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セージとセイコとヘボ神官

「ここが女神の間か…」


 長い廊下の突き当たりにある大きな扉の前で、俺は思わず息を飲んだ。

 重厚な観音開きのドアには、金色の繊細な彫刻が施されている。

 扉を開けると、ひんやりとした空気が流れてきた。

 薄暗い室内は天井が高くて広く、壁に沿って並べられたいくつもの燭台が、ぼんやりと足元を照らしている。

 中には召喚のときにもいた神官長と神官たちがいて、俺たちを見ると静かに頭を下げた。


「あれが女神像?」

「そうだ。女神イグラシルだ」


 中央に置かれた台座の上には、女性の姿を象った石像が置いてあった。

 緩くウェーブのかかった長い髪が印象的で、穏やかな笑みを浮かべている。

 

「綺麗…」

「イグラシルは慈愛の女神と言われている。その笑顔は見る者の心を癒すのだ」

「たしかにとても優しそうですね」


 微笑む女神を見つめていると、心の奥底まで温かくなってくるようだった。

 そういえば寝室にあった絵、やっぱりあれも女神だったんだな。

 女神像は左手に透明な球を持っていて、多分あれが王子が言っていた水晶玉だと思われる。

 

「さあ、そろそろ始めよう。神官長」

「かしこまりました」


 王子に促されて、神官長が女神像のほうに進み出た。

 巻物のようなものを手に持ち、『女神イグラシルよ。我らに使わし聖女に…』とかなんとか、流れるような独特なリズムで言っている。

 祝詞とか念仏とか、そんな感じだ。

 儀式って感じになってきたなーと思っていると、突然、神官長がくるりと俺のほうを振り向いた。

 

「では聖女様。お願いいたします」

「は、はいっ!」


 雰囲気にのまれて思わず返事したものの、どうしていいのかわからん。

 お願いしますって言われても…たしか水晶玉に触るだけって言ってけど、適当に触ればいいのか?

 戸惑っていると、王子がこっそり耳打ちしてくれた。


「女神像が持っている球に利き手で触れて、目を閉じて、女神イグラシルに語り掛ければいい」

「…語り掛けるって、何を?」

「『私に聖女の力をお与えください』。そうしたら球が光るはずだ」

「はあ…」


 聖女の力って、俺、男なんだけど…女神様もビックリするんじゃね?

 もしも光らなくても、俺のせいじゃないからな。

 俺はズンズン歩いて女神像に近づき、球体に手を伸ばした。

 …冷たい。

 まあ、水晶玉だから当たり前だよな。

 

 「じゃあ、いきます」


 緊張して声が上ずってしまったけど、王子も神官長も神官たちも何も言わないので、大丈夫だろう。

 とにかく、言われたとおりにやってみよう。

 俺は深呼吸をして目を閉じ、神経を水晶玉に集中させて、王子が言ったとおり呟いた。


「『私に聖女の力をお与えください』」


次の瞬間。

 カッ!!


「うわっ!」

 

 眩しい!!

 球から瞼越しでも分かるくらいに強烈な光が溢れ出したので、俺は慌てて手を引っ込めたが、光は収まらない。

 なんだよこれ!どうなってんだ!?

 そう思ってる間にもどんどん光は強さを増していき、

 パアァッと一際強く輝いたかと思うと、突然、ふっと消えた。

 

「えっ?どうしたんだ?」


 驚いて目を開けると、そこはさっきまでいた場所じゃなかった。

 なんと言ったらいいのか…一面真っ白の世界で、まるで雲の中にいるようだ。

 そこには王子も神官長もいなくて、俺と、もう一人…


「女神、様…?」


 目の前にいる女性は、女神像そのままの姿だ。

 緩やかなウェーブのかかった長い髪に、穏やかな笑みを浮かべた優しい顔。

 ゆったりとした白いローブを纏っていて、足元は見えない。

 像と違うのは、女性が冷たい無機物な石ではなく、柔らかな肌で動いているということ。

 女性はゆっくりとこちらに歩み寄ると、優しく微笑んだ。


「私はイグラシル。あなたがセイコ・タカハシですね?」

「へっ…?」


 女神の口から出た名前に、キョトンとしてしまう。

 えっと、誰だって?聞き間違いか?

 セイコ・タカハシって、もしかして近所の和菓子屋の一人娘、高橋誠子さんのことだろうか。

 いや、普通の名前だから違うかもしれないけど。

 俺は女神に向き直り、さっきの名前を確認した。


「もう一度お願いできますか?」

「セイコ・タカハシです」

「セージ?」

「いえ、セイコです」

「…どちらにお住いのセイコさんですか?」

「私が下した神託の場所は、ニホン、××ケン、△▲シ…」


 女神が口にした住所は、俺の住んでるアパートの近所のもの。

 神託で住所っていうのには違和感しかないけど、ご近所に高橋誠子さんは一人しかいない。

 間違いない。

 確信した俺は、女神を真剣な目で見つめて言った。


「分かりました」

「あの…?」

 

 女神は俺の反応に困ったように首を傾げる。

 その姿すら気品があって美しいが、それどころじゃない。


「セイコ?どうしたのですか?」


 これはもしかしなくても、そうなんだろう。

 あのクソジジイ…やってくれたな。

 俺は女神を真っ直ぐ見て、はっきり言った。


「人違いです。俺は高梨誠司。聖女じゃなくて、ただの人間です」

「えっ…?」

「高橋誠子さんは、私のご近所さんです」


 女神が驚いた顔をしたので、俺は高橋さんと俺の関係ついて話し始めた。


+++++


「つまり、セージさんは聖女のお近くにお住まいの方、というわけですね」

「はい。申し訳ありませんが…」

「まあ…なんてことでしょう」


 俺の話を聞き終えた女神イグラシルは、困惑の表情をしていた。

 無理もないよな。

 まさか女神だって、本来の聖女と名前の響きが近い男が召喚されたなんて、想像もしてなかっただろう。

 なにが間違いありませんだ、あのヘボ神官め。


「事情は理解しました」

「理解していただけましたら、俺を元の世界に…」

「しかし、あなたはに聖女の資質があるようです」

「は?」

 

 何言ってんの、この女神。


「そんなはずないでしょう!俺は男ですよ!?」

「えぇ、分かっています。けれど、確かにあなたの中に聖女としての力を感じます。だからこうして私も降りてきたのです」


 女神様、ショックでおかしくなったんだろうか。

 俺は男だぞ?なんで聖女の力なんかあるんだよ。

 俺は頭を抱えたくなった。


「とにかく、俺は聖女にはなれません」

「いいえ、あなたならきっと素晴らしい聖女になれます」

「なれるか!!」

 

 思わずツッコんでしまった。

 ああもう!話が通じねえ!!

 頭を掻きむしる俺に対して、女神は冷静にこう言った。


「あなたは自分の意思でここに来た、そうですよね?」

「いや、グニャグニャに引きずり込まれて拉致されたんですけど…」

「そこではなくて。女神の間には、あなたが納得して来られたのではないですか?」

「それは…たしかにそうですけど…」


 そう言われると、こっちが今更ダダを捏ねて困らせてるような気持ちになる。

 王子に協力するって言ったのは俺だし、それも王子に頼まれはしたけど強制されたわけじゃないから、自分の意思と言われるとそうだけど…

 女神からつい視線を外して言い淀んだ俺の隙を、女神は見逃さなかった。

 女神の柔らかい手が俺の両手を掴んで握りしめ、真っ直ぐ俺を見つめる瞳にドキッとする。


「自ら選んだことなのですよね?」

「うっ…はい」

「あなたの優しい心、それは聖女と呼ぶのにふさわしいとは思いませんか?」

「い、いやでも、俺は男で…」

「そして私の力の一部を受け入れる器もある。それは私が認めます」

「えっと、その辺はよく分からないですけど…そうなんですか?」

「ええ、ええ。とても特別なことです。あなたしかいないのです」

「わ、わかりました…」


 矢継ぎ早に言われ、完全に女神に主導権を奪われた俺は、流されるままに頷いていた。

 我に返ったときは、時すでに遅し。

 女神は俺の手を握ったまま、嬉しそうに微笑んでいた。


「では、あなたに聖女の力を。私の力の一部を与えます」


 女神の手の力が、先ほどより少し強くなる。

 ギュッと強く握られると同時に、ピリッとした静電気のような軽い痛みと、ほわっとした温かさを感じ、俺は肩をビクッと震わせた。

 ほんの2,3秒。

 女神の手が離れたのを感じ、俺は無意識のうちに閉じていた目をそろりと開けた。


「終わりました」

「え?終わり?」

「はい。手をご覧なさい」


言われて見てみると、両手の甲に小さな魔法陣のような文様が浮かんでいた。


「通常は利き手のみなのですが、あなたは両手に聖女の力を宿した。これは驚くべきことです」

「聖女の力とは、どんなものなんですか?」

「主に回復や解毒などの癒しの力です。そしてセージ、あなたには浄化と光の力も備わっているようです。使い方についてですが…」


 それから女神に聖女の力について色々と聞いた。

 難しい呪文とかは必要なく、例えば癒しなら対象に触れて祈ればいいそうだけど、どれくらいの力を使えばいいかなどは聖女本人が学んでいくしかないとのこと。

 必要以上に力を使うと、癒しの力でも逆効果になることがあるそうだ。

 薬を飲みすぎると胃を荒らすとか、中毒になるとか、そんな感じなのかな。


「聖女の力は万能ではありません。使うべきときと使うべき相手を考え、この世界のために使ってください」

「わかりました」


 王子の話では、聖女の役割は魔王と争うことじゃないから、聖女の力とやらを使う機会はあまりないだろう。

 人間が聖女を召喚できる力を有しているという証明として、ただ存在していればいいということだから、俺に宿った力が強いならそれに越したことはない。

 楽勝、楽勝と高を括っていたら、それまで微笑んでいた女神が、突然笑みを消して真剣な顔になった。


「あとは聖女、いえ、そう呼ばれるのは好まないのでしたね。セージ、あなたに託します」

「託すって、何をですか?」

「この世界の命運を」

「はい?」


 何言ってんの、女神様。

 聞き返した俺に、女神は真面目な顔を崩さずに続けた。


「この世界を救えるのは、異世界から呼ばれたあなただけなのです」

「ちょっと待て!そんな重大なこと、突然言われても!」

「私がこの世界に降りていられる時間はもうありません…セージ、頼みます」

「待ってくれ!まだ消えるな!」


 フェードアウトするみたいに、足から徐々に消えていく女神に、俺は慌てて声をかけたけど遅かった。

 何も答えることなく、ただ美しい微笑みだけを残して、女神イグラシルは消えた。

 世界を救うだの命運だの、そんなの異世界から来たばかりの人間に任せるって…それってどうなんだよ。

 

「セージ!」

「聖女様!」


 女神が消えると同時に、白い空間も消え、いつの間にか女神の間の像の前に戻っていた。


「大丈夫か、セージ。何があったのだ?」


 駆け寄ってきて、茫然と立ち尽くす俺に王子が声をかける。

 ギギギ…と錆びた渋い音が出るんじゃないかってくらいの速度で王子のほうを振り返った俺は、引きつった笑顔で言った。


「この世界の女神様って、押しが強いんですね」

聖女生活は当初、誠司が思っていたように楽勝というわけにはいかないようです。

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