2 バイト初日
バイト初日。
あれから数日、特に他のバイト先も見つからなかったし、
面接の最後にもらった「まかない」という言葉に釣られて、結局ここに来た。
「カフェ・オブ・レスト」は相変わらず落ち着いた雰囲気で、客の姿は見当たらない。
「こんにちは〜、今日からバイトでお世話になります!」
俺はちょっと元気よく挨拶してみた。
すると、カウンターの奥から、真中店長がのんびりした足取りで出てきた。
「ああ、拓海くん、いらっしゃい。今日はよろしくね。」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「うんうん、元気があっていいねぇ。まずは簡単にお店の仕事を覚えてもらおうか。」
「はい、がんばります!」
「じゃあ、まずはお客さんが来たら『いらっしゃいませ』って言って、席に案内するんだ。」
「はい!」
「そして、万が一、お客さんが“炎を吹いた”場合は、すぐに消火器を使うんだよ。」
「…はい? いや、何を吹くんですか?」
「え? 炎だよ。ほら、たまにいるじゃない、こう…フーッて。」
店長は口をすぼめて「ドラゴンのブレス」みたいなポーズをして見せた。
「いやいや、いないですよね!? そんなお客さん!」
「そ、そうだよね!ごめんごめん、ちょっと冗談が過ぎたね。」
店長は苦笑いを浮かべたけど、あれ、今の本当に冗談なのか?
なんだろう、あんまり笑えてこないぞ…。
*
しまった、また異世界ノリを出してしまった…。
俺は真中。かつて魔王軍を率いた“偉大なる魔王”だったが、今はただのカフェ店長だ。
異世界では「炎を吹くお客さん」は普通にいた。
特に、元・ドラゴンのこはるちゃんなんて、くしゃみのたびにカウンターを燃やしていたものだ。
でも、ここは人間界。
「普通のカフェ」を目指している俺が「炎を吹くお客さん」なんて言ってしまった ら、まずいに決まっている。
なんとか誤魔化したけど、拓海くんの目が「え、正気ですか?」って言ってる。
こうなったら、彼女に助けてもらうしかない。
「こはるちゃーん、出ておいで〜。」
*
「はーい!」
元気な声とともに、ひょこっと現れたのは、小柄な女の子だった。
ふわふわのセミロングに、大きな瞳。
まるでカフェ店員と癒し系女子のハイブリットのような、ちょっと不思議な雰囲気をまとっている。
「わ〜、新しいバイトさんだ〜!はじめまして、白雪こはるです!こはるんって呼んでね!」
「あ、えっと、藤崎拓海です。よろしくお願いします。」
「たくみんだね!よろしくね、たくみん♪」
「…もうあだ名ついてるの!? 早くない?」
「うん、だって友達になりたいから!」
「いや、そんな即決!? 逆に怖いわ!」
こはるんはニコニコと無邪気に笑っている。
俺は少し引いてしまったが、これぐらい元気な子が一緒なら、バイトも楽しくなるかもしれない。
「じゃあ、こはるちゃん、拓海くんに仕事を教えてあげてくれるかな?」
「はーい!じゃあ、まずはお冷をお客さんに出してみて!」
「お、おう。」
俺はこはるんに渡されたトレーに、お冷を乗せて立ち上がった。
とりあえず、カウンターに運んでみるか…。
「たくみん、がんばれ〜♪」
こはるんが両手を大きく振って応援してくれる。
なんだ、普通にいい子じゃん。さっきまでの違和感も少し薄れた…その時。
「…へくちっ!」
こはるんがくしゃみをした瞬間、視界の端で光が走った。
次の瞬間、カウンターの端に置かれたティッシュの箱が、ふっと青白い炎に包まれた。
「え、燃えてる燃えてる燃えてる!!??」
「うわっ、やっちゃった!」
こはるんは慌てて、口から「ふぅ〜」と息を吹きかける。
その途端、青い炎がシュッと消えた。
…いやいや、ちょっと待て。
今、口から何か出てなかった? いや、完全に出てたよね? 炎だよね?
「こはるちゃん、大丈夫? またやっちゃったね〜。」
「えへへ、ごめんなさーい!」
「いや、えへへじゃないでしょ!? どういうこと!?」
「こはるちゃん、ちゃんと人間界モードでいないとダメだよ?」
「はい、気をつけまーす!」
「ちょ、ちょっと待って。今の“人間界モード”って何ですか?」
店長とこはるんは、笑顔のままピタッと動きを止めた。
二人の目線が泳ぐ。
「い、いや、ほら!モードってあるじゃん?エアコンとか、ドライモードとかさ!」
「え、なにそれ、意味わかんない!」
完全に怪しい。
いや、これはもう「怪しい」というレベルを超えて、「確定」では?
*
まずい、こはるちゃん、盛大にやらかしてしまった…。
拓海くんの目が、「これ、完全にやばいカフェだよね?」と言っている。
どうにかして、流れを変えなければ。
こんなときは、あの男に頼るしかない。
「黒崎くん、まかないの準備、お願いできるかな?」
厨房の奥から、低く響く声が返ってくる。
「ああ、すぐに用意する。」
鋭い眼差し、無口な口調。
黒崎(元・暗黒騎士)は、異世界では「漆黒の死神」と恐れられた男だ。
今はカフェの厨房を担当してもらっているが、彼の料理は見た目とは裏腹に絶品だ。
「今日はカレーだ。」
*
黒崎さんが厨房に戻ると、カシャン、カシャンと包丁の音が聞こえてきた。
「おお、カレーか。いいな、まかない楽しみです!」
「うん、黒崎くんのカレーは本当に美味しいんだよ。」
そう話している間にも、厨房から「ゴォォォ…」という謎のうなり声が響いている。
「…なんか、変な音してません?」
「え? いや、気のせいだよ! ほら、換気扇が古くてね、うん。」
「いや、完全にダークなオーラ出てますけど!?」
カウンターの隙間から見えた厨房では、黒崎さんが巨大な包丁を構え、まるで魔剣を抜くように野菜を切り続けている。
その包丁から、黒い煙のようなものがほんのり立ち上っているのは、見間違いじゃないはずだ。
「え、これ、まかないって…大丈夫なやつ?」
俺は心の中で小さく叫んだ。