巌流島の戦い(1)
慶長17年4月13日、長門国(現在の山口県)、船島。
私はいま、ある男から決闘の誘いを受けて、この島で奴を迎え撃つべくじっと待ち構えていた。
噂では、二刀流の達人で、かなり腕の立つ男、それもなかなかの荒くれ者だと聞く。それでいてまだ三十路手前だという。そんな男が私のもとに。こっちは五十のおっさんだぞ。この時代、五十過ぎれば現役引退もいいところだ。大体、三十路手前の若造が五十のおっさん倒して何が楽しいんだか。まさか親父狩り?親父狩りですか!?
でも、まあ、私もこう見えて昔は『剣豪』と呼ばれた男。売られた喧嘩を見過ごすのはその名が廃る。だからこうして決闘の誘いを受けてやることにしたのだ。
しかし……。
「遅い」
件の約束は辰の刻(=午前8時ごろ)だったはずだ。いまはとっくに辰の刻を回り、もうすぐ巳の刻(=午前10時ごろ)になろうとしている。なのにまだ奴は来ない。私と戦うために、自ら決闘を挑んだ男が、である。いくらなんでも遅すぎやしないか?もしかして私、舐められてる?
私は待った。辛抱強く待った。辛抱強いのが私の強みでもある。
待って、待って、待ち続けて……そろそろ辛いな、と思ったころに、ようやく、奴はやってきた。
「……おう。待たせたな、小次郎」
遅れてきた奴のセリフとは思えない、初対面の相手への挨拶にしてはふざけきったセリフである。
礼儀を知らぬ若造には、まずその根性から叩き直してやらねばならないだろう。
「貴様が宮本武蔵か」
「いかにも。おれが宮本武蔵だ」
……武蔵。許さじ。
「きぇえええーーーぃ!!!」
私は鞘を投げ捨て、刀を抜くと、奴の前頭部目掛けて思いきり刀を振り下ろした。
刃渡り3尺(1尺は約30.3センチメートル、それが3倍なので約90.9センチメートル)はあろうかという自慢の刀だ。私の剣術人生、最大の相棒でもある。この刀で、何人もの猛者たちを病院送りにし、亡き者にしてきた。
なのに――。
「おっと」
刀は、鉢巻きの結び目をわずかに切り落としただけで、奴のデカい図体には傷ひとつ付けることはできなかった。
なぜ。なぜだ。そんなわけはない。きっと何かの間違いだ。私のこの刀が、いままで、使いものにならなかったことなどなかった。こやつ、本当に人間か?実は未来からきた鉄くずのかたまりとかではないのか?
「これが小次郎殿の刀さばきかー。なるほど、噂に聞いていたとおりの見事さだ。うおお、シビレルぜ!いまから脳天かち割ってやるのがたまらねえな!!」
……あ、ヤバイ奴だ。こいつ、ヤバイ奴だ。
私は瞬時にそう察し、踵を返して回れ右しようとしたが――時すでに遅し。
奴の長い木刀で脳天から叩き割られ、成す術もなく、その場にバタリと倒れ込んでしまった。
「なんだ。『ものすごい剣豪』だというから楽しみにしていたのに。小次郎、大したことなかったな」
武蔵は、つまらなそうに、チェッ、と舌打ちをすると、乗ってきた舟に飛び乗り、陸地へと帰っていった。
武蔵。許すまじ。
嗚呼。もしも『あの日』に戻れたら。
私は…。
**
慶長17年4月13日、長門国、船島――そう。まさしく、あの日、あの瞬間である。
私は帰ってきたのだ。この時代に。
今度こそ奴を仕留めてみせる。
……奴?
はて、奴とは誰のことだ。私がいま、待っているのは、知人から紹介された、三十路手前の若者のことで。
この若者というのが、なかなか骨のある青年で、なんでも『二刀流の達人』だという。いまは諸国を回って剣術の修行をしているらしいが、その流れで知ったのだろう、かつて剣豪として名を馳せた私に、剣術の稽古をつけてほしいと言ってきたのだ。
頼りにされるのは嫌いではない。私としても、かわいい弟子が増えるのなら、喜んで迎えたいと思う。
しかし……。
「遅いなあ」
いまは巳の刻。
対して、約束の時間は、辰の刻である。これは、あまりにも遅くないか?
脳裏に嫌な想像がよぎる。
かなりの腕利きの剣士だという彼のこと、もしや、連日の激しい稽古で倒れているのでは?それか、ここに来る途中で、舟が遭難したとか?考えたくない。でも考えずにはいられない。
宮本武蔵、というのが彼の名前だという。
「武蔵ッ! ……いや、むっちゃん!!いるなら返事をしてくれ!!何があった?どうして来てくれないんだ!?」
不安になった私は、使いを呼んで、武蔵の様子を見に行くように伝えた。
むっちゃん。どうか無事でいてくれ。君が無事でいてくれないと、稽古がつけられないじゃないか。
参考:
宝塚歌劇月組公演 『夢現無双-吉川英治原作「宮本武蔵」より-』
巌流島 (下関市公式観光サイト)
https://shimonoseki.travel/shimonosekistory/ganryujima/