第3話 一学期中間テスト
五月某日。
いつものように一人で登校してきた奥野は六組の教室の前で植村と女子生徒が二人でいるのを見つけた。
下ろしたまっすぐの髪は華奢な背中の真ん中くらいまである…植村と付き合っているのではという噂のある江藤春子だ。きりっと整った顔立ちの美人で頭が良く、理系科目は植村に次ぐ二番だが文系はすべて学年トップだという。彼女と植村が二人隣り合っている景色はとても絵になる。
植村は窓の外側に向いていたが、ふと奥野が歩いてくるのに気が付くと奥野の方に向いて待っているようだった。
(奥野)「おはよう」
(植村)「おはよ」
春子が振り返り奥野の方を見たが、お互い話したことのない相手だと何も言わず、奥野はそのまま二人の横を通り過ぎた。
しかし…
「奥野くん」
背後から名前を呼ばれた奥野は、不意をつかれたような顔をして振り返った。
呼んだのは植村だ。
「もうすぐテストだけど、数学は大丈夫そう?」
「あー…まあ、いつも通り、ギリギリかな」
奥野は苦笑してそう答えた。
「教えようか。数学得意だから」
「え!?いや、悪いよ」
「遠慮してる余裕あんの?ギリギリなんだろ」
「んー…まあ…じゃあ、どうしようもなくなったら助けてもらおうかな」
奥野の返事に植村はどこか不満げだったが、ようやく頷いた。
「ありがとう」
奥野はそう言うとまた二人に背を向け歩き出した。
植村は窓の外に向きなおした。春子は不思議そうな顔で奥野を見送っていた。
「友達だったの?」
「最近知り合った」
「ふうん…」
教室に入った奥野は一直線に竹崎の席に向かった。
「竹崎聞いて!今、廊下で植村くんに会ってさ!」
奥野の声に物理のワークから顔を上げた竹崎は首を傾げて次の言葉を待っていた。
「数学教えようかって。すごくない?あんな人気者が俺にそんなこと言ってくれた」
「へえ…アザラシにすがるお前に同情したんじゃない」
竹崎はそう言うとまたワークに視線を落とした。それで奥野はつまらなそうに口を尖らせた。が、竹崎はまたふと顔を上げた。
「で、教えてもらうの?俺はそうしてくれると有難いな」
竹崎の言葉に、今さっきまでぶすっとしていた奥野はいたずらな笑顔を見せた。そしてちっちと人差し指を振った。
「気持ちだけもらっとく」
「なんで。せっかくだから教えてもらえよ。植村って確か数学学年トップだろ」
「だからダメなんだよ。そんな人に教わるなんて、緊張しちゃって集中できない」
「俺が相手でも逆に気が緩んで集中できてないだろ、いつも。毎回一つ教えるのにどんだけ苦労してるか…」
「ちゃんと集中するから、見捨てないで」
奥野はわざとらしく眉を下げて言いながら、竹崎の肩を揺らした。
テスト準備週間のうち二日ほどは、放課後に教室で竹崎と数学や物理の勉強をするのが恒例となっている。奥野が植村の厚意を実質受け取らなかったので、今回もそうすることになった。
終業後、奥野と竹崎の在籍する一組の教室には、二人の他にも何人か居残って勉強する生徒がいた。
二つの机を向かい合わせにくっつけて、奥野は竹崎に数学を教わっていた。
すると、ふいに誰かが傍にやって来てじっと立っているので、二人は顔をあげた。
それは植村と井崎だった。
植村は二人と目を合わすことなく、ただ机の上を見ていた。
「あ、邪魔してごめんね」
井崎はそう言って、にこりと笑った。
「いや、いいけど…」
言いながら、奥野は植村の方を見た。植村はまだ黙ったまま机の上を見ていた。それから漸く…
「いつも竹崎くんに教わってんの?」
「あ、うん。竹崎も理系得意でさ」
「ふうん…」
奥野は少し気まずいようで目を泳がせた。そのとき
「植村くん、理系は学年トップだったよな?」
突然そんなことを言い出した竹崎に、奥野は目を細め何か勘ぐるような視線を向けた。植村はずっと机の上に向けていた視線を初めて上げた。
「数学と物理だけだ」
「教えんのも得意?」
竹崎が続けてそう聞くと、奥野はいよいよ何か言いたげに竹崎の顔を凝視した。しかし…
「…そこ、代わってくれる?」
植村が竹崎のいる席を指差してそう言うと、竹崎は「よっしゃ」といたずらな笑みを浮かべて席を立った。
「何、俺に教わんのそんな嫌?」
席に着いた植村は、恨めしそうに竹崎を見ている奥野を見てそう言った。
「え!?いや、そういうわけじゃなく…」
奥野は慌てて否定した。それから何か言い出しにくそうに目を泳がせたあと、頬杖をついて奥野を見ている植村の顔を覗きこんだ。
「…植村くん、俺がすぐに理解できなくても怒んない?」
奥野がそう言うと、植村は珍しくちょっと驚いたような顔をしたあと、ふいと視線を逸らした。
「うーん…どうかな。俺、短気だからな」
「ええー!?」
奥野はわざとらしく眉を下げて情けない声を出した。それからいじけたように俯くと…植村はふっと表情を緩めて奥野の頭を撫でるようにして
「冗談だよ。ほら、集中して」
その瞬間、教室にいた女子の何人かが悲鳴のような声をあげた。
植村は彼女らに一瞥だけやったが特に気にする様子もなく、今度はポンと軽く叩くように、また奥野の頭に触れた。
「で、どこやってんの?」
「あ、これです…」
奥野は顔を隠すように俯いたまま、ワークの問題を指差した。
その頃図書室では、植村・井崎と同じ六組の友人らが、二人が来るのを待ちながら勉強を進めていた。二人と同じサッカー部の岡本徹也と中山照久、女子陸上部の藤田なぎさ、それから春子である。
テニス部所属の春子と陸上部所属のなぎさが友人になったのは、二年で同じクラスになってからだ。二人は対照的なタイプに見えるが案外気が合うようで、クラスでは基本行動をともにしている。
「遅いなあ!一組に何の用だろう?」
「…そんなに気になるなら見に行けば?」
しきりにスマホの画面を確認するなぎさを見て中山は呆れた顔をした。
「…嫌よ、面倒くさい」
「面倒くさい女と思われるのが嫌なんだろ?もう、早く告白しちまえよ、どっちも。面倒くさい」
岡本はそう言って春子にも視線を送った。
「余計なお世話!」
なぎさがそう言って岡本をなぐる素振りをした、そのとき。テーブルの上に置いてあった中山のスマホがピコンと音をたて、画面にメッセージが表示された。
「井崎からだ。…なんか、植村が一組の奴に勉強教えてるって。井崎もそこで勉強することにしたから二人とも今日はこっちに来ないってよ」
(なぎさ)「なにそれ?その一組の人って?」
(中山)「さあ?誰だろう」
(岡本)「あんな無愛想な男に勉強教えてくれなんて頼む奴がいるのか」
「頼まれたんじゃない。植村が自分から教えるって言ったのよ」
春子の言葉に、三人は同じようにきょとんという顔をした。
「名前は、奥野くんだったかな。今朝、その子が六組の前を通りかかったときに植村から声をかけたの。最近知り合ったって言ってたけど」
「あっ。もしかして、沖縄の水族館で間違えて植村を引っ張っていった奴かな?超笑えたって、井崎が。昨日、食堂でその人に絡みに行ったみたいだし」
中山の言葉に、岡本も「ああ、そうだ。多分そいつだ」と言って頷いた。
「なんじゃそら…」
なぎさはそう呟くと、つまらなそうな顔をしてまた真っ黒なスマホの画面に視線を落とした。