4 異世界ゲート
「黒崎さん、その包丁…なんか、呪われてません?」
「……」
黒崎さんの動きが、ピタリと止まった。
包丁を握ったまま、キャベツを半分切りかけの状態で、振り向く。
「これは…えっと…アンティーク風…包丁です。」
「……え?」
「流行りだと聞いた。アンティーク風。」
「いや、風っていうか…完全に“闇の鍛冶師の作品”みたいな見た目ですよ!?」
黒崎さんは黙ったまま、ゆっくりと包丁を下ろす。
背中から、得体の知れないオーラが滲み出ている気がする。
「……すまない。」
「え、謝らないでください!? 何も悪くない…はず…?」
この店、やっぱり普通じゃないよな…!?
*
落ち着け、俺はただのカフェの厨房担当だ…。
俺、黒崎は、目の前のキャベツに集中していた。
「ふっ…えいっ…」
包丁を握りしめ、リズムよく野菜を切る。
異世界では「漆黒の死神」と恐れられたこの腕も、今はただの料理人の腕だ。
店長が言っていた。“人間界では普通にやるんだ”と…。
普通、普通。
普通にキャベツを切って、普通にまかないを作るだけ。
でも、包丁から出る「ダークオーラ」はどうしても抑えられない。
いや、これも普通のことだ。異世界では、みんなこうだ。
たくみんは、まだ俺たちの正体を知らない。だから、普通に…普通に…
「黒崎さん、その包丁…なんか、呪われてません?」
――――ッ!
俺の動きが止まる。
「これは…えっと…アンティーク風…包丁です。」
どうだ、この自然な返答は。
普通だ、普通に聞こえるはずだ。
「いや、風っていうか…完全に“闇の鍛冶師の作品”みたいな見た目ですよ!?」
嘘をつくのは苦手だ…。だが、店長が“普通に”と言ったのだ。
俺はゆっくりと包丁を下ろし、たくみんを見つめた。
「……すまない。」
なぜか、謝ってしまった。
「え、謝らないでください!?」
たくみんの声が少し震えている。
……やはり、俺は“普通”が難しいのか?
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
*
黒崎さんとたくみんが厨房で何やら話している間に、私はそっとバックヤードに向かった。
「落ち着かなきゃ…普通に、普通に…」
モップを握りしめ、できるだけ自然に振る舞う。
店長も「掃除は心を整える」って言ってたし、今はとにかく目立たないようにしないと。
「えっと、たしかここにも掃除道具が…」
棚の奥をゴソゴソ探していると、古びた木箱が出てきた。
複雑な模様が彫られていて、まるで魔法陣みたいなデザイン。
「んん?お弁当箱にしてはゴツいなあ…」
私はモップの先で木箱をトントンと軽く叩いてみた。
すると、箱がピカッと光った。
「え、光るお弁当箱?」
中央に小さなボタンが浮かび上がっている。
ダメだ、これは絶対に押しちゃいけないやつ。でも、手が勝手に――
「えいっ!」
ポチッと押した瞬間、木箱のふたがガタガタッと震え出した。
「わっ、え、なにこれ!?」
モップを構えたまま、じりじりと後ずさる。
箱の隙間から、紫色の煙がもわもわと漏れ出してきた。
「え、これ…やばいやつじゃない?」
煙はゆっくりと空間に広がり、壁際の古い鏡みたいな装置に吸い込まれていく。
「まさか…これって…」
鏡がパリンッと音を立て、空間がズブズブと穴のように開いていく。
渦を巻くその穴は、どう見ても異世界ゲートだ。
「店長、『封印してるから大丈夫だよ〜』って言ってたのに!?」
モップを抱え、思わず後ずさった。
「えええ〜!? これ、触っちゃダメなやつだったかも〜!」
私はモップで必死に木箱のふたを押さえ込む。
「閉じて〜!お願い、普通に戻って〜!」
でも、渦はますます大きくなって、紫色の煙がぽわぽわと溢れ出す。
「どうしよう、どうしよう…!」
その時、渦の中から小さな影がぴょこんと飛び出してきた。
「……グゥ?」
手のひらサイズの緑色の小さなゴブリンが、床にぽてんと落ちた。
「え、嘘でしょ…?」
ゴブリンは、こちらをじっと見上げ、にっこりと無邪気に笑った。
「マオウサマ、オムカエニキマシタ!」
「ま、魔王様!?」
頭の中が真っ白になる。
もしかして、これって店長のこと?
ゴブリンはキラキラした目で、「マオウサマ、ドコデスカ〜?」とあたりを見回している。
「だ、ダメダメダメ!来ちゃダメ〜!」
私はモップでゴブリンをトントンと押し戻そうとした。
「ほら、君は異世界に戻るの!いい子だから〜!」
「グゥ…?」
ゴブリンは困った顔をして、ぺたんと座り込んでしまう。
「どうしよう…これ、絶対にバレたらヤバいやつ!」
モップを抱きしめ、異世界ゲートの前で小さくしゃがみ込む。
「お願い、誰にも見つかりませんように…!」
渦はまだぐるぐる回っているし、ゴブリンは「グゥ…」と小さく鳴いている。
私は小さく息を吐き、ドキドキする胸をなんとか抑え込んだ。