一明駅(ひとあけえき)
高校時代に書いた話の一つです。紙で出できたのでこの機会にデータ化しました。
「あの」
振り返ると可愛らしい女子高校生が立っていた。色白で、整った顔をしている。長くて茶色の髪は自分で染めたようだった。スカートは短く、いかにも夜遊びをしているような風貌である。私は面識のない彼女に、どうして声を掛けられるのかと一瞬考えたが、よく見れば、今年度からよく同じ時間帯の電車に乗っている女子高校生だと思い至った。面識はないが、顔をよく見合わせている。
『東禄山、東禄山です。お降りの際はドアにご注意ください』
車内のアナウンスが流れる。すると、人がどっとドアの前に並んだため、混んでいた車内も空き始めた。私は彼女と四人乗りのボックス席に移動した。座席に飴の包み紙が見えたが、気にしないことにする。私は彼女と向き合うように座った。二人でスカートに気をつけながら腰かける。
「あの、少しお聞きしたいことがあるのですが」
彼女は控えめにこちらの様子を伺っていた。視力が悪いため目を寄せているのを、怒っていると思われたのだろうか。
「何でしょう」
私はできるだけ柔らかい言い方をした。会ってばかりの彼女に、良い印象を持たせようと必死だったのである。
「私は、小野と言います。あの、西禄山で、お降りになりますよね?」
彼女が小野と名乗ったので、私も五城と名乗った。それにしてもしっかりとした口調である。遊んでいそうな風貌と決め付けたが、人を印象だけで判断してはいけないなと思った。
「ええ、私は西禄山で降りますが。どうかなさったのですか?」
「実は、西禄山で降りる用事があるのですが、一人で降りるのは少々抵抗がありまして……。一週間ほど前からの通り魔の事件をご存知ですか?」
その事件のことは知っていた。若い女性と子供ばかり狙う、無差別事件である。一週間ほど前から噂になっていた。なるほど、確かに一番最近起きたのは西禄山周辺である。女子高生一人というのは危険かもしれない。
「なるほど、よく分かりました。では、私もご一緒しましょう」
「良いんですか?」
「もちろんです。小野さんは可愛いですし、狙われては大変ですから」
小野さんは、母が心配性なんですよ、と声に出して笑った。笑った顔も愛嬌があり、魅力的であった。
「五城さん面白いですね。スーツですけど、なんのお仕事をなさっているのですか?」
「…難しい質問ですねえ。四館文庫って知っていますか?」
「知っていますよ!結構読みます」
「そうなんですか。簡単に言うと、編集者のようなものです」
「へーすごい!どんな作品を担当したんですか?」
「矢吹先生の”夜もすがら”とか、佐津間先生の”幸せ鬼”とかですかね」
「両方とも大好きです!すごい、何だか感動です!」
「なかなか渋いですね。でも嬉しいです。ありがとう」
『次はー西禄山ー』
車内のアナウンスだ。私は小野さんと共に席を立つ。ドアの前で、電車が止まるのを待った。すると、少し気になったことがあった。
「そういえば、小野さんは普段はどこで降りるの?」
「え、ああ…、一明ですよ。ここから三駅の」
「そうなんですか」
ガタン、と電車が大きく揺れる。カーブを曲がっているのだ。次第にスピードが落ちてきて、西禄山と大きく書かれた看板の前で停まった。プシュー、という音を立ててドアが開く。
足元を気にしてゆっくり降りる。午前中に降っていた雨は、もうすっかり止んだようだった。
「じゃあ行きましょうか。小野さんの用事というのはどのあたりの…」
小野さんがいなかった。慌てて辺りを見渡しても小野さんの姿は見えない。まだ電車に乗っているのだろうか。車内の様子を見ようと電車に近づいたら、ガタンという音を立てて発車してしまった。
私はどうしようもなく、電車が小さくなっていくのをただ見送るしか無かった。
「…!」
私は急いで西禄山駅の待合室に向かい、路線図を確認する。
「……」
思った通り、西禄山の三駅後に一明という駅は無かった。そればかりか、路線図をくまなく探しても、一明という名前は見当たらない。私はこの状況に首を捻るしかない。
彼女はどこに消えたのか。
それが分かったのは、例のあの日から、数日経ったある日だった。何気に新聞を読んでいたら、彼女が顔写真付きで載っていたのである。記事の内容は恐ろしいものだった。
小野さんは通り魔に襲われ、怪我を負い、近くの病院で入院していた。それはあの日の前日である。そして、今私も知ったことだが、あの日、本当に西禄山で通り魔事件が発生していたというのだ。彼女を探していつもより遅く駅を出ていなかったら、私も被害に遭っていたかもしれない。しかし、気になるのは、彼女が入院中、どうやって私の前に現れたかである。
私はお見舞いにと、彼女が入院している病院を訪れた。話を聞くと、驚いたことに彼女は夢の中で私に会っていたという。もう何が何だかわからない。しかし、彼女が夢の中で私とした会話は、まるっきり実際にした会話と同じだったのである。そして、一明駅について尋ねると、
「実在していそうな駅の名前を適当に言ったような気がします。夢の中でですけど」
と笑った。不思議な体験をしたなあと言うと、彼女は
「単に私が、五城さんの担当した作品のファンだったからじゃないですか」
「だからって夢で私を助けますか」
「助けますよ!”夜もすがら”の主人公も、彼女のために過去に行くじゃないですか」
と反論した。それは物語でしょう、と笑う。ただ、あの時彼女は実体化していたのか。そうで無かったら、私は一人で話していたことになる。何と恥ずかしいことか。
春が過ぎ、少しずつ温かくなっていく、そんな季節だった。