第4話
五月某日。
二限が終わってすぐに教室を出た奥野は、遠路はるばる(廊下の端から端まで)六組の教室へとやってきた。後ろの扉から顔だけのぞかせて植村の姿を探すと、植村の周りには数名の男女がいて、返却されたテストの答案について話をしているようだった。奥野はそっと顔をひっこめて踵を返そうとした。そのとき
「植村に用?」
入口付近の席でなぎさと一緒にいた春子が奥野に声をかけてきた。
「呼ぼうか?」
「あー、いや、いいよ。何か話し込んでるみたいだし」
「大丈夫よ。あなたの用事の方が大事だと思うわ」
「え?」
「植村!友達が来てるよ」
春子が突然、その場から声をあげて植村を呼ぶと、奥野は驚いてビクッと肩を揺らした。春子の声に振り向いた植村は、奥野と目が合うとすぐに来てくれた。
「ごめん、話の途中ぽかったのに」
「いいよ。何?」
「数Ⅱのテスト返ってきてさ、赤点じゃなかった!植村のおかげだよ。教えてくれたとこ全部合ってたし。本当ありがとうね」
奥野は嬉しそうにそう言った。すると、植村は急に右手のひらを奥野の方へ差し出した。
奥野は一瞬きょとんとして、それから困惑の視線を植村に向けた。植村は何も言わず奥野を見ていた。奥野はズボンのポケットからチョコレートを一つ取り出して差し出された手のひらに置いた。
すると植村はすかさずそのチョコで奥野の額を小突いた。
「違う」
「へっへっへ」
その瞬間、奥野は額を押さえて笑っていた。…が、植村ははっとしたような表情をしたかと思うと、突然、至近距離で奥野の顔を覗き込んだ。
「ごめん、ちょっと強かった?」
植村はそう言って奥野の額を親指でそっと撫でた。奥野は驚いたような顔をしていたが、慌てて植村から離れると手をブンブンと横に振った。
「いや、大丈夫だし!」
「…そう?」
「あ、そのチョコ、井崎にあげて。井崎がハマってるチョコ買ってみたんだ。おすそわけ」
「ああ…分かった」
「それで、えーと…さっきの手は?」
「…答案だよ。教えた人間としては、余裕だったのかギリギリだったのか知りたいんだけど」
植村は少し不貞腐れたような顔をしてそう言った。
「いやあ、植村に見せられるような点ではないもん。でも、俺にしてはいい方だったの、ホントに」
「本当かー?」
植村はそう言って、また奥野の顔を覗き込んだ。
「本当だって」
奥野は笑いながら、おどける感じで植村の肩を押して距離をとった。
「じゃあ、俺教室戻るわ。本当ありがとう」
「いいよ。数Bの結果も待ってるからな。今度は答案用紙持って来い」
「嫌だ」
奥野はまたおどけたようにそう言うと、長い廊下をいそいそと歩いて行った。植村は教室のドアにもたれて奥野の背中の小さくなっていくのを見ていた。
その背後から、春子がひょいと顔を出し植村の視線の先を見やった。
「カワイイ子よね」
「…ああいう人がタイプ?」
依然奥野を見つめていた植村は春子に視線を移した。
「…あたしは、もう少し大人っぽい方が好み」
春子が答えると植村はふうんというように頷いただけで、何も言わず自分の席に戻っていった。春子の横で、なぎさは眉を寄せて植村が去ってい行くのを見ていた。
「植村って、本当何考えてるか分かんないよね。春子のことどう思ってるんだろ」
「何とも思ってないでしょ。あたしと植村は周りが勝手にお似合いだって思い込んでるだけで、植村があたしに対してそういう態度とったことなんてないじゃない」
春子はまた廊下に視線を向けた。奥野の姿はもうなく、やがて予鈴がなると廊下に出ていた生徒らはちらほらと各自の教室へ入って行った。