客様だけに出してる、限定メニューというか…」
「……そうなの?」
たくみんはまだ疑わしそうだ。
やばい、やばい、もうちょっと説得力のある言い訳を…!
「えっと、あとね、このゼリーは、“インタラクティブ対応”なんだよ!」
「インタラクティブ対応?」
「そ、そう! 例えば、こうやって…」
私はスライムの前で手をひらひらと振ってみせる。
「ぷるん♪」
スライムは嬉しそうに体を揺らし、ちょこんと跳ねた。
「ね、反応するでしょ? すごいでしょ〜!」
「いや、確かにすごいけど…これ、ゼリーの域超えてない?」
「大丈夫、大丈夫! 最近のスイーツは、ほら、生感が大事だから!」
店長も無理やり笑顔を保ちながら、妙なフォローを入れてくる。
「……問題ない。」
黒崎さんも、無表情のまま小さく頷いている。
でも、リモコンを握る手は少し震えてる気がする。
お願い、お願い、どうか信じて、たくみん…!
その時——
「マオウサマ〜♪」
小さな声が、店内に響いた。
「え?」
たくみんが驚いたようにカウンターの下を覗き込む。
しまった、ゴブリン…!
ちびっこモンスターの姿が、カウンターの影からひょこっと顔を出している。
大きな黄色い目がきょろきょろと動いて、まっすぐ私を見つめている。
「……え?」
たくみんの顔から、完全に血の気が引いている。
「ち、違うよ〜! これ、あの、テーマパークの新キャラクターで!」
「新キャラ!?」
「そ、そうそう! ね、店長!」
「うん、最近の着ぐるみは、ほら、生感が大事だから。」
「いや、生感もういいです!」
たくみんは頭を抱えて、わなわなと震えている。
「ねえ、これ、夢? 俺、寝てる? それとも…異世界?」
「い、異世界なんて、そんな…ね、黒崎さん?」
「……問題ない。」
黒崎さんは真顔で言うけど、目が泳いでいる。
「いやいやいや、無理でしょ! だってこれ、ゴブリンじゃん! スライムもいるし!」
「ぷるぷる〜♪」
スライムは空気を読まずに楽しげに鳴き、ゴブリンは「マオウサマ〜♪」と元気よく手を振っている。
「え、だって、俺…ここ、普通のカフェだと思ってたのに…」
たくみんは、今まで見たことないくらい大きなリアクションで、頭を抱えながらその場にへたり込んだ。
「た、たくみん、お願い…!」
私は、なんとか場を取り繕おうと必死に笑顔を作る。
「普通のカフェだよ〜! モンスターなんていないし、スライムもゼリーだし、ゴブリンだって、ほら、着ぐるみだし!」
「いや、絶対おかしいでしょ! これ、現実じゃないでしょ!」
「た、たくみん、お願い、信じて…!」
私は手を伸ばし、たくみんの肩に触れる。
「私、まだ…一緒にバイトしたいの…」
「こはるん…?」
たくみんの戸惑った声が、胸にじんと染みる。
お願い、お願い、どうか…!
「ぷるぷる〜♪」
カチコチのスライムが、場の空気を読まずに楽しげに鳴いた。