11 にゃんこモード
俺の意識は、甘さに飲み込まれ、ふわふわと漂っていた。
目の前には、クリームの雲が広がり、イチゴの山がそびえている。
「……ん?」
ゆっくりと目を開けると、視界には柔らかな布地と、ほのかに甘い香りが広がっていた。
「拓海くん、目が覚めた?」
その声に、俺はピクッと体を震わせる。
見上げると、そこにはサークルの先輩、優しく微笑んでいる結衣さんがいた。
「け、結衣さん…?」
「ふふ、びっくりした? さっきからずっと寝てたよ」
「す、すみません…情けないところを…」
「大丈夫だよ。ほら、まだふらふらしてるでしょ?」
結衣さんは、そっと俺の額に手を当ててくれる。
ひんやりした感触に、胸がドキリと跳ねる。
「無理しないで。今日は特別サービスしちゃうから♪」
「と、特別サービス…?」
結衣さんはふわりと笑うと、軽やかに立ち上がった。
その腰元に、ふわふわとしっぽが揺れている。
「え、結衣さん、それ…しっぽ?」
「うん、カフェの小道具だって。可愛いでしょ?」
「か、可愛いです…!」
いや、待て! なんでしっぽ!? でも、めちゃくちゃ似合ってる…!
「ほら、見て。カチューシャも“にゃんこモード”だよ♪」
「にゃ、にゃんこモード!?」
結衣さんの頭には、もふもふの猫耳カチューシャがついていた。
それはピコピコと動いていて、まるで本物の耳みたいだ。
「どうかな? 似合ってる?」
「に、似合ってます! すごく…すごく可愛いです!」
俺の心臓は、さっきまでの甘さとは違う意味で破裂しそうだった。
「ふふ、ありがとう♪ じゃあ、これもつけちゃおうかな?」
そう言って、結衣さんはおもむろに手にはめた。
それは…もふもふの猫手グローブだった。
「にゃんこだからね、これくらいしないと♪」
「にゃ、にゃんこ…!」
「ほら、あ〜んして? お姉さんが甘やかしてあげる♪」
「え、そ、それは…!」
結衣さんは、ふわふわのグローブをつけた手で、俺にスプーンを差し出してくる。
その手元はもこもこしていて、でもその仕草は妙に優雅だ。
やばい、これは…夢? でも、この可愛さ…本物!?
「ほら、遠慮しないで。あ〜ん♪」
「あ、あ〜ん…」
俺は促されるままに口を開ける。
甘いクリームの味が広がると同時に、頭がぼんやりとしてきた。
「ふふ、どう? おいしい?」
「はい…すごく、甘くて…可愛いです…」
「可愛いって、もしかして私のこと?」
「えっ、あ、いや、その…!」
「ふふ、ありがとう♪ 拓海くんも、すごく可愛いよ?」
「か、可愛いなんて…!」
胸のドキドキを抑えきれず、結衣さんの顔をまともに見られない。
視界も心も、全部ピンク色に染まって――。
*
「……くすっ」
遠くで、誰かの笑い声が聞こえた。
「にゃんこ…しっぽ…にゃん♪」
あれ、なんだこれ…?
俺は、まばたきを繰り返した。
目の前にあったはずの猫耳結衣さんは消えて、見慣れたカフェの天井が広がっていた。
「たくみん、おはよ〜♪」
「こ、こはるん!?」
俺の顔を覗き込んでいるのは、エプロン姿のこはるんだった。
彼女は、口元を手で押さえながら、肩を震わせている。
「え、俺…寝てた?」
「うん、すっごい面白い寝言言ってたよ〜♪」
「ね、寝言…?」
こはるんは、くすくすと笑いをこらえながら、俺の顔をじっと見ている。
その表情は楽しげだけど、どこか妙な雰囲気も感じる。
「ねえ、たくみん。“にゃんこ…もっと…あ〜ん…”って、どういうこと?」
「うわあああああああ!!」
俺は飛び起き、両手で顔を覆った。
「ほんとに可愛い寝言だったよ〜♪」
「いやいや、これはその…!」
「ねえ、結衣さんに“にゃんこモード”で甘やかされてたの?」
「な、なんで分かるの!?」
「だって、寝言で“しっぽ…もふもふ…カチューシャ…にゃん♪”って言ってたもん♪」
「うわあああああああ!!」
俺は顔を真っ赤にして、カフェのソファに頭を打ち付ける。
「ふふ、もしかして“にゃんにゃんカフェ”でバイトしたいの?」
「しないです!! そんな願望ないです!!」
「でも、たくみんの“にゃん♪”可愛かったよ〜」
こはるんは、にやにやしながら俺の顔を覗き込む。
その視線が、まるで本物の猫みたいに、何かを探っているようだった。
「もしかして、結衣さんと“お姉ちゃんプレイ”したかったのかな〜?」
「だから、なんでそこまで正解に近いんだよ!?」
「うふふ、私も“にゃんこモード”やってあげようか?」
「や、やめて! 心臓が持たないから!」
「ほら、“にゃん♪”って?」
「にゃ、にゃん…じゃなくて!」
こはるんは、俺の反応を見て、ますます楽しそうに笑い出す。
その笑い声があまりにも明るくて、でもどこか針のようにチクチクする感じがした。
「もう、たくみんってば、ほんと可愛いね〜♪」
「も、もう勘弁してくれ…!」
「じゃあ、寝言のこと、店長にも話しておこうかな?」
「やめてーーー!?」
俺は床に崩れ落ち、こはるんの足元に縋りつく。
「大丈夫、私だけの秘密にしておくから♪」
「ほ、本当ですか…?」
「うん、だからもっと可愛い寝言、聞かせてね?」
「いやいや、もう“にゃんこモード”はやめます! 二度と寝ません!!」
こはるんは、俺の必死な叫びもお構いなしに、くすくすと笑い続ける。
その笑い声が、カフェ・オブ・レストにいつまでも響いていた。