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もしも『あの日』に戻れたら。  作者: ゆかれっと
第1話 織田信長編

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本能寺の変

 天正てんしょう10年6月2日、山城国やましろのくに(※現在の京都府)、本能寺。

 めらめらと燃え盛る炎を前に、わしは今、刀を握りしめていた。

 無論、自害をするためである。



 小姓の森蘭丸から、光秀ハゲ謀反むほんを起こしたらしい、と聞いたのは先刻のこと。

 光秀の軍は1万人を優に超えていて、対して、儂の軍は、150人ほど。

 なぜそんなに少ないのか?と思われるだろうがしかたがない。有力な家臣たちは、各地の征伐のためにそれぞれ遠征させておったのだ。


「是非に及ばず」


 光秀は優秀な男だ。今更ああだこうだともがいたところで、この儂が本能寺を脱出して生き残ることは不可能に近かろう。

 だがそれでも、儂にも矜持きょうじがある。儂を信じてついてきてくれる家来たちもおる。儂は光秀の軍に対して、必死で対抗した。

 そのうちに、儂の持っていた弓矢の弦が切れた。弓矢はもう使い物にならない。その後は槍で対抗を続けた。何人もの家来が負傷したし、討死うちじにした者もいた。儂も傷を受けてしまい、こうして戸を閉めて御殿の奥にこもっているのだ。


 光秀がなぜ謀反を起こしたのか、本当のところは儂にはわからない。

 世は戦国時代なのだから、いつか主君を出し抜いて下剋上してやろう、という野心が奴にあったのかもしれぬ。

 義昭よしあき殿や秀吉、家康などの他の武将たちが手を組んで、光秀に謀反の罪をかぶせたかった、というのも一理ある気がする。

 思い返せば、いろいろと恨みを買うようなこともしてきた。当然といえば、当然のむくいかもしれぬ。


 嗚呼。せめて、あと1日持ちこたえていたら……。


 あと1日でも持ちこたえていれば、四国征伐のために大阪まで進軍してきていた三男・信孝のぶたかの援軍を受けることもできた。だがそれもどだい無理な話だ。どの道、儂の軍は破れる。ならば潔く現実を受け入れるほかない。


 あるいは、光秀と、もっと誠実に向き合っていたら……。


 そうしたら、少しは、未来も変わっていたのではないか。


 もしも『あの日』に戻れたら。


 儂は……。



 **


 気付いたときには、儂は、義昭殿と京へ向かったころに戻っていた。

 永禄えいろく11年ごろだったか。儂は既に30代半ばに入っていたように思う。義昭殿は30を少し過ぎたくらいで、そのとき、義昭殿側についていた光秀と初めて会ったのだ。

 儂よりも5つか6つほど年上の男ではあったが、優秀な男だというのは、初めて会った瞬間からわかった。

 義昭殿はその後、室町幕府の第15代将軍に就任した。光秀とも、はじめは将軍との連絡役だったのが、いろいろあって、儂の家臣として働いてもらうことになったのだ。優秀な光秀は政治の面でも大活躍し、信頼のおける部下のひとりだった。


 儂は正直言って、光秀を、ひどくこき使いすぎていたのだと思う。

 あやつがあまりに優秀でよくできた男だから。

 一つ頼めば十のことをこなしてくれるあやつの優しさに、甘えていた、とも言える。


 儂は光秀に、常日頃から、感謝の言葉を伝えていたか?


 厳しいばかりの上司ではなかったか?


 よもや、理不尽に怒鳴りつけるなんてことはなかったか?


 もしも『あの日』をやり直せるのならば、今度こそ、光秀やほかの家臣たちと誠実に向き合ってみよう。

 そうすれば、きっと『何か』が変わるはずだから……。


 そして。


 運命のあの日――天正10年6月2日がやってきた。


 光秀には、中国の毛利征伐のために先行して遠征していた秀吉を支援するように、と命じてあったが、奴は出発直前、儂に向けてこう言った。

「必ず降伏させてまいります」

 おそろしくやる気のある発言だ。どうしてそんなに気合が入っているのかと聞いたら、

「先日、わたくしが家康殿の饗応役きょうおうやく(※接待役のこと)を仰せつかった際に、食材の不備に気付かず、危うく殿に大恥をかかせてしまうところでした。にも関わらず、殿は『珍しいこともあるものだな』とおっしゃり、わたくしの不始末を強く責めることはなさいませんでした。わたくしも激しく落ち込みましたが、あのときの殿のお言葉に、支えられたのも事実でございます。ですから、次こそは、名誉挽回をしたいと思ったのです」

 逆に感謝をされてしまった。

 結果として、光秀が本能寺を焼くことはなかった。中国に行き、秀吉の援軍として毛利を降伏させ、きちんと成果を出して帰ってきた。

 儂は光秀を『右腕』として生涯可愛がり、最期は愛する家臣たちに見守られて幸せな余生を迎えたのであった。

 最期に儂が光秀に言った言葉はひとつだけ。

「あとのことは頼む」

 儂がかねてより抱いてきた天下統一の夢を、託せるのはきっと奴しかおらぬであろう。光秀の優秀さならば、天下統一を果たせる。そう思ったのも事実だ。

「……はい。すべては、信長さまのために」

 もうすぐ消えゆく儂の手を握りながら、光秀は、一筋の涙を流した。

参考:


エグスプロージョン「踊る授業」シリーズより『本能寺の変』


NHKドラマ『光秀のスマホ』

※2020年放送。2024年9月現在、NHKの公式You Tubeチャンネルでも公開中。


本能寺の変 (刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド)

https://www.touken-world.jp/tips/7090/


明智光秀はなぜ裏切ったのか?「本能寺の変」について現役阪大生が解説 (家庭教師ファースト)

https://www.kyoushi1.net/column/history-trivia/honnouji-akechi/


明智光秀と信長の出会いとは? (ゆるりと楽しく戦国時代!)

https://yururito-sengoku.com/sengokuakechimituhide/sengokuakechimituhidejinsei.html

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